日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

二回目の誕生日。

   息子の大ちゃんがお世話になるよていが自分がお世話になって知った自然療法。たくさんの本を読んでもしっくりこなかったのが自分が体験して腑に落ちました。

 

   7年前に胸に良性のしこりができて、手術で切除しました。でもまた違和感があって、そちらも相談に乗ってもらっていたのですが、私、自分の身体と心を信じてなかったんだなあって実感しました。だから自分の声が聞けない。

 

   この違和感と身体のだるさは身体の声だったんだって気づき、自分の生活、癖、習慣の中でどれだけ自分と向き合えていたのだろうかって考えさせてもらっているこの半年。そうしたら自分のことをどれだけ知らなかったかを知りました。同時に自分が自分の思いでできていない人間だったって知ってびっくりしました。

 

   人の目を気にして100人いたらできるだけ100人に好きになってもらおうとしてきたこと、本当にそんなことできるのかって考えたこともなかった。失敗するたび消えてしまいたいって思ってきた。今なら思います、地球上で小さな私の失敗が相手の人生にどんな影響を与えたというのだろう。相手にとって必要なら、私の目の前でなくても起きていたことでしょう。

 

   自分が疲れていることに気がつけない私がいました。熱が出ても仕事に行く、はなからそう思っていた私は熱が出ている自分に目を向ける意識すらなかったのです。ごめんね。今の自分がどうしたら楽しいのかを考えたことがなかった。過去の自分を後悔する、今の自分を後悔する。来月行く旅行を楽しみに今の辛さを乗り切る。旅行に行った1日目だけ楽しいのに、2日目はもう帰ることを考えて撃沈してる。全てがそんな毎日でした。

 

   あれっ、これ、自分のお母さんじゃん。。書いてみて今改めて整理されたけど、自分がいない自分で生きてきた思考の癖、習慣が毎日のあちこちに現れていました。お母さんはいつも言っていました。お母さんは幸せになったことがないのよ。このセリフをずっと自分の荷として背負ってきたけど、やっと手放せつつある今、思います。お母さん、辛かったね。そして今も辛いね。でもせっかく生きてるなら好きなよう生きようよ。苦しいのが好きなら仕方ないけど、幸せになりたいならなったらいいでしょ、と。

 

私の背中の荷を下ろして、知りました。私がどれだけ自分をなくすことに必死だったかを。もちろんそんな生き方しか知らなかったのだから仕方がないと思います。でもこの生き方を我が子に伝えたくありません。でも後ろを振り返っても私らしさの中で持ってるものは少ないので生まれ変わるつもりで新しい経験を積んでいこうと思います。そう思ったらやっとこう思える私がいました。

 

お母さん、産んでくれてありがとう。お母さんの生き方を伝えてもらったこと、今はまだ苦しさばかり感じてしまうけど、お母さんなりの愛を伝えてくれたのではないかなって信じてみようと思います。自分を信じること、我が子を信じること、母を信じること。私に生きてほしいと思ってくれたそのことを信じてみようと思います。そう、少なくともここまで生かせてくれたのは母がいてくれたから。私の思春期、転職希望、結婚、全てに母が反対したのは、自分の不安を重ねたからでしょう、私が母の一部のままだったからでしょう。わたしも我が子と暮らしてその思い、わかります。そして私に幸せになって欲しくないのではなく、母と同じだから幸せになれないという思い込みだったのではないかと思います。不安だったのでしょう。辛いね、お母さん。わかるけれど、私は私、同じようにしなくていい、それだけ。やっと私は私として自分に誠意を持って歩いて行こうと思えるようになりました。ありがとう、おかあさん。お母さんは私ではないから、押し付けられないけど、もっと自分を信じてみたらいいんじゃないかな。愛してくれてる父がいるのだから。

 

   と、今ここに書いてみて気持ちが整理できた気がします。自分の感覚を感じてみよう。私は毎日の中に楽しみを見つけたい。だからいまはなるべく穏やかに過ごすことで自分を感じたいとおもうのです。私を見つけたいと思うのです。きっとわたしは我が子たちより、自分のことを知らない大人 だと思います。小さな先輩、これからもよろしくね。

   来月からパーマカルチャーの村に行きます。昨年とは違う感覚の中、タイの山の中に行くこと。それは自分に静かに目を向けるためであり、周りにながされず、自分が心の中に住まわせている 自分の思い込みを抱えた他人の目というものを手放すため。そうしたらきっと、もっと人のせいにしてしまう感覚を手放せると思うのです。自分に誠意を持つこと、今私が大切にしたいことは何か、人の情報(本なども)ではなく、自分の目で、山々や小さな子どもたちの空気を感じながら、あたまではなくからだで感じてきたいなあとおもっています。その中でまた自分がどう生きていきたいかが自然に動きに変わっていってくれると思うので。耳に入ってくる言葉がわからない分、自分の頭の中で情報が爆発しないのです。そうそう、私にとっての自然療法は、そうして自分の動きを信じる、ということなのかなって、いまは感じています。

 

 

最近レメディーケース作りを張り切っちゃってた自分がいることに気づきました。自分にあまりない大人っぽさを入れて作ってみようと思ったら今はまだ頭をたくさん使っちゃってるんだなー。だから疲れてたみたい。癖はなかなか抜けないぞ、ごめんよ、身体。でもこんな気づきを繰り返して今があるからこれもまた変化。あとはタイに向けてのんびり準備するぞ。ってわけで、気持ちを切り替え、自分に合わせて。

 

屋根と壁しかない竹のワンルーム暮らし。なのでタンスと小物仕分け代わりに、袋をたくさん作りました。他の用途もできるし、バックパックから取り出すんじゃ子供達にはストレスですものね。子どもたちには印をつけて。

 

  

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タイに向けてリスパンツ作りました。やっぱり型紙なしの1時間で作れる作業が私には合ってる。小屋が作れる旦那さんを尊敬します^_^  化繊を手放していこうと思って綿とリネン。しかも手放すつもりだった保育士エプロン利用。できてみたら可愛くなってよかった。

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息子用。アバウトすぎてハーフパンツにしては裾が長いのでゴムを入れました。モンペ改良でジーパン型も作れるようにしたらもうズボンは買わなくていいな。自己満足母アンド妻で許してね。

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