日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

その12(自然の中での暮らしは、ただただ受け入れるとしかないことがたくさんあるということ。)

24時間以上も続いたバケツをひっくり返したような雨。夜中にもざんざか降る雨にも目げず、その音を聞きながら眠る。

 

個人的には欲を手放せたら楽だろうなと思っているけど、欲を持たない方がいい、と言いたいのではなく、ここでの暮らしは、受け入れるしかないことが多いことに気づきます。

 

この雨もどうもしようもなく、家の中でできる仕事をしながら、雨がすぎるのを待つしかないんです。濡れてしまったら服が乾くのを待つしかなく、ただただ受け入れるしかない自然の中での生活。

 

ここでの暮らしを経験すること三年目、今年の大きな気づきは、ただただ受け入れるしかないことがたくさんあるということ。

 

日本で暮らしていた頃はお金で解決できることも多かったし、小さな頃から欲を叶えてもらうことに慣れていた気がします。だから小さな事でイライラしていたのかもしれません。

 

子どもたちが時々うるさーい!!って感じてしまう事、笑、せっかく出かけようと思ったのに車が壊れちゃったり子どもが熱を出しちゃたこと、自分の時間が取れなくてイライラしてしまう事、うまくいかない事だらけ。それを自分にせいにし、人のせいにし、何かのせいにするくせがついていたのだろうと思います。

 

これらがうまくいかないのは、私だからであり、でも決して私のせいではないのかもしれません。この雨と同じ、自然な事。自分が不器用なことも、人とのコミュニケーションがうまく取れない環境で育ったということも、全て、私にとって、ある意味、「自然の流れ」だったのかもしれません。

 

まずは目の前を受け入れる。受け入れてみたら、この雨のように解決の方法が見えてくるのかもしれません。

 

この雨は私に、ただただ受け入れるということを教えてくれました。ここの人が穏やかなのは、こうして自然の中で暮らしているから、ここで暮らすために、自然を守りながら自然と共に暮らしているから、どうしようもならないことを受け入れられる力が大きいのかもしれません。

 

昔の北海道で暮らしていた人は、死なない程度の寒さは耐えたのだろうと思います。だから身体を冷やさない食生活をしたり、夜も火を絶やさない知恵を生み出したり。ストーブ焚いた部屋でアイスを食べる醍醐味を北海道の人は持っているけど、それでも外に出ると寒いので身体にとっては矛盾を生じるのでしょうね。こうした暮らしがたくさんの病気につながる現代になってしまったのかもしれません。

 

私が漢方を飲んでも、腹巻しても、ツボ押しをしても冷え性が治らなかったのは生活習慣に問題があることに気づかなかったから。その話はまた次回に。。

 

子どもたちと夕飯を作ります。ロングビーンズ。

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畑から集めた野菜と一緒に。

 

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