日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

母にしてもらって9年。母であると言うことの今の記録。

こゆが熱性痙攣を起こして一年。

今年の今日も夏風邪引いてる。

あさから両鼻から吹き出すような鼻血でめざめる。

なぜか、あの日の記憶が手に取るようにまざまざと蘇ってきてるのでああ、びっくりしたね、といつもより穏やかに、丁寧にむすめにせっしているわたしがいる。

 

あれから一年、色々あったけど、元気に生きていてくれたこゆ。

親孝行なんてそんな言葉がどうして生まれたのだろうというくらい、わたしはこゆにまいにちおやこうこうしてもらってるからいらないよな、この言葉っておもう。

 

思えばいつもこゆは、いのちがけで教えてくれる。

そもそも本来子供達というのは毎日命がけで生きてるから当たり前なのかもしれないが、こゆのばあい、本当に要所要所で命をかける。

今回2回目。

1回目は仮死でうまれ、2回目は熱性痙攣。

わたしはこの経験で、命がけでわたしに訴えようとしていることがある、と受け止めるようになった。

わたしの未熟さに命がけで訴えてくる、、泣。そりゃそうだしまだまだまなばねばなたないことがあるんですね、、、、、、。分かってるけどおもわずつぶやきたくなる。。

 

子どもは神に近い存在、って本当だとわたしは感じてます。

彼らが教えてくれたことは、わたしを変える。

彼らが「わたしが変わらなくてはならない状況」にしてしまうから。

覚悟を決める、なんて悩んでる暇もなく、「かわるしかない」のだ。

 

日々を生きてる彼らに、自分の日々も重ねて寄り添うというのはそういうことも含まれる。

 

だから虐待も起こるのだとおもう。

子どもの人生に寄り添うということは、自分の人生も揺るがす。

それが母であるということだから。

 

申し訳ないけど母にしかわからないことがある。父にはわからない苦しさがある。

それは我が子に人生を揺るがされるというくるしみだ。

それに気づいた頃、わたしは父である旦那がそこを理解できないイライラを抱えていた。なんて無神経、っていつも思ってた。でも、旦那さんは彼なりに頑張ってた。私たちを支えてくれていた。

 

わたしは自分の苦しみを彼が理解できるように伝える努力をするべきだった。彼の優しさからくる気持ちを彼の言葉で聴きながら、それを忍耐というエネルギーにかえて、何度も何度も伝えていくべきだった。

感情と伝えたいことは別だと、自分に言い聞かせ穏やかに気持ちを伝えるべきだった。イライラして彼に怒りという感情を乗せて伝えたぶん、彼は傷つき、わたしをせめた。今思うとわたしの配慮不足が招いた、わたしの責任だと思う。世のお父さんたちが奥さんのそういうとこに傷ついてること、けっこうあるのだろうとおもう。お父さんたちだって家族を思うから頑張っていてくれたのにね。

 

いつのまにか、わたしばかり頑張ってる、っておもいこんでる。そうじゃないのに。

 

わたしはたくさん揺れた。

外に働きに出かけず、子どもと共にいる選択をしたから。なぜそれをえらんだのかはわからない。けれども多分、わたしは自分が子どもの頃、母に寄り添ってもらえず悲しかったのだと思う。自分が我が子に寄り添う方法を知らなくて探すために、専業主婦になった。

 

その世界は想像以上に厳しかった。はたから見てきた頃は、専業主婦って気楽そう、楽しそう、って目で見ていた。

 

でもね、共にいる時間が長いほど昔の傷が自分が気づかない形で、えぐられていくのです。

いつまでも泣かれるとイラつく。

食べても食べてももっと食べるもんないの?って一日中聞かれて、与えてないみたいで頭にくる。虫歯になるんじゃないかって心配になる。

兄弟喧嘩が絶えずに、上の子にあんたそんなに人のこと責めて、といらついてせめる。下の子だって思いの丈をぶつけてるのに、結構上手にやるから彼らは上手いこと逃げていくんだよね。

あまりに頭にきすぎて、毒を吐く。これ、自分が育ってきた環境が壮絶であるほど、ひどい言葉をはきすてるんです。。。。。

自分が選んだ道だから全て自分の時間なのに、そうせいりできたらいましかないこのともにあるじかんがかけがえないのに、自分の時間がないって愚痴ってた。

 

可愛いはずの我が子に一日中怒って夜を迎えてる自分に愕然としていました。

 

どうしてこうなるんだろう。。。

何日も何年もかけてわかったこと。自分はそう育ってきたのだということ。自分が生きて行くために忘れ去られた辛い過去、でも身体が覚えてた。だから同じように我が子にしてしまう。

 

ごめんね、ママ。

我が子にそう言われるたびに涙が出ていた。

この子は悪くないのにわたしにはどうしようもない!!!!

育児書も、子どもはこう育てろっていろんな人が書いた本も何も意味がない。自分でゆっくり読んで心で感じて理解していく余裕を与えられないその時のわたしに、なにもひびかない。保育士であったわたしに書いてあることは頭では分かってることばかりだったから。書いてあることは全て美学にすぎないのだ。

 

保育園とかでやってる子育て支援ですら意味がない。自分がこどもにしていることを整理できてない状態で話を聞いてもらってもその場しのぎに過ぎないから。それ以上踏み込める保育士さんはごくごくわずかだとおもう。でも、そうでないと意味がないのだ。やはりこれも美学にすぎない。カウンセラーでさえも多くはそう。心を入れて聞いてくれる人がそばにいればカウンセラーという仕事は必要なくなってしまうんだろうな。

 

人が言うことはそんなことはほとんど頭では分かってる。だってわたしの本心はこの子が愛しくて愛しくて仕方がないのだから。それを邪魔する感情をコントロールできれば、それさえできればね。

事件は現場で起こっており、絶え間無く起こっていることであり、頭で分かったからってコントロールできることじゃない!!!!!

 

わたしの育ってきた道は新しいタイプの虐待だった。

現代社会の問題を抱えた密室で起こる、核家族だから起こる、虐待だった。

でも気づいたことがある。

わたしと同じ母も苦しんでいた。きっと自分がどうしてこううまくいかないのかくるしんでいたはずだ。

 

心の傷があれどもわたしは自分の子と生きていかなきゃならない。

自分の子の幸せをこころから喜べる母でありたい。

専業主婦になったのはそのためだったといまではおもう。

 

自分が願っていたものと違う生き方となってしまった自分の幼少時代。

何がおかしかったのかすらわからない現代社会のプライベート空間。他の家と比較するということができなかったから。子どもにぶつけて初めて気づいたことの数々。

 

我が子も傷つけた。自分もたくさんたくさん傷ついた。同時に旦那さんも傷ついていた。

 

そうしてぼろぼろになって、わたしはそのとき恵まれたかんきょうに大人になってであっていたことに気づいた。

 

母である女性の精神衛生が大切だという人がやってくれている幼稚園があった。家族全員一緒に通って1日を過ごせる幼稚園だった。そこにわたしも一年通って、でもそこの幼稚園の園長の本当の素晴らしさに気づいていなないまま、はなれたとこだった。

 

そこにもどろう、と思った。すでに通い始めた普通の幼稚園、そこの園長先生もやさしいひとでしたけれども、子どもを預かってお母さんがリフレッシュできたらいいよね、と心を込めてくれていたけれども、そこにいって、離れてリフレッシュしただけじゃ解決できないことばかりだった。

 

預かってもらってお互いに疲れて帰ってきて、子どもの気持ちを考えずに早くお風呂はいって片付けて!って怒っていたのでは子どもと過ごす日々は豊かになっていかなかった。家族と共に自分がどう生きて生きたいかを考え、実行していく必要がある、それが母の仕事の1つなんだろうときづいた。

 

その園長は母の精神衛生についてを考える研究をしていた。

園長はいつも園長の椅子に座って事務処理してイベントの挨拶するだけの人だと思っていたのに、その人は研究者だった。

母の精神状態が安定していると子どもはどう育って行くのか、毎日毎日、ずっと母や子ども、時にはお父さんやおばあちゃんに寄り添い考えてくれる人だった。動物学、犯罪学、心理学、わたしはそこで、母から引き継いだ負になるものを引き継いで行く怖さを知った。そして違う場所でそれをまのあたりにもしていたことに気づいた。母から引き継いだ苦しみは世代を超えるともっとおもくなってゆくということに。わたしはわたしの代で断ち切る必要がある、それは子孫にとって、これからの未来にとって何よりも必要なことだと思ってます。わたしにとって壮大なプロジェクト。

 

研究しながら、でもいつも、幼稚園に通う今より1秒先の私たちの幸せのために力を貸してくれる人でした。79歳になってもたくさん悩むし今よりもっとよくなろうって考えているんだよ、とすなおにか立ってくれたなんとも人間臭い、園長先生ではなく、人生を重ねて深く柔らかく大きな心をもった人、だった。先生ではなく、地域で暮らしていた頃にいた面白いおじいちゃん、好奇心旺盛なおじいちゃんって感じかな。

 

わたしだけじゃない、母としてそういう苦しみを抱えた人はきっとおおいとおもう。

愛しいのに愛しかたを知らない、自分が待ってもらったことがないために子どもの成長の待ちかたを知らない、ただそれだけ。しかも世の中が、待ってくれないから、母となった自分が責められるのが怖くて身を守った結果、子どもが犠牲になってるだけ。そうしてその子が次の代に苦しみを引き継いで行く。恨みとなるかもしれない。

 

恨みは自己肯定感を潰して行く。自分の幸せも人の幸せも思えない、そんな苦しみを我が子にさせたくはないから。

 

母である自分を愛しく思えたら、子どもを愛せる。

あいするきことができたら、安心の中で子どもは育ち、家族である幸せを知る。

動物だから身を守るために群れをなす必要があるのかもしれない。少なくとも助け合える安心感は自分を支えてくれる。そうして豊かさは巡っていく。

綺麗事ではなく、それを経験してわたしは感じているからそうありたいとおもう。

 

母であることは、自分の中に宿った1人の違う存在を受け入れること。

その作業は実はとてつもないことなのだとおもう。

その受け入れる力で、人の生き方が出来上がって行くのだから。

時には実母がそうできないこともあるとおもう。それを支えてくれる人が必ずいつかどこかにいる。それを伝えられる人間に育つのは愛を感じられる人間に育たないと無理だと思う。

 

わたしは我が子に愛を伝えたい。けれども、わたしのように実母から愛を受け取れない人もいる。その苦しみもいたいくらいわかる。でもそんなわたしを救ってくれた人は、ははからあいをもらった園長でした。だから今度はわたしが血の繋がらない誰かを支えることがあるかもしれないし、我が子がそうであるかもしれない。

 

自己存在意義がなさすぎて、いつだって不安だったわたしが、母として我が子と向き合うために命をかけて変わったこと。いまでもかわりつづけるしかない日々。

 

でもそんな子どもたちのおかげでわたしはずっと生きやすくなった。また苦しみと課題はすぐにやってくる。本気で苦しくてもきっとそれを超えて、もっと生きやすくなって行くことが見えているから、ただただあるいていくとおもいます。

いまは楽で楽しくてしあわせになった。

 

母が本気で愛を伝える、わたしは母として、人として、わたしとして今、本気で生きています。

1日が穏やかで楽しく過ごせるかは自分次第、そうなるように日々を生きて生きたいとおしえてもらいました。そんな感覚を持った女性として生まれてこれたことに感謝をしています。

 

自分の持った豊かさ、優しさがたくさん溢れていく人にいつかなってたらいいな。

母としての苦しみが、かえてくれたこと。母にしてもらって、生まれ変わったように生き直させてもらったのだと思います。

 

家族は命の恩人。今日もいっしょにのじかんをいとしみながら過ごして生きたいな。