日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

人、虫、草木。自然の中でそだちあうこと。(タイ暮らし42日目)

   今日はチルドレンズデイとサタデーマーケット。この日は暗いうちから外で焚き火をしている旦那さんの火の音で目が覚めました。火のそばは暖かいのでシュラフからすぐ出れる。大きな火の前で楽しそうに巻を作ってる旦那さん。私は本でも読もうと外に出たものの、火を見ながらゆっくりおしゃべり。火の音だけで静かだし、ゴロゴロできるわけでもないし、話だけに集中できる。これからのこと、ここでのこと。ゆっくりこんなに心を入れて話せる時間。そうしているうちにみんなが起きてきて火を囲む。穏やかな朝。

 

   食事の後は、サタデーマーケットへ。今日は8時半に出発、森を歩きながらまたおしゃべりです。子どもたちは遊びながら森を歩きます。いろんなことに好奇心旺盛でなかなか進まない子どもたち。でもそれもいいね、と言ってくれた旦那さんとのんびりのんびり。そうしていたら通りかかった人が街までのせてくれました。英語も話せないのに乗せてくれる優しい村の人たち。こうして自然に使える優しさ、忙しくしている私の住んでいる日本の街の中では残念だけどなかなかありませんから。車はほとんど日本製、みつびし、イスズ、ホンダ、ですがかなり古いものもパワフルに走っています。こうして大切に使えるものなんだなあ。

 

   ここの村は洗濯機があるうちがあまりないようです。なのでランドリーショップがあります。そして各家庭に、冷蔵庫とテレビと炊飯器はあるようです。でもそれ以外はどこでトイレを借りてもうちの中にはそれとマットレスと蚊帳くらいしかないのです。こどものおもちゃもほとんどない。チルドレンズデイに行って、その理由がなんとなくわかりました。はじめてあった他人の子ですら写真撮らせて、っていうくらい可愛がってくれる周りの人たち、ああ、こんな風にみんなが関わってくれたらおもちゃは必要ないな、と思います。話をしたり、こどもの好奇心に付き合ってくれたり、周りの人がこんな風にしてくれるから、親もピリピリする必要がないのですね。そうして森と遊ぶ、川と遊ぶ。水はみんな大好きで中学生も川に飛び込みます。カヤック持って遊びに来ていたどこかのこと遊び始める大ちゃん。どんな状況でも自分のペースで遊ぶ、そうしているうちにお互いに楽しんでる、子どもってすごいなあと思います。コユも乗せてもらったのですが自分たちが楽しんでるのに、コユのことも気遣ってくれた小学生くらいの小さなお姉さんに感謝。言葉でなく心で思ってくれてるその配慮が素晴らしいなあと思います。きっと私にも真似できません。帰り際、バイバイ、って手を振ると満面の笑みで返してくれます。こんな風に他人のために、ではなく自分に無理せず自然な優しさを持っていること、生きる上で大切な宝物だなあ。

 

 

   さてさて話を戻します。うちに本棚もない、毎日暮らすことを楽しんでいるのかな、と旦那さんと話しながら想像します。確かに日曜日以外は、どのお店もやってますので。そしてお店でもおしゃべりしたりこどもときたり、遊暮動学なのです。子どもも、近くで働いているお母さんのうちの子なのでしょう、お互いに遊び仲間のようで 暮らしが回っているなあという気がします。お母さんがそばにいるので必要な時はお母さんのとこに来て行ったり来たりしながら遊んでいます。

 

   こうして暮らしているところを感じると、物を持つことで失ってしまうものも多いなあと改めて感じます。人と会う必要がなくなるから。人と会う必要のない暮らしをして大人になった自分と比較してしまう私がいます。人の心の育ちは、物がいくらあっても満たされない気がしている私です。自分が自分であることは、自分が人との暮らしの中で得られるものなのではないかと。周りの人を鏡にして自分を感じたり、共感したりすることで、自分は自分のままであることを感じてゆくのだと思うのです。そしていろんな人の中で育てることが、親にとっても子どもにとっても、豊かなことだと思うのです。いろんな人がいていろんな感覚があっていろんな生き方がある。じゃあ自分はどう生きたいかな、と。繊細な自分の感覚の中で、繊細な生き物の感覚を感じてゆく。我が子は自分ではない、確立した1人の別の人間だとは思いつつ、つい自分の思いを押し付けそうになってしまいますが、我が子が、私たちの元にいてくれる、この人たちもつかの間私たちの元にきてくれた 借りもの なのかなとふと思います。なので 私を育てるのではなく、彼らの育ちを見守るのが私にできるわずかなこと。人の助け、自然の恵み、彼らはきっと自分に必要な助けは得られる大きな生き物なのだと思います。人や虫、自然の中で彼らが生きる直感を失わずに育てるように、邪魔をしないようにいたいな。

 

   人、虫、草木。音、光、風。その中で育ちあうこと。人は生まれてからその形を失うまでいつまでも感じ続ける、それが学びであるとしたら生きている限りずっと学びであるのだろうと思います。 自然と、人との関わりの中で、そう感じています。

 

   一人一人を大切に思ってくれてる村の人たち。人懐こくてもシャイでも一人一人に丁寧に関わってくれます。満面の笑みで笑いかけてくれるから、私が一番嬉しくなります。このゲーム、割り箸鉄砲と同じ原理で矢を飛ばします。パワフルで当たったら痛いだろうけどたのしかった笑。
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帰りは恒例の川遊び。泥んこスライダーしてカヤックでひっくり返って。みんなでパンツで入ります笑。
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お昼ご飯は川辺の屋台で。わらで作った掘っ建て小屋に、わらを束ねた机と椅子。自然は私たちの暮らしをどこまでも助けてくれます。使った後はそのままにしておけば、未来にゴミを残さず循環される。未来への希望と、地球への感謝を込めて、循環できる暮らしを行動に移せるようになって行きたいなと改めて感じています。
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