森のヒーリング。
春の山菜を見にいくイベントに参加しました。主催者さんのお人柄でいつも素敵な人が集まるその場所は、久しぶりにあっても変わらず心地のいいところで、楽しい時間を過ごさせてもらいました。
ふき、イタドリ、よもぎ、わらび、ギョウジャニンニクくらいしか知らないわたしのせかいを広げたくて行ったイベント。今回の講師の方は山好きが高じて、木々や花が好きになった方で、好きなことをしていくうちに世界がもっと深くなって行って、自ら学んで得た知識だそうで、たくさんの面白いこととともに私たちに山菜や山で暮らす者達について伝えてくださいました。この方もとっても素敵な方でした。
こうして山菜を学びにいくことを超えて、その方の生き方を学ばせてもらう。そんな機会をいただいたことに感謝しています。今日は大ちゃんと行きましたが、大ちゃんに負けず私も日々学ばせてもらっています。いろんな方の生き方から。
こちらは山菜。ギョウジャニンニクやいらくさ。
This is wild glasses.I am learning about this now.
こちらは木々。よく見えないけど、木の枝に顔がついてるんです。面白い。こうして楽しむんですね、知らなかったなあ。自然の中は日々変わっていて、本当に飽きません。町暮らしは買い物に行くか食べるくらいしかやることない私でしたが、こんな暮らししてたからジムに通う必要も出てきたんだなあってかんじています。なんだか、生活するために稼いだお金を、こうして使っていたのだけど、何もやることがなくなるとなんかしないとならない感覚になり、ゆっくり自分と向き合う心の余裕も持てなかったな。喫茶店にいってもそういうことにきづかなかったのは何故だろう。。
This is new leafs. We can cook tempura.
きっとこれは自然のヒーリング効果なきがします。自然の流れの中で生きていると、昼寝したくなるし、夜は暗くなったら体が眠りにつく。食べ過ぎると午後の農作業ができないから食べ過ぎないし、何より、自分で育てたり、山の中で育つ植物を見て無駄には食べたくないとおもう。肉にしてもしかり。
私は自然のそばで生きていたいんだなあと思う。そしてそれぞれの人が自分のぺースで生きられたら、うつで苦しむ人も減るんじゃないかなあって。病は自分に合わない暮らし方をしてることを、身体が教えてくれてることなのかもしれないなあって感じる今日この頃。わたしの甲状腺の病気もそうだったんだと思います。だからこれも自分の一つ、苦しみを引き受けてくれた甲状腺を、大事にして生きたいと思っています。いつか、甲状腺が楽になってくれるように。身体と、ここに住む微生物が、調和して楽しく生きて行けるように。
ふと、きのう、玄関先を掃除し1人になった時に、思い出しました。掃除は瞑想効果。自分に余分なものも吐き出してる気がします。だから掃除をするとスッキリするのかな。
しなくちゃいけない、のではなくて、したいからする。最近、掃除しなくちゃーになっていたので、それをふっと思い出しました。したいからした、玄関先の掃除の後、ここ1週間続いていたモヤモヤが消え、穏やかに過ごせるわたしがいました。きっとこの掃除は、玄関先ではなく、心を掃除したんだろうな、と感じています。忙しさの中では、きっと、そうはできなかったろうな。心が軽くなり、また嬉しい日々が戻ってきました。ありがたやー。
森はわたしを子どもにしてくれます。子どもらしい子ども時代を過ごせなかったわたしにとって、子どもになれる時間は大切な時間。山の中で息子を突っつき、知らないことを、なんで?なんで?と聞きまくったわたし。帰り道、送っていただいた友人家族とキャーキャー騒いぎながらかえってきてしまいました。テンション上がっててごめんね。
こうして大人をしながら子どもをさせてもらってます。なんで大人って言葉があるんだろう。子どもって言葉があるんだろう。生きてる上では繋がっていて、経験も人それぞれだから、この区別は必要なんだろうか??そう思う今日この頃です。
We cooked tempura.