日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

目の前で起こること。

毎日いろんなことが起こる。

感情がその度に揺れる。

 

外に出ても出し、家族ともだし。

いつもおもってることがある。

 

起こることには意味がある。

いいことは楽しい、でいいし、自分にとって良くないことは、どこかに学びがある、って最近は思ってる。

そう思うようになったから何か苦しいことに出会ったら、それを責めるんじゃなく、自分にとってここを超えたら、成長があるはずだと先が見えるようになった。そうしておもう。

全ては自分の受け止め方次第。相手が悪いわけではない。

 

あの人のこんなとこが嫌だ、それは私がそこの部分を受け入れることも受け流すこともできないということ。私の中で何が問題なのだろう、って考える。

 

自分が悶々とした時、何に悶々としているのか考える。考えてもすぐに答えが出ない時は、とりあえずいつものように暮らしながら、いつかこの悶々がどこから来るのか見えて来るだろうと思いながら悶々と暮らす。あんまり好きではない状態だけど、焦ってもわからないから仕方なくて、とりあえず人に会うのをやめてみたり、温泉入ってみたらしながらね。

 

そう、全ては自分次第だって今は腑に落ちてる。

自分がそう受け止めてるだけなのだと。

そう思ったら、家族以外の人との付き合いが楽になった。

自分に誠意があればそれでいい。

優しさも自分がどうありたいのかも全てそこに投入したのだから、そこで今話が噛み合わなかったとしても自分が出来るベストを尽くしたのだからそれでいい。

 

噛み合わなければ、今はその人と相性が合わないとか、お互いの学びのタイミングが違ってたとか、そういうことだと思う。自分がどうここにいたいか。

わたしは日常を自分の好きな場所で過ごしたいと思うから、そんな場所では、できる限りいつもきもちよくいたいとおもう。それは相手も気持ちよく私と顔合わせてくれたら嬉しいなという想いも含めて。

 

さっきお風呂から出てふっと、反省したことがある。

以前より旦那さんとの時間、子どもとの時間を気持ちよく過ごせるように意識するようになったとおもう。

けれどもまた学びの段階がきたようで。いや、いつも学びが溢れてるのだけども、家族のことは特に、特に、心を使う。私は感情がストレートに出すぎて嫌な思いをさせることも多々あるから。

 

イラっとした時に私の子どもへの感情の向け方に、自分のあり方への思いと矛盾があったことが突然ストンと見えてしまった。気づいてしまった。。

 

大ちゃんとこゆのきもちのひょうげんのしかたが気になって、昨日、またまたおこってしまったけれど、そもそもの根本の問題がまた一つ見えてしまって、大反省。。

私の表現の仕方に問題があったのだった。大ちゃんが生まれてから九年間、気付かずにきたこと。彼らに背負わせてしまってきた自分の問題。ここから芋ずるで色々見えて来るのだろうと思う。母との関係もみえてきちゃうし、今回はどどんと気づいてしまったからちょっと怖い。けども立ち止まってる暇はないわけで、今日から変わって行こうと思う。

 

目の前で起こることをゲームのように自分でクリアして行く。自分でクリアして行くしかないオリジナルゲーム。

そうして自分がもっと好きになるように、変わって行く。

今日も明日も楽しいじかんをいちびょうずつでもふやしながら日々を生きていけるように。

日々自分の人生ゲームなんだねー、笑。

 

でもそう思えるようになったから、ちょっと面白いかも。