日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

毎日学ぶように暮らし、遊ぶように生きる。子どもを知らず大人になった自分もやっと子どもになれそうです。(タイ暮らし44日目)

   家の建築を手伝います。コユが離れた隙を狙って床板作り。竹にナタで割れ目を入れて一枚ずつ作って行きます。固くて難しいけれど、きっと慣れれば大丈夫。ここの村長さんは失敗しても、これは使えないけど、とそっと外すだけで何も言いません。竹を取りに行くだけでも大変なのに。だからたくさん経験をさせてもらってます。日本も失敗して3本目。竹が曲がっていたりありの巣があるものは使えないそうなのです。言葉がたどたどしい私なので、3本かけてやっと理解。ここにきた人は自分が望めば何でも経験できます。それを見守ってくれる村長さんがいます。だから、自分にできないことはないな、と感じられる今日この頃。

 

   I will try!が近頃の私の言葉です。成功するかわからないけど、やってみたいからトライしてみる!そう伝えるとにこりと笑う村長さん。わたしも子どもたちをこうして見守れるといいなと今日も感じて学ばせてもらっています。
f:id:yurukkosae:20170122145659j:image

うちにはめて床になって行きます。
f:id:yurukkosae:20170122145724j:image

こうして昔は自分たちで作って暮らしていたのだと実感します。なので、作れなければ自分が作れるようにオリジナルでやってみたらいい、ただそれだけなのかもしれないなと感じます。それがパーマカルチャー研究所の研究です。

 

でもこれは暮らしもだけで、自分自身のことでもそう。人と比べずに焦らずに自分にできることをやって生きて行くのが自分の生き方なのかもしれません。人並みにはできない、できなくていい、わたし並みにやろう。それがわたしだから。最近感じること、人は助け合わずには生きていけないようにできている気がします。だからわたしはわたし並みに。そして旦那さんは旦那さん並みに。子どもたちもそう。家族って近いからいつの間にやら、期待を重ねてしまっているわたしがいて、思うようにならずいらっとしてハッとします。それぞれが自分並みに生きていること、それだけ精一杯生きているのだからもう十分でしょ、とわたし自身に話しかけます。そうして誰よりも精一杯生きてるのが自分だとめぐりめぐって、きょうも感じています。


わたし並みに生きる。生きることを楽しむ。ただそれだけでいい、そう気づかせてもらった日。今日もありがとう。家族に、森のスピリットに、自分の身体に感謝して眠りにつきます。