日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

夫婦で学び合うこと。(タイ暮らし82日目)

   カシューナッツ集めをしてから自分がコレクト好きだと知り、今日もちょっとした時間で集めに行きます。木の実拾いって面白くて、それも木々の間を探していくのが気持ちいい。葉っぱの上をカサカサ素足で歩きながら、カシューフルーツの赤と黄色い実を探す。こうして拾って集めていた時代があったのでしょうね。集めた数は前回と合わせて100個ですが、隅に入れて焼くときに失敗もするでしょうし、虫食いもあるでしょうし、みんなに分けるでしょうし、1人10個食べれたらご馳走おやつだろうと思います。でも他にも食べ物は十分にあるのでこうして分け合いながらいただくのがちょうどいい量なんだろうな。自然の中はこうしてバランスを保ちながら生きられるようになっているのかもしれません。そして人間が作った身体にとって偏ったものになるだろう油や添加物がないので身体も過度に欲することがないのかなと感じています。

 

   近くにスーパーもないので買い物にもいかないし情報もないので、シンプルで楽になりました。食も暮らしも。お腹が空いたらあるものをいただくため、木の実や畑のものを収穫し、必要なものがあればまた自然から頂いて作る。お皿や家やおもちゃを。今は服は作れませんが笑、子どもたちは葉っぱでふけるんだよと葉っぱで鼻をかんで、葉っぱのお金であそび、木のボッコで電車ごっこをしています。作るには根気もいるので本当に欲しいものしか作らないのも私にはかえってよいのです。ものが増えなければ散らからないし、できないのにやりたくてイライラもしない。自分の中での欲が増えると、イライラしたりと自己矛盾を生じてしまうので、のんびりのんびりが少し身についてきたように思います。日々が楽しい。

 

   カシューナッツを集めていると子どもたちがよってきて一緒に拾い始め、みんなに会いおしゃべりして、子どもたちは嬉しそうに収穫したものを見せる。そしてそんな子どもたちを見て笑う人たち、人との関係も循環しているのです。全てそうとは言い切れないけれど、でも私がここに3ヶ月いて感じたこと。本当に自然の中で暮らしていると、自然と自分だけの時間がよく訪れるのです。それぞれが作業に没頭している時間があるので人との関係に疲れないし、自然と自分だけの時間はヒーリング効果になっている気がします。例えば、土壁を作るために粘土土を踏み、竹を割り、自然のものに触れてる時って穏やかに没頭する。そして手作業効果で、なんとなく喋って見たり没頭したり相手が気にならない。ここではみんながそんな感じです。だから私だけが言葉ができなくてもそんなに関係ないのかもしれません。なんとなくお互いにできることをフォローしあう。あ、それがコミュニティでいきることなのかもしれません!

 

   それと私の癖で、相手の癖や性格が気になる時、勝手に妄想して嫌な人だなーって思ってしまうことがよくありました。これを聞いたら悪いかなって聞かずに黙ってしまうことに関しては日本人には良くある傾向なのかもしれませんが、私はそのあとマイナスに偏りがちでした。そんな私のつぶやきに対して、旦那さんは疑問は直接聞いて解消する人です。そんな彼にここで何度も学びをもらって、聞いてみること、その一歩を踏み出すこと、をするようになりつつあります。そうしてみたら、相手のその行為が、マイナスに受け止めている自分の行為の1つだったりすることに気づいたのです。相手に悪意はなく、その人も一生懸命に生きているだけ。そう気づいたときに、相手を受け流すことができることを知りました。と同時に、自分を受け入れたり向き合ったりということも。そうして必要な時は距離を置き、そうでない時は受け入れたら良い。そうすることで一番楽になるのは自分。穏やかに過ごしたいなあと思うので1つずつ、一歩ずつ。ありがとう、旦那さん。

 

   小麦の洋菓子やパスタ、ピザを取らなくなって一年、昨日久々にパスタを食べたら、大ちゃん、ここにきてはじめて咳で目覚める朝。ゴホンゴホンと胸からくる咳の音は久しぶりで、ここのところ暑いので風邪ではないはず。。身体から抜いてみてはじめて、本当に彼の身体にあっていなかったんだと学びました。彼の健康を願う私たち夫婦にとっても大ちゃん自身にとっても。シンプルになることでそんな変化を知ることができ、大ちゃん自身で身体に目を向ける習慣がつけられるのですね、きっと。彼の身体は彼が守れるようにできるサポートをしていくこと、それが私のできることだったんですね。今までは具合が悪くなってから対処したり、彼がいいって言ってるのに寒いから着ていったらーと厚着をさせそうになったりしがちでしたが、大きな学びでした。余計なことしてごめんよー、息子ー。反省の母ちゃんであります。

 

この村には軒先にこんな風に誰でも飲ませてもらえる水が置いてある家が多いです。そしてうちの前にいすとテーブル。こうしてコミュニケーションを取っていたのでしょうね。こんな風に人と過ごす時間もゆっくりあればものがなくても大丈夫なのだろうな。 

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