自然療法を始めて。
2年半前に食事療法を教えてくださるお医者さんと出会いました。
そこでね、わたしの価値観を変えるたくさんの話を聞きました。
身体が滞っているから身体の不調があるということ。
体調不良は薬で治るんではない、習慣を変えないとまた病気になるということ。
足は第二の心臓、日頃からたくさんあるくひつようがあるということ。
大人の1日三食は食べすぎ、もっと少なくてもいきて行けるということ。
自分らしく生きれば病気になりずらいということ。
まだまだたくさんあります。おもいだしきれません。
その頃のわたしは朝、起きれないほどの体のだるさを抱えていました。
娘を産んだときに切迫早産になって二ヶ月も入院した理由がわからずにいました。
自分がどうして病気になるのかもわからず、自分が手放したい自分の癖がどこからきているのかとも向き合えず、人のせいにしていきていました。
その苦しみを子どもたちにぶつけ、旦那さんを含め家族がこの暮らしに居心地の良さを感じていないのでは?なんて考えたこともありませんでした。
イライラすれば子どもたちにぶつけ、旦那さんにぶつけ、ママ友に愚痴っていました。
うまくいかないのは一体なんなのか、考えようとしてもそのいとぐちがみつからずにいました。
そんな中、心の友が紹介してくれた自然療法の先生。
不思議な先生でした。
息子の喘息の治療に通ってるのに、なぜか家族全員血液検査をされ、家族のアレルギー数値を調べてくれる。。
長男をみたあと、あかあさん、どこかぐあいわるくないですか?ってきかれ、自分がだるくて、まいあさおきあがるのに全力を注ぎ込まなくちゃいけなかったことにきづき、気づいたら自分が受診してる。
子どもだけじゃあなくて、家族全員食事を変えてください、っていわれる。
面白い先生だね、旦那さんとそう言いながらも通い始め、一つずつ疑問が溶けて行きました。
子どもたちは親に長生きしてもらいたいから、病気というかたちできづきをくれているということ。
先生が家族のアレルギーを調べることで自分達の身体に合わない食べ物を教えてくれました。自分にあわない食べ物を食べるということは身体を傷つける事にもなるんですよね。そして病気にもつながってゆく。
あとね、何もない田舎で暮らしてわかったんですが、私たちってね、本当にいろんなものを身体に入れすぎているんです。日本人って素晴らしい感性があるからどこの国のお料理も美味しく作り上げてしまうんだと思うんです。だからね、わたしは、朝はパン、昼はファミレス、夜は家で天ぷら、カレー、オムライス、っていうのも当たり前のようにやっていました。おやつにクッキー、ケーキ。週末はピザやラーメン、中華まん。
日本人ってすごいんです。どれも本当に美味しくて、韓国人の友人も言ってました。日本のブレッド(パン)は超一流だよ、と。
わたしは本当に世界旅行をしたような食べものを当たり前のように食べてきたんです。日常の中で。
田舎で暮らした三ヶ月、わたしはタイのおかずと米しか食べていません。タイのおやつは甘くてふわっとしたものがなくて、甘くてパサパサしたドーナツとか、トラディショナルで美味しいのだけど米とココナッツとばななを使ったおやつとか比較的どっしりした食事のようなものが多いんですよね。
わたしはタイのトラディショナルおやつも結構好きなのだけどどっしりしてるのでそんなに食べれない。
なので果物とか自然とシンプルなものを食べる習慣がついてきづいたんです。
自分にあわないもの、多分たくさん食べてきたんだと思います。
和食を食べたのも自分の人生の半分くらいだったのかもしれません。
運動量より甘いものと油もたくさんとってきました。
先生が教えてくださったことにつながるたくさんの気づきがこの2年半でありました。
家族はみんな同じものを食べた方が、みんなの気持ちも自然に同じ方を向いていく、わたしもそうして見てみづからそう感じています。
そして子どもに合わせたシンプルな食事が自分の中に余計なものを入れないようにしてくれてると感じています。シンプルな食事に中毒性ってかなり低くって、お砂糖や油のような、止まらない感覚や、別腹の感覚がないことをしりました。
加工された美味しいものってきりがない、最近そう感じています。食べ歩きをしていた頃もありました。けれども日本人ってすごいから、いつまでも美味しいお店ができ続けるんです。お店のお菓子コーナーも新商品の数々。
ちょっとまえにふっと、こんだけ食べてどうすんのさ。ってわたしのそばで何かがそう言ったんです。
それ以来、外食欲がぐんと減りました。新しいおやつを買うこともなくなりました。
食べすぎたら身体を壊す、それだけは知っていたから、そう思うと、キリがないものに手を出すことの意味がわからなくなっちゃったんです。
時々、家族と話のネタにするために食べれたらいい、笑。話のネタはすでに尽きないけどね、笑。
そうして2年すぎ、いま、いろんなものを一気に食べてしまうと身体からのメッセージ送られてくるようになりました。胸焼け、発疹、イライラ。小さい子どもの体はさらに繊細で、顕著です。
でもそれが、じぶんのからだからのこたえなんだと感じています。
日本にいるのだから本来食べられるものは限られていて、でもその中にも美味しいものはたくさんあって。今はそれを見つけることが楽しいなって思います。
子どもたちは時々それを外に求めます。そうして加工品を食べて自分の体を通して知って言っています。
ホームドクターの先生はおっしゃいます。孫育ては今から始まってるよ。我が子の身体作りを支えてゆくことが孫の体に繋がると。わたしの切迫早産の原因はここからあったのだと思います。私の小さな頃からの甘いものの食べ過ぎは体を冷やし、骨盤などの臓器も緩めすぎたのだろうと想像しています。もちろん理由はそれだけではありませんが。
切迫早産の原因が自分にわかるなんておもったこともなかった。でも、全て自分のせいだって思うようになって、自分で原因が見つけられるようになったんです。そう、全ては自分からであり、自分の受け止め方次第。自分がどうありたいか、だけ。それがこの食事のおかげで発見でき、腑に落ちたんだと思います。子どもとのぶつかりも、誰かともつまづきも、相手のせいじゃ、ない。
で、田舎の山での暮らしは現代がどれだけ動かない暮らしかを教えてくれました。
台所に立つために野菜を取りに行き、薪をひろう。1日数度のトイレに山道を往復する。洗濯を足でする。町に買い物に出るのに家族四人で往復5時間歩いて、子供を抱っこするのに大人一人の手を取ることを考えて、持って帰ってこれるのはばななひとふさと、みかん1キロ、とうきび1キロくらい。
畑を耕すのにくわでいちにちはたらいて、畳2畳ほどのかいこん。水を得るために壊れた水道管を直すのに走り回る日々。
これだけ動いても現代ほど食べ物を食べていなかったと思います。ましてやお砂糖、油なんてなおのこと。だからホームドクターのお話がすごくすんなり入ってくるのです。わたしだけでなく、こどもたち、だんなさんも、日常の会話でお互いにこの理解が共通しています。
便利はありがたい。先人の知恵はすごい、そう思います。でもね、便利な今の暮らしが本当に便利なのか、最近疑問を感じることもあります。
こうして身体を動かしていた頃の方が、ストレスが溜まっていなかったんじゃないかって思うんです。人間だって動物だから動く必要があるからだだと感じてます。あとね、子どもとの暮らしで思います。便利になって手を抜けるようになった分、我が子や他人の評価をする時間が増えてるように感じているのです。もちろん自分の他人からの評価を気にする時間も増えた。
暮らしのために働く大人の後ろ姿を見て育つ子どもの中に、うまれてくる優しさもやっぱりあったのだろうと思うのです。あかあさんたいへんだから、てつだおう。そうしてお母さんは我が子にありがとうっておもう。手伝いってさせるもんじゃなくて、必要あってそうなったり、子どもの配慮でうまれるもの。
先生の食事療法、私たちを助けてくださって、わたしは今、子供達と外に遊びに行くことができます。
そんなこんなでシンプルが好きなわたしは食事には時間をかけません。そのせいか、大ちゃんが料理に興味を持ち、よく作ってくれてそれもいいきっかけだったんだろうなって思います。大ちゃんのご飯はわたしの作ってものと似ているけど本当に美味しい。こないだの朝ごはんは大根の漬物とご飯、あぶらげのおつゆに、新もののスナップエンドウの塩茹で。彼のセンスで作ってくれた料理でうちであるものでこんな風にできるのが本当にすごいと思います。
時々いただく卵でオムライスをそれぞれが自分で焼いて食べるのも楽しい。いつもないものだからあるだけで嬉しくて、セルフオムライスで盛り上がれる、笑。
いつでも子どものリクエストに答えられない、そんな食生活だけど、それでもいいと思ってます。こんな楽しみもあるから。そう、思考もシンプルになりました。子どもたちがかわいそう、下手にそう思わなくなりました。
時々丁寧に作ってくれるパン屋さんで好きなパンを選んで、ごっちそうーって盛り上がって食べます。そんな楽しみがあるのは身体が元気だから。
うまく言えないけれど、わたしは自分の身体とこころが本当に軽くなったんです。多分ね、子どもの頃よりも。
でね、我が家のジャングルライフは先生の教えてくださったことが腑に落ちることがたくさんあって。理屈じゃなくて自分たちの身体がそれが自分にあうのか合わないのか答えを出してくれていて。アーシングとか自然療法てきなこととか、いろんなことが今言われているけど、理屈じゃなく経験として感じることが私たちにあって、少しずつここに記録していこうと思います。
ホームドクターの先生とお会いできたことは奇跡だったと思います。私たちが自然とともに生きていこうとしてるその道のりを支えてくれてる、そんなかんじがしていて。わたしがわたしとして歩き始められたのは先生のおかげで。先生はこれをみてらっしゃらないけどただただありがとうございますとしかいえません。