日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

安心して暮らせるから楽しめるようになる。今を安心して生きたいな。(タイ暮らし83日目)

   ここで気づかせてもらったこと。ふと思ったことがありました。ここにきて3ヶ月、帰国直前にして今自分が毎日穏やかなのはきっと、不安がないからだということに。自分が自分で認められなくて、おどおどしていた私の人生ですが、それを受け入れられるようになり、こんな自分だけどこんな自分でいいじゃない、と思えるようになって、自分の中にいつでもあった不安がなくなっていることに気づいたのです。もちろん長年の癖は簡単には抜けず、時として不安な気持ちがやってきて、イライラしたり、揺れたりすることだってあります。けれども、思うのです。今の自分があるのは今までの経験があるからだと。今の自分を愛してくれる家族がいて、愛してくれる友人がいる。少ないけれど、深い愛で共に過ごす時間を楽しんでくれる人がそばにいる。だから私は私でいい、もっと愛してゆきたいと思うようになったら、不安がなくなり、穏やかさを持った自分がやってきてくれました。

 

   だから自分のペースで日々を過ごせる。やりたいことをできる範囲で欲張らずにやっていたら、時に子どもたちも協力するかのように自分の時間を楽しんでくれていたのです。そんな彼らの生き方に目を向けて感じてみたら、彼らもきっと不安がないのだろうとそう思えました。この村の子どもたちのように不安がない中で暮らすことで、楽しむことができるのだろうと最近感じています。そうして今を楽しむことを積み重ねて、優しさと穏やかさのある人になってゆくのかもしれないなと。

 

   だから思います。小さい時から不安のない中で育つこと、その土台の上に楽しみや優しさ、強さが積み重なって行くのではないかと。争いのない穏やかな世界で過ごすこと。たくさんの大人に見守られていたらきっと静かに育って行くことができるだろうと。今日訪れたこの村の人の暮らしがそうでした。子どもたちのアフタースクールの時間にここにきたことはなかったのですが今日はちょうどそんな時間で私たちの乗った車の荷台に大ちゃんの友達がたくさんの捕まってよじ登ってきます。そうしたまま車は出発、時折降りて荷台に捕まって引きずられてみたり、荷台の外側にも3人もよじ登って、俺たちも日本に行くぞ〜って叫びながらしがみ付いてきたり、男子の遊びはじつにワイルド。でも周りの大人は何も言いません。静かに、掃除をしたり、夕方の野菜売りの支度をしたり、軒先で仕事仲間とお疲れ晩酌をしていたりしながら見守っています。帰りに川の売店によると、お店の人にヌードルを作ってもらって食べていたり、学校の先生や仕事を終えた大人が川の子供達を見ていたりするのです。

 

   学校が終わった時間はとっても賑やかで色んな路地から子供達が次々に顔を出してコユや大ちゃんに声をかけたり付いてきたり。付いてきて一緒に楽しんだ後は、川に行きいきなりパンツ一丁で次々にバッシャーン!!これだけエネルギーを発散する先があれば子どもたちは心も体も経験も豊かに育つだろうなと感じます。今をマックスで楽しむ子どもの姿に心震えます。そしてそんな実に穏やかな日常風景に改めて驚きます。想像はしていたけどやっぱり自分の今まで生きてきた世界と比較してしまうのでつい驚いてしまったのです。

 

   そして幼稚園くらいの子も親なしで川で遊んでいるのですが、14歳の男の子が抱っこして何人かを見てくれています。本当にその配慮に感動してしまいます。いやいやではなく自然にそんな行為ができる彼らに。また他の子は顔見知りの私たちの事を思い、手作りのお惣菜をお土産に手渡してくれたり、この豊かさに心震えてばかりの時間でした。

 

   そんな今日1日も良く動きました。朝から旦那さんの建築現場にてスコールで基礎が流れないよう水の通り道を作りました。クワ一つで、硬い土を掘り出し、お堀状態に。かなりへびいな仕事でしたがこうして人の力で色んなことができることを学びます。ここにコンクリを埋めずとも、一生使おうと思わずに自然と相談しながら生きて行くならそれでじゅうぶん。

f:id:yurukkosae:20170303072448j:image

 

   そして虫除けの火起こしをしながらおやつのカシューナッツ焼き。昨日失敗しまくって落ち込んでいた大ちゃんに食べさせてあげたくて張り切りました。わずかにしか作れないのに大好きな村長さんの奥さんに分けてあげたいんだという彼の優しさと愛も汲みたくて。火の中に入れるとあっという間にカシューまで炭になってしまうし、わずかな隅の上で焼くとカシューの水分で途中焼きで火が消えてしまうのでその塩梅が難しい。研究しまくり、まずまきを炭にしてからいくつかを放り込み、焼き具合を調節、そうして少しずつ火をずらして新しい炭を作ってはまた焼いて行く方法をとってみたら一度に15個近く成功。メガネのレンズが意外にも弱く、炭から出放熱される熱で溶けてしまったという驚きとショックはありましたが、カシューナッツ焼き屋さんになれそうです笑。焼きたての香ばしさと甘みは何にも負けない美味しさです。

 

   そして午後から海藻を取りに。断崖絶壁の岩や、流れの急な川を渡ってゆきます。深さも定まらないこの川で遊び、岩の山を登り、遠く自分のうちの畑まで仕事を手伝いに出かける子どもたちを想像するとこの体力、本当に尊敬します。だからあんな重い木を軽々と持ち上げ、こんな時はどうしたらいいかサクサク考えて動く人になるのでしょう。人をうらやんだり、争ったりするよりも、自分がしたいことを本当にわかっているのだろうなと思います。

 

畑だけでなく川からもハーベスト。自然は本当に偉大な存在だと思います。

f:id:yurukkosae:20170303072518j:image

 

 

綺麗な海藻を探して泳いでます笑。水の流れのあるところからとるのがベスト。突然深くなったりもします。

f:id:yurukkosae:20170303072529j:image

 

ここに海藻を取りに行くまでに岩場をとおり水の流れの強い川を渡ります。流されないように水の勢いを弱めるために流れに対して斜めに歩きます。こういうことを子どものうちから自分で経験して考えるって素晴らしいと思います。自然が育ててくれるって本当ですね。

f:id:yurukkosae:20170303072752j:image