我が子と暮らす時間のなかで。

わたしは人生のどの時期よりも精神的成長のチャンスをもらっています。

だってね、嫌いな自分のまま、子どもと過ごしていたら、彼らに何も残すことはできないと思うんです。自分のことを大切に思える人に育って欲しい、そう思うのに、自分の未熟さにきづかず、自分の短所を短所のままにしていたら、そうなってはもらえないよね、って。

 

だから子どもと暮らしてる時間は自分に嘘をつけない、自分の人生を豊かに変える癖をつけて行くチャンスだと思っています。ありがとう、こどもたちー。

 

自分の両親との関係の悪さも、自分の性格の短所と思って来た部分も、見つめ見つめ見つめ続け、だいぶ整理ができて来ました。そうしてね、最近気づいたこと。わたしには夢がある。

自分なんて、って思って来たわたしだからこその夢が。きっとね、こうしていい時もイマイチな時もいつの自分も受け入れてゆくことが世界平和への小さくて大きな、けれども確実な一歩なのだと思ってます。

 

だからわたしは子育てって言葉を使わない。自分が育ててもらってるから。家族でそれぞれがそうしてお互いを思い合い育って行ってるから。自分育ち法による家族育ち。

 

共に暮らす時間は豊かな時間。だからまずは家族で助け合う。ちなみに家族で助け合う、という極意を我が家はタイの村に行った経験から身につけました。タイの田舎の小さな村にあるはずのコミュニティ。英語すら通じない村に幼子を連れて我が家族四人で向かうという経験は、家族で心を支え合う、ということの重要性をはっきりと教えてくれました。村の人同士で助け合うということは、多分村人同士が家族、なのだと思います。心が思い合ってるのだろうと。それからずっとそれを積み重ねているように思います。

 

私たちを助けてくれる友人家族は、私たちにとって家族、です。例えばゆうじんかぞくのお母さんが具合悪いから手を貸したいなって思う時、思い浮かぶのはお母さんだけではなく、旦那さん、子どもたちのことも。その人の旦那さんがなるべく負担少なく仕事に行けるように、子供達の生活に無理がないように。できることしかできないけれど、わたしにできることを手伝いたいと思う。その人の家族が今日も平和に1日を過ごせるようにと思いながら。

 

さてさてわたしには人生の素敵な先輩がいます。

素敵な60歳 70歳 80歳の先輩方が。

今あるわたしを積み重ねて、素敵なおばあちゃんになりたい、それが今のわたしの夢です。

そしてね、素敵な友人家族がいてくれます。

40代 50代の。

今ある自分を積み重ねて、素敵な40代50代になりたい、それも近くの夢です。

 

最近ふっと思ったことがあります。

両親が辛そうに生きているので、大人になることに楽しみが全くなくて、どんな人間になりたいかなんて考えたこともなかったし、考えさせてくれる人との出会いもなかったと思ってた(きっとあったと思うんですけれどもね、自分が生きているのに必死だったんだとおもうんです。)

 

けれどもね、今はわたしにはこんな人になりたい、って思う夢があります。

こんなふうに思い合える家族になりたい、自分になりたい。

憧れではなくて自分もそうなろうってその方達から学ばせてもらい、自分の生き方に変えてゆくがごとくこうして見たらどうだろう、って経験に変えて行く日々があります。

 

こうなりたい、でもそのために自分はどうしたら良いのだろう。

 

自分のすぐそばで生きている先輩方や友人家族がいてくれることで、わたしはいつもそれを意識し、自分に合う形に変えて試していくことができます。

そうして自分のあり方をいつも見つめてきたこの五年間。

わたしの人生の日々は180度変わりました。

 

その経験から思います。

失敗なんて何一つないのだと。

失敗と思われる経験によって気づいたことはとっても大きくて、そこからの自分の成長を考えたら、それは失敗とはいえないと、そう思っています。その失敗に巻き込んでしまった人に謝ることだって、そう自ら動くことで、じぶんの誠意を自分で感じることができるから。そこで気づいた自分のその未熟さを卒業できるから。

 

もし、そこで誰かが怒ったとしても、それはその誰かがなぜ怒ったのかに思いをはせることができる。そうして自分はそういう時、その人の立場になったならどうしたいかなって考えられる。こういう場面を第三者としてみることがよくあるけれど、大抵わたしは、怒るがわの人にもその人自身が抱えた問題があるのだろうと感じているけれど。いつだって自分は自分に誠意をもってこの行動をとってるかを、一つの失敗から考えるきっかけをもらってると感じています。

 

こうしてたくさんの時間、経験を積み重ね、素敵なフォーティ、フィフティ、おばあちゃんに近づいていきたいと思う今があります。

 

素敵な先輩方の存在もですが、素敵な友人家族の存在がみぢかにあることも大きくて。今のわたしは、いくら幸せそうに見える人も人それぞれ苦しみを抱えていることだってあることを知っているから、憧れる、ことがなくなりました。

素敵だな、とは思う。憧れに近づくのは難しい気がするけど、どうしてそんなに素敵なんだろう、ってことには近づいて行くことができる気がしていて。

家族かんけいをみていると、その人のあり方が少しわかるような気がするのです。家族関係が良い人は家族同士思いあえていて、だから自分も大事にできていて、家族の外にも愛を注いでいる。そういう人は日々を楽しんでる、って法則が見えて来たんですねえ。

 

そういう人は家族内ではあるけど(家族に甘えて、ね笑)、外でむやみやたらに怒ってないんですよね。だから外で声を荒げたり嫌味を言うってことは子どものいじめと同じで、寂しいんだろうなあ。自分を正当化せねばならない苦しさを抱えてるんだろうなあ、そう感じることが多々あります。伝えることと、それに怒りを乗せることは全く違う。自分にも相手にも異なる部分で未熟さがあるのだから、怒らずに伝える必要があると思うんです。相手の未熟さを責めていたら自分の未熟さも責められちゃう。共に成長し合う、それを認め合う優しさが今の世の中足らない気がしてます。自分もまだまだですが。

 

友人、そのだんなさま、こどもたち、と接していると自分がどうしたいかが見えてきます。自分がどんな風に家族とありたいかも見えて来ます。

 

こんな風に深く考えられることが日常になり、自分や目の前にいる人に愛を持とうって意識するようになったのも、素敵な先輩方のおかげで。

 

何をやってもうまくいかないって思わなくなったなあ。。しばらくは落ち込んでる自分でもいいや、って思えるようになったなあ。自分がどうありたいかの軸を持てたから、人に言われたこともファイルに分けられるようになりつつあります。そうして人の目に縛られていた人生から離れつつあります。

 

我が家のホームドクターはあなたが自分の人生を生きられるようにすることがわたしの仕事ですから、って言ってくださいます。

 

その言葉の意味を最近ずっしり感じ、心が震える言葉だなあって思います。お医者様が病気であるわたしはもちろんのこと、そこを超えた部分を見てくれていて、それが人生なのだって教えていただいた(わたしの解釈ですが)気がして。未だ、からだがついていかないひもたくさんあるけど、どう生きようかな、って思うとワクワクします。いつまでいきられるかわからない最後の日まで楽しみたいなと思います。わたしは家族と共に楽しみたいから、今ある家族の姿で無理せず要られるような状況の中で楽しもう、って思います。

 

たくさんの子どもたちが未来に希望を持てるようなうしろすがたでいたいっておもいます。

自分を大切に、自分の未来も大切に、そう思える人が一人でも増えたらもっといきやすいあたたかい世の中になるんだろうなあ。

まずは自分がそういきていこう。

そのための夢。

家族が気づかせてくれてわたしの夢、です。

 

娘2歳。初めてジャングル暮らしをした年でした。にいちゃんの帽子とリュックで遊んでました。ちいさいなあ。

たくましく育ってくれてます。こども旅日記、またまとめようっと。

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