日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

その8。日々を丁寧に過ごすこと。

pcが苦手な私。でもせっかくなのでここでの気づきを記録したくて開いたものの、せっかく通信ができるカフェに行ってもひらけない頃がしばしば。どう考えても自分にはできないって思うので、そんな時、私は結構あっさりと諦めます。旦那さんはうちにいても、私ができるようになるように、自分でやってごらんって教えてくれるんだけど、覚えることもできないので、もう決めました。ブログだけ書ければいいやーと。

 

時間をかけるなら、自分にできること、本当にやりたいことだけやる。

 

そういう思考になりつつある自分が変わったなーっておもいます。食べるものはその人を作るっていうのはどうやら本当のようで、我が家の暮らしは今、時間をかけながらシンプルに向かっています。暮らしの多くがシンプルの方向(今はまだそちらを向いてるくらいですが、笑)を向き始めたことで、自分の決断が楽になりました。

 

そんな中での旦那さんとの会話をひとつ。

 

みんなあれこれやりたいって言いつつ、「バタバタしてできない」っていうけど、何にバタバタするんだろうねえ。結局大してやりたくないんじゃないかなあ。。

 

ああ、そうかも。少なくとも私自身は思い当たります。バタバタしてできないことが多すぎて、程のいい、言い訳としてすら使ってた。

 

望んで子どもをうませてもらって、子ども達との時間を過ごすことも選んだのに、あれもこれもなんとなく興味あって、だった私。本当にやりたいなら、動けたなあって今は思います。旦那さんに相談する、その時だけ覚悟決めて子ども達にdvdでもみていてもらって、などなど行動に移せることはあるから。でもやらなかったのは時間がないからではなく、対してやりたくもなかったから。要するに自分がわかってなかったんだろうなあ。

 

本当にやりたいこととそうでもないことを区別して扱わないと自分の中で混ざってしまって疲れちゃうしね。やってみたーい、なんていったことで相手がその気になって話が進まなかったら謝らないといけないし、初めから言い訳しなくていい本音の言葉をはなすことって大切だなあって思います。

そんなわけで、私は、「忙しくて」とか「バタバタして」という状況が好きじゃないのでそうしないように心がけてます。バタバタしていては日々成長して行く自分と向き合うことができないから、子どもたちとも向き合えた気がしなくなっちゃうから、この言葉もめっきりつかってません。

 

あ、でもここだけはバタバタしちゃうシーンがありました。子ども達とバスに乗って出かける時!早めに準備始めるのにね。なぜか靴を履いてからおしっこ、とか言われちゃうのね。いつものパターンだからもっと早く靴を履かせてみればいいのになかなか変われない私。この時だけは本気で「バタバタしてます!!」

 

先日村に遊びに行きました。片道1時間、登山と言わんばかりの道でしたが、村について気づくと子どもたち、川で遊んでます。気づくと村のこと一緒に。

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子どもたちのコミュニケーション能力の高さにいつもびっくりです。子どもたちがいてくれること、わたしはこうして平和を感じさせてもらってるんだなあ。すごいですね、子どもたちは。

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