日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

我が子に思うこと。

ただいま1週間ほど、我が家に居候さんがいます。私たちをサハイナンに導いてくれた家族。札幌ライフを満喫してます。

 

いや、してると思います笑。今回は父子で旅をしてるお二人、我が家にいても玄米ご飯とお味噌汁。でも外に出れば美味しいものたくさん食べれるし、いいかなって勝手に思って笑、我が家はいつものペース。それぞれのペースでご飯食べて日中を過ごしています。

 

暮らすようにたびしてる感じかな。お父さんはいつも娘のtちゃんのペースでのんびりゆっくり動いています。娘ちゃんも高学年だけどお父さん大好きでなかよしおやこ。ここにお母さんがいたらまた雰囲気が違ったんだろうな。お父さん、とことん娘ちゃんに合わせる人で、無理せずのんびりで、勉強になります。甘やかすというより、心のキャッチボールをしている感じ。

 

そうそうこの夏、わたしにとって大きな学びが2つありました。1つはトモエ幼稚園のスタッフ研修、もう1つは自然療法のお医者さんが企画してくれた勉強会。

 

わたしはここで自分がどう生きて生きたいのかをもう一度整理させてもらいました。わたしはわたしとしてどのように1日を暮らしたいか、家族とともに、いまをどう生きて行きたいか。

 

そして希望する愛の形をもらえなかった子供の頃からの自分の心の寂しさをどう癒して、自分と付き合って行くか。自分の愛し方を自分に聞きながら考えていく、いま、そんな日々を積み重ねています。

 

わたしは自分を知らないということを知らなかった。それを感じた2年前、1つずつ気づいたとこから歩き始め、今のわたしをハグして生きて行くことで、わたしの親から続いてきた愛してもらえない気がするという苦しみを、ここで断ち切りたいと思えるようになった一年前。そうして自分を愛する方法を探りながら今日この日にたどり着いています。

 

今は、今の私の身体を大切にして、身体も、心も癒して生きたいなと思う日々。

 

そう思うようになって、私はやっとじぶんがどんなひとになりたいか、どういきて行きたいか、旦那様や我が子との今の時間を、どんな自分で暮らして行きたいかがやっと考えられるようになり、動けるようになりました。

 

そうしたらいまを受け入れる器が少し広がり、今の未熟な自分を受け入れ、抱きしめて行くことで変わって行けることがわかり、自分に鞭を打つ必要はないのだとわかり、楽になりました。私はもう十分に頑張ってる。これから変わりたいとすれば、自分が何をしたいか、何ができるか。自分を犠牲にするのではなく、自分とともに生きて行く方法を見つけて日々を過ごして行きたいと思っています。

 

だからね、頑張ることが当たり前で、いつだって自分を無視して頑張ってきた心と、それを支えるために、何も言わず頑張ってくれた身体を一番に大事にしたいなと今は思っています。

 

怒っちゃうときは怒る。でも怒るのはしんどいからそれを過ぎたら、解きほぐす。周りにだってごめんね、って言えば済むこと。これから変わって行きたいのだけどもうしばらく許してね、って言えばきっと伝わって行く。私と母の苦しみはもう繰り返すことはないのだと今は信じられます。深く深く自分を掘り下げて、過去の苦しみを知り、記憶の中で育ち直してようやっと今があります。

 

でも今は、まだ我が子とともに子ども時代を育ち直しています。そうして小さな人の優しさを感じて自分も優しくなりたいなと願う。そうしてふと思うこと。優しさに大人も子どももない。できること、やりたいと思うこと、動いてみることに大人も子どももない。経験値は大人の方があるけれど帰ってそれが邪魔をすることも多いから、子どもの方が生きることは上手かもしれない。

 

大人は行き詰まって自分を責めるけど、小さな人はいきづまることもなければ自分を責めることもないんじゃないだろうか。それが彼らの柔軟さ。

 

私のそばには今、私を支えてくれる人がいます。だから私は今が幸せだと思える。支えてくれる人への感謝、そのことを忘れるときはひと時もなく、それを思った瞬間、私の心が穏やかさに包まれていくことも感じています。

 

もうひとつ、子どもの頃からできなかったこと。大人の世界を喜ばせるために、たくさんの気を使ってきました。けれどもね、自分がしたくないことをして大人を喜ばせて、自分のことがわからなくなってしまってました。

 

だから今は、やりたくないことはしない。

 

「したくなくてもしなくてはならないことがある。」そう言われて育った私は、やるべきことの中に、しなくてはならないことがあるのではなく、自らしたくないことに飛び込んでくることが多い人生でした。けれど、我が子たちがまずは自分がしたいことを土台に置いているのを見て、比重を変えようと彼らから学びました。

 

楽しいことをたくさん、しなくてはならないことを少し。人間、いろんな特技、不得意があるからきっと、そうしていても成り立つんじゃないかって今は感じています。そうしてできないことはお願いして、心から感謝と敬意をかんじる。そうすることできっと、自分の周りの人ができないことを私がしてお返しすることも訪れるのだと思うのです。

 

だから、無理はしない。生きることに無理はいらない。きっとね、自分が穏やかでいられれば優しくあれる。それを苦しみの中で育ち、人に負けないことで自分を保ちながら育ってきた私の心と、挑戦してみようと思うのです。勝ちも負けもない、私は自分を生きればいいだけ。

 

私は昨日大事なことに気づきました。我が子たちは母として未熟な私をいつも受け入れ励ましてくれるそんざいです。彼らはいつもすなおに表現をしてくれます。お母さんには内緒ね、と他の大人にこっそり食べさせてもらったジャンクフードも教えてくれます。昨日、大ちゃんはそのことを伝えた後、私に言いました。言わずにごまかしたら、ママがが悲しむから。

 

そんな優しいー我が子を私はいい加減に受け入れなくちゃならないなって感じるようになりました。あんなもの食べて、こんなもの食べて、と、責めるようなことばかり言ってきた自分をふと振り返ったのです。

 

わたしは8歳になった大ちゃんにもう十分、食べるものについて伝えて行動してきた。放射能のことも添加物のことも。だから大ちゃんは買い物をするときに自分で原材料表示を見て買ってきてくれるのです。もっと我が子を信じようよ、って私の心が言っていました。そうだね。信じよう。

 

こういうことがあったらこれからはこう考えようと思うのです。

 

それをした時、我が子は幸せだったのだろうかと。幸せだったのなら余計なことを言う必要はない。伝えたいことがあるなら、わたしは今はこうしてほしいとおもっているよ、と彼自身の選ぶ権利を潰さずに伝えよう。

 

昨日のことで例えるなら、フードコートのラーメンをTちゃんおやこと食べた大ちゃんは幸せだったかな?って。答えは明らかでした。幸せだったよね。大好きなTちゃんと大好きなTちゃんのお父さんと過ごした時間。そして食べてみたかったものを食べて。

 

大ちゃんの人生でこの楽しかった思い出はしっかり心に刻まれたでしょう。それを帰ってきた途端に、そんなもの食べて、って言わずにいれてよかった。時々のジャンクなものより、自分の人生を楽しめる生き方を彼が後悔せずに選べること。自分が生きているうちに、楽しい思い出を積み重ねてもらうこと。そうして私がいなくなったときに心の中の私が我が子を支えられたら、そのときにやっと、私はこの子の母親にさせてもらった恩が少しだけ、かえせるんだろうな。

 

私は我が子と旦那さん、まずは家族の幸せを願っています。だから自分がどうしたいか、今の私が思うのは、自分が優しくあること。素直であること。自分に優しく、人に優しく。みんな今のベストを生きてるんだものね。すなおな人間でありたい、幸せを喜べる人間でありたいと今の私は心から思います。

 

我が家で育ったハーブでお茶にしました。喉に優しいブルーマロウはレモンを入れるとピンクに変わります。今まで三年番茶とかこだわってたけど、自分のそばで取れるものがあるから、もう買わなくていいなあ。

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ハーブティ、熊笹茶、よもぎ茶。時々梅ジュース。甘いものに支えてもらって生きてきた分、食べ物への執着が強い私。頭で変えて行くのは無理だから、こうして少しずつ、満足を取り入れて、朝だけでも半断食。これになれたらもう一度断食してみようと思ってます。

 

前回断食してから、背中の痛みと腰痛がなくなって楽になったんですよね。必要以上に取り入れてきたから、今度は引いていこうと思ってます。自分の身体には何が合うのか試してみるのが楽しい。自分の暮らしは十分に豊かなのだと感じています。

 

今日もありがとう。