日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

いまをおだやかにいきたいから、忘れてしまうこと。(タイ暮らし77日目)

   今日は身体がだるくてノーランチで昼寝。参ったなあと思いながらも昼寝をしたら少し調子が上がり、お腹が空いたので焼きバナナをしながら買い物に出かけた旦那さんが帰ってくるのを待ちます。お土産に頼んだカオニャオが買えなかったことと、体調が悪いのになんの言葉もくれない、とここに来てはじめて旦那さんに怒ってしまった私。お腹が空いてるのでとりあえず塩持って畑に行って、豆でも食べようと向かう途中、木々の中に入り込んだら気持ちが良くて、ついでにカシューナッツが落ちているのを見つけて、怒っていたのもお腹が空いていたのも一気に忘れて夢中でカシューナッツの実をひろいます。

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   裸足で歩く枯葉の上は時々チクチクと痛いけれど、本当に気持ちが良くて怒っていたことがスカンと身体から抜けていました。夢中で集めた実は70個!サソリを踏まないようにだけ気をつけて子どもたちと一緒に夢中で過ごした時間。最後の1つは大ちゃんが特別に大きな実を見つけて大喜び。おやつにやいて少しずついただこうとお日様に当てて乾燥させます。自分で焼くカシューナッツは、香ばしくてかりかり甘くて美味しいのです。そうしてひろいおえたら旦那さんの仕事場で、さっきはごめんねーと行って畑に向かいます。森が助けてくれました。森の中にいると、こうして忘れてしまうことが度々あります。村長さんが自分は忘れっぽいから、って言っていたけれどもしかしたら、忘れるようにさせてくれているのかもしれません。こうしてリセットしながら今を生きると、気持ちが良いのと、心が楽になるように思うのです。

 

   そして畑でロングビーンをつんでそのままボリボリ。。。これ、私大好きなのです。きっと近くにお店があったら、甘いものを買ってしまっていたでしょう。けれどここではこれができる限界。でもすでにカシューナッツ拾いで心が満たされていたので十分でした。我が家のお世話になっているお医者様が言っていました。子どもたちが甘えることができれば甘いものはいらないと。本当にそうだなと思います。満たされていたらイライラや寂しさを埋めるのに甘いものを一気ぐいする必要はないから。

 

   こんな経験を日々積み重ねて自然の中で生きるとはどう言うことかを、感じます。考えることにはもう限界があって、感じることが多くなって来ていまして。ここで時間をかけて身を置いているから感じられること。そしてそれが私の経験であり、私そのものなのだと思います。

 

   素足生活が気に入り、怪我をしててもきもちよくて素足ですごしました。傷口に傷を重ねていることもしばしば。けれどもこれになれたら、街にでても素足でいたくて、そうしていたら笑、季節の変化を足の裏で感じられるようになって来て、自分のセンサーが面白いなあと発見しました。そして地面と身体が近くなって、すっかり身体中真っ黒砂だらけ。土の上に寝転んで星を見たり、葉っぱをお皿にしたり。子どもたちもそこらへんで枝を拾って来て、バナナにさして焼いてます。自然がどんな存在なのかを感じ、汚いと思っていたことがそうでもなく、人間の身体は思っていた以上に強いことを知り。そして多分、たくさんのバクテリアが私を助けてくれていて、虫たちが一緒に生きていて。。今日蜂にさされたことさえも(痛いと思って覗き込んだ時点でいなくなってました。針を残して逃げるって本当なのですね、)、共存だな、、とおもい、痛いけど嘆くことでもなくなっているのが不思議です。

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   化繊の服が汚れきったので燃やした時に出る煙と液体。サハイナンで燃やして荷物を減らし、石油が溶けて残るのでそれだけとってゴミ捨て場に持っていこうと思っていたのですが、眺めていてふと、これらはどこへ行くのだろうとおもいます。煙は空気と混ざり、自分たちの身体に戻り、液体はゴミ焼却場の地下まで汚す。自分のいる場所を汚さずに他の場所を汚していいのかな、そうしてまた水として自分のところにも帰ってくるし、未来への贈り物になってしまう。汚れた自分の身体から生まれる命に、そして汚れた自然から食べ物をいただくその命たちに。自然からたくさんのものをいただいていて、私は未来に何を残そうとしているのかな、とはっとしました。我が子だけでなく、未来を生きるすべてのものたちに。みんなが穏やかであること、幸せであること。それを祈ることだけでもできたらいいなと思う81日目でした。