生きていること。

   昨日コユが熱性けいれんを起こしました。熱はあったものの自分で服を脱いでお風呂に入ってきたコユ。寒いというので少しお湯の温度を上げてあたためてあげようとおもったときに息子の叫び声。

 

    慌ててみると、目を見開いてがくがくしてるコユの姿がありました。呼吸が弱くなった瞬間、泣きながら救急車を呼んだわたし。3分近くの間、コユは震えていました。そうして白目をむいて泡を吹き、ウトウトし始め。。。。。胸を見ると小さくピクンピクンと横隔膜が動いているだけで、きちんと呼吸ができているのだろうかと、手を握ってひたすら声をかけ続けることしかできなかった。泣こうと口は動いているのにいっこうに声が出ないコユ。

 

    救急車は10分ほどできてくれました。そして隊員さんがきてくれた途端、ようやっと泣き始めました。仮死で生まれたあの日と同じ。コユはまだうつろな意識の中、優しい隊員さんのおかげでわたしは気持ちの落ち着きを取り戻しました。

 

    病院に着くと熱性けいれんをとの診断を受け、ようすをみましょうとのこと。この日は血液検査で帰宅することができました。優しい救急隊員さん、病院の警備員さん 、先生。自分がどれだけ支えていただいていたのか、本当に感謝が尽きません。

 

    こうして繋がれたコユの命。そしてコユ自身の生きる力。ありがとうコユ。コユは生まれた日に続き、二回も命がけでわたしに伝えようとしてくれたことがありました。いえ、一度した流産もコユだった気がしてならないので、もしかしたら3度目かもしれません。

 

    人が生きている奇跡。日々を共に過ごすことができる奇跡。人の命の尊さを、母にさせてもらったわたしは、深く感じています。今までもそう。けれどもその認識が薄かったのだと思います。今、いろんな気持ちを整理して、ドスンと腹の底で感じています。

 

    生きていてくれてありがとう。生きているだけで、いい。笑ってくれるだけで、いい。抱きしめられること、その温もりを感じられること、これは奇跡なのだと。

 

    そう思えた途端、とめどなく流れる暖かい気持ちは、わたしの中のインナーチャイルドにも伝わったようで、人は生きているだけで素晴らしいんだって、心が今でも震えています。それから毎日、コユと大ちゃんを抱きしめ、今日も生きててくれてありがとうと言えるようになった。もちろん旦那さんにも。

 

   そしてすれ違う人にすら、生きてる奇跡を感じる。生きるということは奇跡なのだと。そして生きている命は愛し愛されることができるのだと。

 

   わたしもたくさん愛されている。愛している。もうこれ以上手に入れなきゃならないものは何もないのだろうとおもいます。生きてる時間をどれだけ、わたしらしく生きるか。わたしらしく生きよう。今を積み重ねよう。

 

   コユが教えてくれたこと。これ以上彼女が母のために命をかけずに済むようにわたしは成長したいなと思います。子どもは神様。本当ですね。

 

    生きてくれてありがとう。私の身体は私が知らないうちに不調を治し、生きてくれている。いつだって私のためを尽くしてくれてる。そんな私の身体に心から愛しさを感じます。ありがとう。自分の身体を、直感を大切にしてみよう。こんなことに気づき、私は今年はもう一度誕生日を迎えたような気持ちでいます。コユの誕生日、それは自分の誕生日でもあるのかもしれません。沢山のことを教えてくれるこどもたちへ、もう十分にいただいてるから、年取っても決して親孝行なんて考えなくていいからねー!!私はいつになったら子孝行出来るのだろうか。そう感じています。