日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

人が育つということ(タイ暮らし45日目)

    今日は朝から建築現場で蚊除けのたき火。大ちゃん、焼き芋したかったなーと言いながら側で火遊びを始めます。コユも一緒にタバコごっこ。こうしてそれぞれが火傷をして、気をつけ合いながら火を身体で感じて行きます。火は危ないものではなく生きることを助けてくれるもの。だから大切に扱おう、そう思いながら子どもたちと火を使わせてもらいます。火を炊き始めると気持ちが入ってやめられなくなります。必需品であり、おもちゃでもあり、学びでもあり、神様でもあるのが火、なのかもしれません。

 

   お昼時、キッチンに手伝いに行くと、ケーキを作るシェンさんがみて〜と声をかけてくれる。みてみると、竹のロープで作った泡立て器!森、スゴすぎます。全てがここにはあるのだと改めて感じます。

 

   午後から急遽いつもの川へ。暑い一日、わたしも一緒に入ります。長いこと続いた雨で川が綺麗になり、水の底がよく見える。村の人が洗濯に来ています。子どもたちとざぶーん。コユは怖がらずに手を引かれて泳ぐけど大ちゃんはこわいー、、と身体がカチカチで浮きません。まあいいかと、遊び始めると足を踏み外した拍子に身体が浮いた!!と大興奮で話す大ちゃん。あらそうー。。というと、ちょっとみてて、と顔を水につけて浮いて見せてくれます。怖がりの大ちゃんだからちょっとびっくり。おー、やったねえ、という言葉に、5秒10秒と自分で記録を伸ばしていきます。

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   学びってこういうことなのですね。怖がってるところを頑張れ、なんて言わなくてよかった。怖いもんは怖いもんね。嬉しくて嬉しくて帰ってからもずっと話し続けます。これが自分が生きながらの学びなのだと教えてもらった気がします。その後は、泥を掘って温泉作り。わたしが側で泳いでいると、いかだ商売のお兄さんが子どもたちと遊んでくれていました。男に人が泥んこで遊んでくれるなんて、大ちゃんが生まれて以来、ここでだけ。長いことのんびりと遊んでくれていました。

 

   その中でちょっと気になったこと。村長さんちの一歳半のジョン君が大ちゃんの温泉に興味があって手を出したのを何度も止めていた大ちゃん。しびれを切らし、強い態度で ノー!! と身を押し出します。それを目の当たりにし、大ちゃんの気持ちもあるなあとおもいながらも、ここの子達のこういう瞬間に出会ったことがないなあとふと感じます。自分より小さな子には一歩引いて待ってくれるのです。それも焦ってるふうでもなく、笑顔でのんびりと。そして思いを巡らせます。

 

   村長さんがわたしの初めての挑戦による失敗を気にもとめずにいてくれるように、ここの子達は小さな頃から、周りの人に待っていてもらったり、丸ごと受け止めてもらったりした経験があるのだろうと。今、この村で大ちゃんとコユを受け止めてもらっている姿の行き先なのではないかと思ったのです。そう思った時に、子どもって、わたしだけの子ではない、きっと私のもとにきてくれたけど、大自然の子なのではないかってふと思ったのです。だからこうしてみんなの中で育ってゆくし、みんなに助けてもらう力を持ってうまれてきてる。

 

   自分の生き方を振り返り見つめるように、大ちゃんとコユの生き方も静かに見つめてみよう、そう思っています。そして外に出ようとする彼らの前を邪魔せぬように。そしてそれは我が子だけでなく、他の人たちへも。そうして自分の器が少しでも大きくなるように。受け止めること、待つこと、他人の邪魔をしないこと。ここで生きるために静かに過ごす毎日は本当に豊かな時間をいただいています。生きるために生きてる毎日。感謝の日々です。

 

   果物を切らせた日の3時のおやつ。食べるものは野菜だけだったのでみんなで塩でいただきます。

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   村長さんの息子のジョン君と。コユはこの暮らしの中で小さい人に手を差し伸べることをしてくれるようになりました。その繊細な配慮を人との関わり、暮らしの中でみにつけて行く。どんなに言葉で学んでも行動につなげて行くことは難しいことだと思います。そういう行為になって行く、そういう考えになって行く、このことを忘れず子供達との日々を過ごしたいなと思います。

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