日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

自分で考え動くこと。それは生きることの積み重ね。(タイ暮らし56日目)

   昨日は早くからフレンチのお家に遊びに行くはずがお隣さんに会って立ち止まる。ゴムの木を持ってるノアイさん、樹液を集めるために木の幹を削ります。樹液が固まった元々の道に残った筋を取り、削ると新しい白い樹液がたらりと垂れてきます。大ちゃん、ノアイさんの前を行き、筋取りを手伝います。こちらの人は子どもたちをまってくれます。ありがとう、と言いながら笑って大ちゃんを見守ります。ノアイさんの足取りに合わせ、楽しむ大ちゃん。30本くらい手伝ってお昼ご飯に戻ります。

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   そして今日は学校の日。今日は滞在中のアメリカンの人たちが英語でクイズ。そのあとは畑を作るための堆肥づくりで先週いった村にバッファローのウンチを取りに行きます。私はお昼ご飯を作ることになったことを伝えると、大ちゃん、自分はみんなと行きたいからと、みんなと一緒に村へ。おーおー、好きなことを選べるようになったね、嬉しい気持ちで見送ります。

 

   さてわたし、今日はカオニャオマムアンを作ります。パパイヤ、マンゴーを切ってココナッツミルクに砂糖を混ぜます。砂糖だよ、って出してくれた袋、がっつりありんこが来ていますがおかまいなし。アリンコ避けて使うのね、と郷に従います。少なめにしたけれどレンゲに五杯入れたでしょうか。なのに冷めたら甘くない。。果物と一緒に食べるのでいっかとおもいますが、こんなにお砂糖が入っても甘くないという事実を感じ、ちょっと怖いなーと思います。学校のキッチン、お肉を使ったのでたくさんのハエ。でもこれが自然の現象だなあとかんじます。彼らは分解者たちですから。綺麗を保つことで、暮らしやすくなるけれど、分解者たちはいなくなり、ゴミ処理場で燃やす必要が出てくる。そしてそうしているうちに、分解されるゴミと分解されないゴミの意識が薄くなる。そうして増えて行く循環できないゴミたち。そんなことを想像したあと、堆肥づくりをともにします。

 

   バッファローのウンチ、まきを燃やした灰、果物を発酵させたEM菌を混ぜます。まずびっくりしたのは子供達、バッファローのウンチを汚いものと思っていない。乾燥してわらのようになったウンチ、確かに臭くない。そして草を食べたバッファロー、確かに、葉っぱを食べた青虫のウンチに近い気もします。そして灰とEMを混ぜたところで、ザボンの差し入れがあり、彼らその手でつまんで食べます。大丈夫なんですね。そして日本の昔もそんなだったのですね。ともに暮らしているということ、そのウンチがどこから来ているかりかいしていること、それをどうしても汚いと思ってしまう自分との違いはなんだろうかと考えています。

 

   自分がどのように生きているかを彼らは理解しているのだと感じます。だから受け入れられることなのでしょう。今日も私は学びます。この作業をしながら子どもたち、自分で考え動くのが本当に早いのです。バッファローのウンチを車から降ろし灰を混ぜ、EMを混ぜる。そのために使うクワが壊れているのを知った14歳の子は、そこいらにある竹の破片を拾い、クワの金属と持ち手の隙間にはまるようにはめて行きます。今度は目印の柵が必要になり、またそこいらで探して来て、ナタで切り、穴を開け柵を作って行きます。その早いこと早いこと。瞬時に考え動く。そして壊れていたら自分で治す。彼らはやらされているのではなくやりたいから、考え、動いているのだと見ていて思います。これが本当にすごい。身体も頭も、瞬時に使って動かしているのです。それもやらされているのではなく、やりたいから。学校で学ぶことも、暮らすことも彼らはやりたくて動いて生きているのだということに感動します。だから全員参加はしていません。大ちゃんと追いかけっこして遊んでいる子もいるし、掃除してる子もいます。それぞれが自分で選んだ時間を生きているのです。

 

   言葉で表現しきれませんが、本当に生きたくて生きてる、そう感じます。そんな話を帰りの車で村長さんとかわします。タイにはこんなことわざがあるそうです。

 

   もしあなたが川に落ちたら、泳ぐことができるようになる。もしあなたが火の中に落ちたら、あなたは燃えることはないだろう。自分の頭を使い、心を使い考える。そして自分の身体を使って動く。自分自身が学ぼうとする。親は見ているだけ。何もしない。学ぶのは彼ら自身であり、机で学ぶのではなく、身体を使って学んだら、決して忘れないし、生きるために必要なことはできるようになるのだと。

だから大ちゃんもそうなるといいね、と言ってくれる村長さん。家の増築の手伝いを時々大ちゃんに頼みます。机上で学ぶことで今まで生きて来た私、違う生き方を今私が学んでます。今の私は子供達に余計なことをしないように、ここの人たちの中で暮らす日々を過ごしています。そうして今、彼らは自分でやりたいことを見つけて過ごしています。子どもたちが自ら学ぶこと、それを見守れる大人になりたい。それを我が子だけでなく、他の子たちとの関わりでも活かしたいのだと伝えると村長さんが言います。

 

Thank you.For future kids. Thank you.

と。村長さんのことばに心が震えます。この学校の子どもも世界の子どもへも思いは同じなのだと。子どもは宝。未来の希望。去年のこの言葉を思い出します。

 

   ありがとう。村長さん。そう、子どもは宝。未来の希望。大人も宝だね。自分を、相手を大切にする。わたしもそうありたいとおもいます。新しくくる旅人をバス停まで迎えに車を走らせてはいなかった、と帰ってくることも度々。それでもまた迎えに出かけて行きます。人を愛すること、を本当に感じます。

 

   ここで過ごして、ここで感じて、昨年より私の心が穏やかになったよ。ありがとう、とつたえると自然は人の心を癒してくれるんだ。という村長さん。だからここで受け入れていくのかなとおもいます。彼の大きな心が自然の中でさらに大きさを増しているのだと思います。ここで積み重ねた時間が私に自然の大きさを感じさせてくれます。自然には、本当にかなわない。心からそう思います。この森に、村長さんに、生きることをたくさん伝えてもらっています。今の私は感じて、愛して動けるようになりました。自分にも人にも。自然がある、だから生きられる。人がいる、だからもっと豊かに過ごせる。地球は美しい、心からそう思ういちにちのおわりです。

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