日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

ハサミのこと。

   使っていた裁縫バサミがきれなくなってきた。だから包丁用の砥石で研いだ。そうしたら全くきれなくなった。わたしは知らなかった。ハサミは包丁のように両面を研いではいけないってこと。

 

   全くきれないハサミを捨てようかと迷った。というか捨てたくなかった。なぜかというと、このハサミを捨てた場所の状態をリアルに想像できるようになってきたから。これを捨てて新しいのを買うのは簡単なこと。けれど孫の代にはこうして私たちの捨てたゴミでたくさんになっているだろうと。

 

    タイでの暮らしで、わたしはうちの前でビニール一枚を燃やすのが嫌だった。くさくて本当にあたまいたくなるし、明らかに土が汚れる。でも今まではわたしはゴミは出たら捨てちゃえばいいという気持ちがまだまだあった。面倒臭くてお肉を揉む時は袋を使った。でもね、このゴミは焼却されるからいいってもんじゃない。土地の汚れは地下に染み渡り水を汚す。空気を汚す。大地を汚す。その中で私たちは生きなくてはならない。

 

    便利さが生み出した小さな環境破壊は、温暖化という大きなものではなく、アレルギー、うつ病発達障害、がん。。。。。というみじかな問題としてもうすでに私たちに帰ってきているんじゃないかって、ちょっと想像してショックを受けた。そうして綺麗に暮らすことで私たちと生きてきた微生物を排除していく。私たちの身体はすでに生きずらさを抱えているのかもしれない。

 

    そう思ったらこのハサミは捨てられないって思った。わたしが気づいたこと、多分きっと大事なこと。だからわたしは90歳の大家さんに聞くことにした。ハサミをもう一度使えるようにできないかと。大家さんは笑いながら教えてくれた。「研ぎ屋さんにだすこともないよー。裏面も少し強めに研いでごらん!!」

 

    帰ってやってみること30分。なんども試し切りをしてついに切れた。嬉しくてこのハサミが一気に愛用品になった。このハサミと生きていこう。そして今までは値段と比較して迷っていたけれど、これからは迷うことなく道具は直して使えるものを買おう!!

 

    90歳のお知恵を引き継ぎたいと思った。今引き継がなかったらもう引き継げない。生きて行くことを専門家に人に頼り切らないとならない。自給自足の暮らしをしようとは思わないけれど、自分の近くにいる人たちと、自給他足の暮らしをわたしはしたい。助け合ってみんなで補って行けばいい。

 

    少しずつ積み重ねて、いつかわたしも知恵の宝庫になりたいな。生きるって頭じゃない。きっと感覚。昔の人は感覚が豊かだったのだろうと思う。

 

    これがハサミが教えてくれたこと。じぶんさえよければいいんじゃない、生きる知恵を身体に取り入れて引き継いで行くこと。そうしたら未来にもいい気がする。そんな優しさを引き継いで生きたいと、わたしの母性がつぶやいた。ありがとう、それを気づかせてくれたわたしの大切なハサミへ。