日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

北の沢から西岡まで子どもたちと歩いて3時間。

   タイの記録をまとめています。昨年は旦那さんのテーマをお伝えする場を頂いたのですが、私も私なりに学びがあったので、表現してみようかな、と思い立ち、だんなさんに相談。そうしたら思いの外、長くなり、今なら私、いい卒論書けます。いいというのは、研究としてと言うのではなく、自分でほりさげて思考したということ、自分の生きて来た中での経験を生かし切ってるということ。何より、まとめることも楽しくて、自分の気づいたことが、自分の言葉であり、それをお伝えすることで、私が今、生きることが楽になったということをシェアできるかもしれないということ、そういう意味で、私にとって意味のあることだと思っています。そして自分のために動いたことが、誰かの心に止まり、生きてくれるなら、それは嬉しいことだと思うのです。

 

    私も以前は人と比較して落ち込んでばかりでしたが、今はまあ、そんな受け止め方があるのだと、生き方がいいなあと思う方と話をします。その話の中に、たくさんのヒントが混ざっていて、自分の気づけたところからスタートでいいって思っているので、少しづつ。

 

   私が今興味のあることはいくつかあるけれど、一番は、自分はどう生きて生きたいかと考えてい人と話をさせてもらうこと。聞いたりシェアしたり、そうすると、自分の日々もワクワクしてくるのです。今のこの時間を、今の姿の家族とどう楽しむか、今の子どもたちとの時間も、自分の人生として楽しみたいと思うのです。忙しくてできない、と私が使って来た言葉は、子どもが小さいからできないことが多い、旦那さんが忙しいからできない、そうでなく、本当は自分がやりたくなかったんだろうと思います。もしくは身体が疲れて、心と体のバランスが崩れてついて行けなかったり。自分がやりたくないのになんとなく社会の流れからやったほうがいい気がして、とか、みんなが盛り上がってるのに飲まれて楽しい気がして、動いていたこともたくさんありました。でも今気づいたこと、みんなが同じことをするより、そこから外れた人がいることで、外れていても優しさと穏やかさを持って生きている人であれば、バランスが取れていくのだろうと思うのです。そう、どんな風に生きて行きたいか。賢い脳を持った人として、いろんな感情と心を持つ人として。

 

   だから忙しくて、と言う言葉を最近めっきり使わなくなりました。バタバタもしない、忙しくもしない。そうするくらいなら、私は1日くらい家事を放置できます。忙しい気がして気持ちが荒れるのが嫌だから。もちろん、今でも子どもたちや旦那さんにあたっていたりしてハッとしますけれどね。でもそれがほとんどなくなったから、ゆっくりゆっくり。

 

    自分を理解することは自分を受け入れること。いま、そうしていることで、自分が矛盾した行為を取った瞬間がわかるようになり、そこと向き合えるようになって来ました。そうして素直に謝る。だからうちでは大ちゃんからもつっこみがはいります。「あのさあ、今の怒り方、コユに対してひどいんじゃない?」そして、「うん、わかってる。ごめんね。」となったり、「でもさ、私だってどうしても嫌だったんだもの。」ってなったり。自分が母である前に「私」であるなあと感じています。母なる大地、にはまだまだ程遠くて、そうなる頃にはひ孫がいるかもしれません笑。でも子どもたちは特に母親に気を使うので、そして、4歳頃まで、大ちゃんの思いを押しのけて接して来た私は、大ちゃんにまだ気を遣わせているとかんじているので、彼らが彼ららしく生きるために、感情を受け入れて行けたらいいな、と今は思っています。これからどうなって行くかわからないけど、いつでも今の自分の人生のベストを尽くして人と関わって行きたいと改めて感じています。

 

    昨日は朝からタイの記録をまとめておりました。自然の中に身を置き、3ヶ月と言う時間をかけて過ごしたから感じられたこと、普通に生活をしてみたから気づけたことがたくさんあったのです。それをお伝えできるのが今の私の個性。もちろん主観だらけですが、そういう中から自分が納得いくものを見つけて行く、と言う形でもいいのかもしれない、と自分の経験からも思うので、表現してみようと思ったのです。今までとはちょっと違う私と出会いました。

 

    そんなタイ記録を綴りながら、身体がウズウズ。動きたいよーと。昔の人は今の人より、身体を使っていたということ、頭ではわかっていたけれど、自分で経験し具体的に身体で知ったのです。畑を作るために、粘土質の山をくわ1つで耕す。たくさん埋まった石を取り除きながら。そうして開拓し、今度は肥料作り。牛のウンチを集めに行く。一袋30キロ。それをいくつもリヤカーで運ぶ、私には担ぐこともできないから赤ちゃんのように、背負って運ぶ。そしてそれに灰をかけ、果物から作ったEMをまく。それもちょっとうちの庭に、って距離ではなく、往復しながら。そうして3日後、それをくわ1つで畑に前混む。そしてとうとう種を蒔き、最後に保湿のために、田んぼに集めて稲藁を取りに行き、畑に敷く。

 

   スーパーで買うだけ、夏場は農家さんから直接お野菜を送って頂いているから、どんな風に作ってくださっているのか見に行くことはしていたけれど、それだけでは到底わからないなと実感しました。(いつもありがとうございます。)人が生きて行くのに、どれだけ身体のエネルギーを使って来たのか、少しは想像できるようになりました。そしてそれによって得た身体は筋肉も、代謝量も全く違うのだと思います。

 

   そんなことを考えていたら無性に動きたくなり、北の沢から西岡にあるカルディまで歩いていこうと思いたち、子どもたちに提案したら 行く〜!! という流れに。時々雪の混ざる道をひたすら歩きます。途中で出先から帰った旦那さんに会ったものの 歩く〜 という大ちゃんに引っ張られ、3時間かけて到着。途中でおむすび食べ、こゆは半分以上はおんぶ。いやはや、靴を履いて歩くと軽い外反母趾が痛みます。裸足が恋しい。裸足で歩くと、大地を掴むのがいいのかな、どんな道にもフィットしてくれる身体ってすごいなあ。

 

   そしてね、「今日はあれがないから買いに行かなくちゃ、行けない。そのあとは郵便局へ。」なんてスケジュールも立てていないのでイライラする理由もなく、一度だけしかけたものの、身体を動かすっていいですね。動かしてるから気持ちがそっちにむいてどうでもよくなってくるんです。大地か空に吸収されて行くような感覚。うちの中にいるとイライラに向かって行くのは気持ちの向ける先がそこしかないからかもしれません。街中であれ、地球はすごいなあ。そして身体もすごいなあ。

 

   夕飯はお友達から美味しい鯖をいただき、買って来たライスペーパーにレタスとお魚とおすにつけた野菜をまいて、タイ風に。すごくおいしかったなー。ライスペーパー嫌いだったはずの子どもたちまでたのしそう。 

 Last day,we ate rice paper.We ate real,pickles,herb and fish.We enjoyed this!

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   そして、見切り品のえのきを3袋買って来ました。冷蔵庫ないので干して保存です。

We don't have refrigerator.So we dryed mushrooms for preservation.

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   4日前に植えたサラダリーフ、サンチュ、小松菜のタネが芽吹きました。黄色いので外に出そうかと思って(結局出さなかったけど)、昨日一日ビニールかぶせておいたらぐんぐんそだってました。かわいいなあ。一方、スプラウトは失敗ばかり。腐らせてます。自分でできるように何度も挑戦してます。ごめんね、たね。。

4days ago,I planted saladreaf.Already these come into bud.Thank you for nature life!

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