日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

自分のために生きる日々。(タイくらし53日目)

   ここの所、村長さんが建築で忙しいので、私が三食作っています。こうするとご飯作りだけで1日が終わってしまうので今年はそうするには避けよう、そう思って来ました。

 

   けれども、子供たちの生活リズムがあるので母としての動きは必要だなと思っていて。もちろんみんなもたすけてくれます。けれども子どもたちは起きるのが遅い大人の動きを待ってられないので自分が動いた方がいいから、ということからスタートしました。やりたいことが制限されるし、できるかな、できなかったらフルーツでつないでほかの人のフォローを貰おう、そう思いましたが、始めてみたらこれが楽しい。美味しいよと言ってくれる人がいること、村長さんが助けてくれてありがとうと少しでもたすけになっていること。そして、一人で旅をする人がここでみんなと食事を囲む時間、楽しみながら過ごしている笑顔をみて、みんながホッとする気持ちと幸せな気持ちを感じてくれているのだと思うと、嬉しくなるのです。そしてそのために動いている時間、子どもたちは私の手から離れて旅をします。自分だけの時間を味わう旅。

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   コユはことりのさえずりのような可愛い声で、英語で会話を交わし村長さんの家に入らせてもらい、彼の仕事の傍らで遊びます。大ちゃんは旦那さんの建築を見て、自分も自分のための小さな小さな小屋を立てたいと、鍬をもって動き始めました。その名も札幌イミグレーション建設プロジェクト!ビザを取る所場所をイミグレーションと言うのですがなぜその名前なのか不明。そのこやで椅子に座って、かったるそうに「パスポート(見せて)」といい、スタンプを押す遊びをしたいのだそうです。そのためにこの気合いと時間。そして村長さんに建設許可までとってます笑。もう面白すぎる、わが子よ。あなたの人生 、今楽しいことしかないでしょ?と聞いてみたら「うんっ!」。おうおう、いいじかんをいきてるね。こうして生きた時間は彼の優しさと、力に変わって行くのだろうなと想像します。ここの人たちのように。彼の生き方を見守れるように、もう二度と一人で子育てはしないと決めた私、旦那さんや村長さん、ご近所さんのうちにも遊びに行きます。その様子はまた今度。さてさて札幌イミグレーション 建設プロジェクト、たき火をし神様に祈り、鍬で土地を平らにする。大人の動きを真似てワクワクしながら毎日の仕事っぷりを伝えてくれます。

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   自分のやりたいことを自分で動いてやること、本当に目が、心が、身体が輝いているのです。そしてぐんと英語を理解し始めた二人は英語と、人に興味をもちはじめます。いつの間にやら、彼らの言葉がえいごになっているのです。とりわけ感嘆詞はスラスラ入り、気に入ったことがあると、「アメイジーング!オーマイガー!! 」。

 

   「アメイジーング!」なのはあなたたちですから!面白いのは、コユが新しい日本語を覚えるときのように頭に入れて行くこと。オーマイガーオ!だって、と言ったりして面白い。ライオンガーオ、と繋げたようなのです。私も忘れません笑。

 

    私も同じように自分の料理中に言ってもらった感嘆詞はすっとはいります。昨日聞いた言葉、「ヤミー!」。これは うまそう って意味だそうです。早速使ってみたくなる私。英語もタイ語もフランス語も、面白いのです。勉強したいなというより、知りたいなーという感じ。楽しんで生きることは、学びも遊びも暮らしも仕事も区切れないのだと本当によく感じます。どうしても必要なことがあるとしたら心を通わせ合う柔軟さ、愛、それだけ。きっと。

 

   さて話を戻します。そんなわけで食事係と去年はいってきたけど、係りではなくやりたいからやってる。自分のため。今年はシンプルにそれだけになりました。作ることが好き、その私の気持ちが食事になり、大好きなみんなの幸せの時間の一部になる。楽しい気持ちで作ってるからきっと不味くはならないだろうな、という根拠のない思い込みでちょっと思い通りにいかなくてもそれでオッケー。ああ、少しは飾らない自分になれたかな、と嬉しくなります。日々自分でかけているプレッシャーを無くしたいと思っているので。

 

   暮らしの中に自然との関わり、人との関わりがあることがどれだけゆたかなことかを感じます。毎日が違いすぎて二日前のことがもうおもいだせない。昨日村長さんが言っていた私は人の名前もすぐ忘れてしまうんだよね、忘れっぽい。って笑っていた言葉のいみがよくわかります。そして覚えていることもないのだと。必要なら再度連絡が来る。お互いにそうして暮らしているからそれでせめあうこともない。食べ物を分け合い、感謝を素直に伝え、相手が助けを必要としている時はできること、したいことをする。ただそれだけ。

 

   生きてきた時間の中で凝り固まった考えはまだまだくっついているけれど 、本当に頭が軽くなりました。やりたいようにやるだけ。感じさせてもらってきた人の暖かさの分、自分の中に優しさの地層ができており、それがあるからあとはやりたいことをやっていても平和なのだと感じます。だまって優しさを使い合うここの人たちの暮らしに関わらせていただいて、ものが豊かになった背景の大家族の煩わしさを想像してきたけれどそうでないものをたくさん感じました。人もすばらしい感性と脳を持った生き物だからそれを豊かに使っていけたら、もっと楽に、もっと毎日のために暮らせる気がしています。それが我が家にとってのパーマカルチャー。パーマカルチャーは農業でも言葉のいいライフスタイル提案でもなくきっと生き方そのものなんだろうな、そう旦那さんとはなしています。

 

   生水はもちろん、たくさん生姜を入れたレモングラスティーをよく飲みます。これにココアを混ぜたりもしつつ、このお湯が基本です。暖房のない暮らしで寒さを乗り切る方法を学びます。チャイニーズ妊婦さんライフもたくさんのジンジャーティーを飲むそうです。身体を温める。大事なことですね。