日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

その11(ただただ待ち続けるだけの雨の一日。)

ジャングル今日は朝からひとつきぶりの大雨。絶え間なく降り続いています。壁のない我が家は雨の中の雨宿りの感じ。

 

日本でアパート暮らしの我が家はふた部屋と、小さな窓が3つ。北海道は二重窓になっていて、ここは昔の作りなので、内窓は曇りガラス。夏場は内窓をあけて日をいれますが、冬は凍りついてあきません笑。居間の窓だけは凍らないので時々日を入れますが。

 

そんな日本の普通の暮らしをして来た我が家ですが、ここに来るようになって三年目。雨のリズムをつかみ、この雨が何日間か続くことを予想して、万全の対策を立てる一日。

 

雨が続くと気温が下がるので、お茶を飲んで暖をとるしかないので、焚き火をできるようまきの準備。
洗濯物が乾かないので洗濯物を極力減らす。日中着るものは二日くらいきる覚悟で。洗濯したら、焚き火の上で干して僅かでも乾くように。

 

体温を下げないように極力服を濡らさない。(子どもたちはそれでも外に飛び出して行くので仕方ないですが。) 体温が下がらないように上着着たり、生姜茶飲んだり。

 

三年目の経験が生きて雨宿りの家を楽しんでいましたが、気づいたら雨漏りが!!!!!寝袋1つやられ、この雨が済むまで寝床が1つ、減ってしまいました。。でも旦那さんがさっと屋根に登って応急処置。って、さっと、ってここの人に少しは近づいたかな。。もう一箇所の雨漏りは蚊帳の上にビニールを敷いて応急処置をしています。どうにか乗り越えられますように。

 

風邪気味の私は布団に入って暖をとりつつ、雨音の響く森を眺めながら昼寝です。やはり気温の下がってきた森の中は少し心もとなく、動物たちが雨の日は外に出てこない意味がとてもよくわかります。これが洞窟だったならもっと暖かかったでしょう。

 

こうして、人にとってはちょっと厄介と思われがちな雨。でもこの雨はひと月続いた乾燥した大地を、潤してくれています。植えたばかりの苗に毎日水をあげていた私にとって、この雨が与えてくれるものの大きさを感じずに入られません。

 

昨日雨が降りそうなのを察して耕した畑に一気に種を蒔き、稲わらをしいた小さな畑にも雨は深くまで浸透していってくれているようです。水やりでは補いきれない地中まで染み渡る水を雨は余すことなく与えてくれています。この休みなく続く雨が硬い豆を売るかし、根を張り始めた苗に勢いを与えてくれることを実感として感じることができます。

 

この雨の後は、一気に植物が潤いをまし大きくなる。暖かいこの土地での雨は植物の育ちをぐんぐん、目に見える勢いで早めてくれる存在。

 

そしてまたその雨は、近頃泉からやって来る、水が減り始めた我が家の生活を支えるタンクも一気に潤してくれるでしょう。シャワー、飲み水、洗濯。雨は人間にどれだけの恩恵をくれているのだろうと実感せずにはいられません。

 

だからこの寒さも、身動きの取れない(滅多に降らない雨に対する傘の準備はしていないので)、この時間も嫌がることもイライラすることもなく、この時が過ぎるのを待つだけなのです。

 

便利ではない暮らしの中で、本当に必要な最低限のことはなんだろうって考えます。

 

いま、私がここでしている暮らし。

 

まきから火を起こし食を賄うこと。
暖かい時間を狙って、太陽光でぬるくなった水でシャワーを浴びること。その反面、寒い日は浴びないことも受け入れること。

少しくらい汚れた服も、臭わない限りつかうのに支障がないこと。
欲しいものは竹や木や葉っぱで作ること。(お皿、スプーン、古着から作る子どもたちの服も)
買ってきたものはブランケットとマットレス、わずかな共用の調理道具とタライ。おさがりの服。

 

 

おもちゃがないこの家で、雨の日の子供たちは、作り途中の土壁に、旅に出るお兄ちゃんからもらったビーズを埋め込み、食堂に集まったみんなとけん玉をし、雨漏り修理途中に旦那さんがとってくれた蜂の巣に目を輝かせ、いつまでも遊んでいます。

 

化学調味料が好きではないので食事はいたってシンプル。塩と油と、野菜と卵。そしてご飯。毎日夫婦で得意分野をする。旦那さんが家を住みやすくし、私は子どもたちの希望に寄り添いつつ、お願いして好きなこともする。今は畑作りが好きなのだけど、気づいたら子どもたちもやっていたりします。

 

日本で食べたいものがたくさんあった暮らしから、食べれるものにあふれていない暮らしをして、2年余りの時間をかけて、食べたい、ということも少しずつ減ってきました。この中にある食べたい、だけで、実は十分であり、身体にとってはそれ以上は負担でしかなかったのかもしれないということ。今の一日、二食の暮らしが、身体が軽くて楽だということも、そうして身体を使う暮らしが、心地よいからこそ、自分の身体がどうして欲しいかを感じられるということも。今、雨の中、風邪引いてる自分の体に対する不安がないのは、ここで暮らすことに調和を取れてきたからなのかなって感じています。

 

本当に足りない食材を買いに行く。週に一度だけカフェに行く。日常が家族と共にあり、人の優しさにふれ、家族それぞれが自分の好きなことをしている日常は、遊園地に行くよりも楽しい。ただただこんな暮らしの繰り返しに見えるけれど、新しい人や、ことに出会い、ふと自分が変わったことを感じられる、こころ穏やかな日常がすごく豊かで、私はこれ以上のない暮らしをさせてもらってることを実感しています。


自分がしたい暮らしをしていること。受け入れられることが増えていったり、時には受け流して行く力もついて日々成長している自分を想えること。健康でいること。家族でも、ともに食卓を囲める人でも、とにかく仲間がいること。

雨宿りのこの家での暮らしがどれだけこころ豊かかを、自分の中で納得しています。こうして「足る」を知っていく道を少しずつ歩んでいます。

明日は少し良くなるかなー、風邪。暖かくして休息をとる。ただただそれだけですね。

 

ジャングルクッキング。20人分の料理を作って、ハーブをたくさん使って味付けします。これがここでの伝統的な暮らし。食べ物と生活習慣と心のあり方が変わりはじめてやっとからだのひえがかわりはじめました。

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炭で歯磨き粉をつくりました。 

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炭を粉にしてペパーミントのオイルを混ぜてできあがり。

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