日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

自分の過去を受け入れられた日。(タイ暮らし日記74日目)

   ここで昨年からパーマカルチャーを学んでいるピュオさんという男の人がいます。いつも笑顔の彼。コユのことをとても笑顔で可愛がってくれます。わらいかけてくれたり抱きしめてくれたり、最近は片言の英語を話し始めたコユ、キッチンの手伝いをしたくてピュオさんに聞いてごらんと声をかけるとトコトコと歩いて話しかけます。キャナ アイ ヘルプ ユー?すると、イエース^_^と満面のスマイルで一緒にご飯のポットを持ってね、と2人で外に運びに言ってくれます。とっても優しく丁寧に。彼から学ぶ子どもへの接し方は頭で考えようとするわたしにたくさんの気づきと感動をくれます。大ちゃんへも同じように。7歳になった大ちゃん甘えたくて、人の肌も大好きで、私たちがみているとしつこいなあと思うこともしばしば。ちょっとふざけすぎだなあと思ってしまうこともしばしば。それでもいつでも彼は、丁寧に大ちゃんの思いに答えてくれます。高く積み上げた椅子にいつまでも遊んで乗っては彼に抱きかかえて運んでもらったり、彼が仕事をしているそばでずーっと大きな声で歌っているものだからパパに「ちょっと静かにしないと邪魔じゃない?」って言われた時も、彼は「その歌、教えてよ、大ちゃん!」といって一緒に ターラランララン なんて歌ってくれます。彼が、ノーと言うのは手伝う仕事ある?と聞いてなかった時くらい。

 

   この深い優しさと器に、両親との関係を訪ねたくなり、聞いてみました。日本のお母さんはよく怒るけどあなたのお母さんは怒らないの?と聞いたら、うん、おこらないよ。僕はそのことに関して心配したことは全然ないよ。と、答えてくれました。たくさん受け入れてもらったであろう彼はたくさん受け入れられる30歳の男性として今ここにいてくれます。私たちのことが好き、可愛くてたのしいかぞくだね、と素直に気持ちを伝えてくれます。自分のファームを持った彼、来年は遊びに行って彼のお母さんにもお会いしてみたいな。

 

   ただただ彼の姿を見て感じてすごいなあ、素敵だなと思い、そこから形のない言葉でないものを心に刻んでいます。彼と村長さんはにていて待つ事と自ら楽しむことのできる人。彼らと過ごした時間は私にとっての太陽です。だから私は思います。怒らない人になりたいと。責めない人になりたいと。そして不安を持たない人になりたいと。その方が自分が気持ちいい、これは自分のための目標なのです。ここにくるまでは無理だと思っていたけれど、きっとなれるとここで思えたのです。きっと苦しみだけだと思ってきた自分の過去も生きてくるでしょう。(いや、ここで1つ新しい経験をしました。わたしがようやっと自分の過去を整理できたので、サハイナンで少し問題が起こった時にそれを活かせるかもしれないと思って村長さんに私の経験を伝えたのです。あなたとあなたが愛する人を助けることができるなら使って欲しい、そういって手放した私の過去の経験、それを彼は愛する人を支えるためにシェアしてくれたそうです。私の過去の苦しみをやっと受け入れられた自分、そしてその経験は小さな優しさに変わった気がしました。初めての感覚でした。) 起こることには全て意味がある。Little by little. 少しずつ、自分がなりたいようになって行こう、ここで英語を身につけるように本当に少しずつ、私は変わって行きたいなと思います。愛する自分のため、家族への愛を持ち続けたいから。乗り越えてくれた自分にありがとう。悪役を演じてくれた両親にありがとう。お父さんとお母さんも生きる中での苦しみを抱えてきていた、その苦しみがいつか癒されますように。と心から願う今の私があります。

 

   そんなことを考えながら今日はここにきて初めて1人、WiFiをしに村の中心まででます。裸足で歩くやまはきもちがよく、すれ違う人と話をしながら山を下ります。そして日頃は子どもたちが話しかけてくれるのでいつも途中で止まってしまう思考を、今日はいろいろ考えながら歩きます。なんだか歌を歌いたくなり、ふと思います。もうあえていろいろ考えることはないのかもしれないと。必要な時は身体がうごきだすことをしったので。そうして歌いながら歩いていると、声をかけられます。せっかく山を登ってきた人が山の麓までバイクに乗せて送ってくれるというのです。ありがたく、ありがたく甘えさせてもらいます。そして山を下り今度は国道を裸足で歩きながら歌いながら歩く私。あまりに気持ちがいいので 変な人でもいいかあ。。と笑。途中で捕まえた赤バスに乗り、村の中心につき、レストランに入ろうかと思いつつ、アイスを食べようかと思いつつ、今日食べてもまた食べたくなるだろうな、とやっぱりシンプルフードに落ち着きます。カオニャオ食べながらカフェで甘い飲み物を1つ。これで十分。

 

   カシューナッツのなり始めた木々の中を歩きます。 

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   カシューナッツはまず身がなりその次にカシューフルーツが膨らみます。こうしてなるって知っていましたか?ここからも調理するのが難しいのです。殻の中の水分がかぶれやすく、もしその水分に触れてしまうと火傷したように唇がただれてしまうそうなのです。すごく危険だよと、教えてもらいました。殻ごと火に入れたり、手袋して殻をむいてローストしたりするのですがまだうまくいったことがありません。日本で有機栽培のものを1キロ3500円ほどで買っていましたがこの手間を考えるとかなりやすいと思います。物の価値はどうやって手元にくるかを知らないとはかれない、だから食べ物は大切にしよう、という言葉ではほとんど伝わらないのだろうなと思います。

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   私自身暮らしの中でどれだけのことを経験して口にしているのだろうと日々ハッとします。子どもたちに対して、そしてイライラしている時に発する言葉。もっと自分の経験を増やしながら生きていきたいな、そうすれば頭で考えずとも優しくなれる、そんな気がしています。

 

   5日ほど前に隣の畑で野焼きをしていました。これから種を植える準備です。自然の力を貸してもらいながら。

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   家具屋さんにて。手彫りのドアです。素晴らしい彫刻。こうして丁寧にほって作られたものは人を癒してくれる力があるのだろうなあと感じます。

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