日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

過ぎてゆく時の中。

先週、我が子たちがこどもたちだけでともえにいった。初めてのこどもだけでのともえ、デビュー。まだ3歳になったばかりのコユも大ちゃんのいきおいにのって行ってくるわー、さっこちゃん待ってて。と言って出かけて行った。

 

どんな顔で帰ってくるかな、わくわくしながら待ってると、遊び切った顔で帰ってきた二人。園バスを降りるときにスタッフさんが大ちゃんがよく面倒見てましたよー、そう声をかけてくださった。朝からコユち二人!とはりきるゆーたの気持ちに添うように、あえてコユにこえをかけず、そっとそばで2人を見守ってくださったんだろうなあとその配慮に頭がさがる。

 

どうやら途中で喧嘩もしたらしい。2人に喜んで欲しくていつもより豪華なおやつを用意してしまった私、笑、それを嬉しそうに食べながら、コユが「あのね、こっちゃん、怒ったの。」っていうから「どうしたの?」ってきいたらまた、「怒ったの。」、「喧嘩したのかな。」って大ちゃんにきいたら「だってね、、。」と何やらごちゃごちゃ。「で、何があったの?」ってきいたら、コユがびしっと、「怒っただけだから!!」

 

「・・・・・すみません。。」、余計なことに口出しかけたね。楽しいことは詮索しないのになんで、こういうことって気になってしまうのだろうってハッとする。そして「怒っただけ」という表現にも脱帽。過ぎて行くことに良いも悪いもない、そしてそれを周りが決めることでもない。ジャッジする癖がある私。柔軟な小さな心に学んだ。

 

私はすぎてゆく時の中に身を置いているんだ。もっと気に留めたいことがまだあるなあ。

 

こうして日々学びが繰り返される私なのでありました。今日は何が、怒るかなー。それゆけ、いっししし、おたのしみ。。って歌のような1日の始まりです。

 

あ、タイに向けて自分用パンツも制作です。冬はスパッツとレッグウォーマを履いて、一年通してきてみます。片付けたくないからもつものを減らしたくて笑。

 

 

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