日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

魔法の言葉。

幼稚園のスタッフ研修に参加させてもらって、母であると言うことをあらためてかんがえなおしてる。

 

そんなきょうあったこと。

ささいなことで、こゆにうるさくいってしまった。

ひとしきりバトルし、泣いて部屋に閉じこもったこゆにこえをかけた。

わたしが言いすぎてのは分かってる。

言いすぎてごめんねと膝に抱いた。

 

こゆはわたしにいいました。

「さっこちゃんじゃない、こゆがわるいんだ。」

わたしは違うってはっきり思って伝えた。

「こゆはじぶんのきもちをつたえただけ。わるくないんだ。それを受け止めきれなくてこまっておこってしまったの。そんな気持ちにさせてしまってごめんね。」

「なんでさっこちゃんはこゆをだっこしようとおもったの?」

「こゆが今何を考えてるか知りたかったの。だって今、わたしは大人の権力を使った。大人の方が言葉を知ってるから、次から次へとたくさんのことを言って、こゆのことばをきくすきをあたえなかった。わたしが間違ってる、っておもったの。それをどう伝えようか、かんがえていたけどわからなかったの。こゆが自分の気持ちをせっかく伝えてくれたのにね、それなのに打ち消した。聞かなきゃこの状況は変わらないのに。ごめんね。」

 

こゆはしばらくひざのうえでわたしの顔を見ながらおしゃべりしてまた遊びに部屋に戻って行きました。自分は母としてのわたしとしてこの人とどう一緒にいたいのか日々、積み重ねています。

 

もう一つ。

大ちゃんが調子に乗ってついでの壁にぶつかり、いたいーいたいー、さっこちゃんきてー!!といってぶつけたとこを抑えてた。

 

もう、調子に乗ってるからじゃん、めんどくさいなーって言って家事をしようとしたら、「もう、さっこったらー。」と、こゆがわたしの前からだいちゃんとこにはしっていった。

 

こう言う時、わたしは母に何もしてもらえなかったのだと思う。今も、「めんどくさいなー自分でふざけてぶつかったんじゃん。もう小さくないんだからどうなるか、わかるじゃん、気をつけてよ。」、そう部屋の外からのぞいていった。

でも大ちゃんとこに走って言ったこゆのこうどうがきにかかり、そばにいって、こゆにきいた。

「わたしどうしたらいい?」

「だっこしてあげなよー。」と、こゆがいってくれた。

大ちゃんのとこに行って抱っこしたらこゆが安心して微笑んだ。

「抱っこしたらなんでいいの?」

もう一つおまけに教えてもらった。

こゆは笑いながら言った。

「だって、お母さんだからだよー。」

いつもわたしを名前で呼ぶこゆがそういった。

そっか、お母さんってそういうことしてくれる人なんだね。

 

抱っこがいいんだよ。

それは知ってる。本も読んだし、耳がいたいくらいきいた。

でも今、100回くらい聞いたことのある言葉の意味が初めて分かった。

こゆのおかげで。

子どもの言葉は魔法の言葉だとおもう。

もう絶対忘れない。