日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

生きたいように生きるために。

そんなこんなでわたしが生きたいように生きるためにはたくさんの超えなきゃいけないことがある。

 

自分の育ってきた過去をしり、理解し、受け入れること。

今は全て自分には不可抗力で仕方のなかったことであり、自分は懸命に生きてきたのだと辛かった過去に敬意すらしめす。

 

親との関係をしり、りかいし、うけいれること。

自分が感じてきた親から受けた行為や違和感を一つずつ整理していくこと。思い出すことを恐れながらもしていくこと。そして、親の育ってきた過去を知ること。そうして彼らも仕方なかったのだと受け入れること。

 

自己肯定感を得ていくこと。自分を責めない人間になること。

愛を感じられる人になって行くこと。誰かを責めない、いろんなことに、人に、ものに、感謝を感じられる日々を送ること。

今を受け入れられるようになり、未熟な自分をこれから成長していく存在として理解すること。

 

身体とこころを大事にすること。

自分の感じたことを大事にする。これってやだなってこともせいりしながら。

整理していくことで身体が反応してデトックスを初めて、悪くなったりするけど、それも受け入れていくこと。そして無理することが当たり前だった日々に、覚悟を決めて、そんな時はとにかくやすむこと。自分の身体が辛い時はそれを受け止めて忍耐しながら何もしない自分を受け入れること。

 

母だからっていっても、何もしなくていいこともある。それよりも元気になって、家族で笑える方がいい。しなくちゃいけないことなんて自分の思い込みでしかないことを知っていくこと。

 

自分がここにいることが奇跡であり、素晴らしいことなんだと感じる努力をすること。

 

自分の大切にしていることを大切にすること。それを感じたり考えられる余裕を日々持てるようにくらすこと。

 

素直な自分でいること。今の自分の感情をごまかさないこと。

素直な自分で自分とも人とも関わって行くこと。

そうしながら、ふとすると自分の負の感情で爆発することを無理なく減らしていくこと。感情の表現の仕方を自分で検証していける穏やかな思考になっていくというか。

 

そんなこんなを考えながら、ふとおもったことがある。

私たちは山に暮らしてる。

パーマカルチャー的暮らしがしたいって思ったことがきっかけだったけど、ここにきて一年半、ジャングルで暮らして一年。

 

自然の中で暮らすことは自分が生かされてることがどれだけありがたいかをみにしみて感じられるんだよね。

水が出ること。雨が降ること。晴れること。キリッとした寒さの中に凛とした気持ち良さがあること。新緑が毎日深まってハルゼミが同じ時間に一斉に鳴き始めるあの感じ。

トレの排水が凍って、外で用をたさなくちゃならなくなっても悲壮感すら感じない。寒いなー、めんどくさいなーって思いながらも、キリッとした寒さの中に出て、気持ちが凛として、うちに戻ってくる感覚にこれも悪くないかもってかんじてます。

 

言葉で言えないし、よくわからないけど、人は自然の中にいることで病むことがなくなって行くんじゃないかなってなんとなく感じてます。

都市生活の中ではずっと頭を使いっぱなしで、お酒飲んだりあまいものたべて緩めてたりしてたけど、限りなく山に近い自然は、人の気持ちを違うところへ持って行ってくれるのです。

 

家族にイラっとした時、まずは深呼吸なんてよく教えてもらってたけど、それよりもここでは簡単で、外に出ると こだまか妖精か微生物か神さまに呼ばれるように、心がふっと違う方に呼ばれる。

ああ、自分は生かされてて、こんなに綺麗な景色も気持ち良さも感じられるんだってすっとかんじるのです。

 

アウトドアとは全然違う感覚で余計なワクワクがないこの自然の中にいる感覚は、わたしはいきてる。とくにいみはないけどせっかくこうしていかせてもらってるんだから自分の行きたいようにしなくちゃね、って根拠のないしっかりとした思いにひっぱられます。

 

すごく不思議だけど、自然の中で暮らすだけで、自分の芯が通っていくきがします。

人も動物なんですね。

 

そうして起こったことも受け入れるしかないのが生き物の生き方なんじゃないかと感じたら、もう受け入れるしかないことの多いこと。

頭で考えるよりずっと自然にこの感覚が付いて行っています。

 

四月に来てくださるお客さんにもそれを感じてもらえたら嬉しいな。

今を楽しめるようになるし、いろんなことを受け入れられるようになって生きるのが楽になって行く気がしています。

昔以上に行き当たりばったりにいきてる私と違って、きちんとしたい人だとおっしゃるそのおきゃくさま。わたしは予定を決めて動くのが苦手で、毎日、その場で子どもたちがやりたいって言った通りに動くようにしてるので、びっくりさせたらごめんなさい。でも子どもたちのように緩やかに、何が起こってもしなやかにすなおに生きていくことをわたしは彼らからまなんでいきたいなとおもって、そうしています。

一緒に楽しく過ごせますように。

家族一人一人がどんな風にお迎えしようかなーなんて、おもい描きながら楽しみにお待ちしてます♬

 

マイナス10度を超える凛とした寒さの中つららの選別。

うちの屋根は傾斜がないので取れるけど、普通は屋根に傾斜があるので、屋根から落ちた雪の重みで大怪我をするのでできません。アンド子どもたちだけではNGにしています。どんなことが危ないかな、わたしも子供達も学んでいます。

それでも屋根が温まり、見上げた時に落ちて来て目に入ったら大変なので、離れて選別中。

カフカに積もった雪で子どもたち、雪のホテルを作ってます。ベットにトイレ、barまで。雪まつりより楽しいかも、しれません。

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ツララソファーのbar.

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ね転がって山の景色を見る隠れ家ゾーン。

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言葉の暴力による脳の傷について考える。

最近、親が与える子どもへの影響について考えてます。

愛着障害で脳に損傷を受けた人に育てられた自分。

 

私も多分愛着障害の状態で育った。母が、脳に損傷がある状態だったために、家族にも他人にむけても争いがひどかったから。そんな母の罵声で私も脳に損傷が起きていた状態だったと思う。

自分がいつも消えたい状態だったし、人と会うのが怖かった。誰かがいるということに極度の緊張があり、思春期の頃はフラットに人とお付き合いできなくて、友達と楽しそうにしてる人が憧れだった。

うちにいても外にいても母の機嫌をとるために良い子にしていたのに、彼女の機嫌が悪いと怒鳴られる。

あんたがおかしいと言われるのが怖くて、自分を消すようにいきてきた。兄弟も気持ちが荒れており、姉もカリカリしているのが日常だったので、自分のうちが一番居心地が悪いという辛い実家時代だったな。

 

色々勉強してね、いまはおもう。そんなうちで育っていたからそうなったんだな、って。仕方のないことだったのだとおもう。一連の流れ全てを理解した時に、これは自分のせいではなく、仕方のなかったことでここから自分がなりたい方向に変わって行くしかないのだともうかくごがきまってる。

 

そんな若い頃をいきてきたけどありがたいことに私は旦那さんに出会ってから全てが変わり始めた。

こんな私でも大事に思ってくれる人がいる。

そうなったことで、楽しいこと、ができた。

家族ってなんだろう、楽しいことってなんだろう。。私の大学時代はそのことをずっと考えていたけどまだ親元にいた私は親の影響が大きくて、その答えを出せずに苦しんだな。

こちらも脳の損傷により生きる希望がなかった状態なのだろうから仕方ないよね。

カウンセラーのとこにも言ったのに、問題は何もありません、、といわれて、さらに混乱したこと、自分にとって希望の大人にも会えなかったこと。それに自分の母親が、どこに言っても誰とでも言い合うほど争うのに、ちょっとおかしいのでは??って周りから聞くことがなかったことも自分が抜け出すことのできなかった苦しみに影響してるのだろう。

 

「親の脳が変われば子供も変わる」という友田明美さんのことを知ったのは、我が子が通う幼稚園の園長の紹介書籍からだった。

その後にプロフェッショナル仕事の流儀で友田さんの仕事っぷりを見せていただいて、このことをずっと考えてる。

 

転勤族だった我が家は引越しを6回は繰り返した。そしてそのたびに両隣お向かいトラブルを起こす母。

私たちの学校の先生や友人の親に対しても評価した。

それはエスカレートし続け、小学生の時から父のことを気持ち悪いというようになり、自分の姉たちを罵倒するようになった。優しいお姉さんと私はずっと思っていたし今でもそう思う。

 

肩身がせまい思いで、いつもすいませんっていう気持ちで、会うたびにご近所さんに挨拶を交わした。

ご近所さんはたいていいつも優しく私に挨拶してくれたな。

 

「母がなぜ人と争うのか」

ずっと不思議だったけど、友田さんの研究の結果から、どんぴしゃりで、愛着障害による脳の損傷により、攻撃的になってしまう状態に陥っていたのだとやっと理解できた。

そして彼女のそれはとてもひどかったのだろうと思う。

「私は幸せになったことがない!」といつも怒鳴っていてね。

ついでに私が結婚するときに旦那さんに言った言葉。

「幸せって何ですか!!!!!!!」

 

嬉しいって思ったことがないのかな。

そういえば、私たちが誕生日パーティーを企画してもいつも黙ってむっつりしてて、喜んだことを見たことがない母だった。

当たり前すぎて、大人になってから気づいたことなのだけど。

私たちが生まれた時もその時は嬉しかったのかもしれない。

けれどもそれが薄まってしまうくらい辛い日常を過ごしてるし、過ごしてきた。

だから彼女は幸せを感じる脳の感覚機能を失ってしまったのかもしれない、と今は感じてる。

 

いろんなことを整理していく中で自分が育ってきたときに母の心境を知るために母の過去を調べたことがある。

そしてわかったこと。

母は幼い頃にしんせきのうちにあづけられた。五歳のころのその1年間の悲しみによって母の人生は変わってしまった。

 私は今、いろんな人に助けてもらって、自己否定の状態から抜け出した。

でも母は実に母に自分が捨てられてしまったとおもう感覚を手放せぬまま、大人になっていった。

悲しいことを克服していくことも、人を信じることも、自分がどう過ごしたら心地いいかも考える余地のないままいきていった。

そうだとしたらいろんなことを敵視して自分で自分を守ろうとする気持ちがわかる。

 

わたしもそうだったから。

自分は生きている限り生きていくしかない。でも誰も助けてくれない。だから自分で自分を守るしかない。

自分1人の、悲しすぎて脳が萎縮した状態の少ない知恵で考えた自分を守る方法だったのだろうと思うと、胸が痛くなる。

 

脳の損傷が世代を超えて引き継がれた例なのだとおもう(ちょっと他人事っぽくいってみる、笑笑。もう超えていくって決めたからそれは笑い話でいいんだ。)

今のわたしは好きなことをできる自分が、好きだって思える。

そんな辛いことに囲まれた人生だったから、嬉しい気持ちになれることが幸せだということを誰よりも知ってるんじゃないかとすらおもう。

 

そこをこえたことで、不調の時の自分だって、そこを抜ければまた新しいことを受け入れられる自分になることをわかってるからそんな自分を待つこともできる。

誰かのせいにして責めることが苦しいことだって知ってるから、母から受け継いでしまったその部分を丁寧に整理して、前よりずっと、前向きに自分の問題として答えを探していける思考になった。

誰かのせいにしてしまう癖は私のせいではなく、引き継いでしまっただけ。

自分を責めるのではなく、そこをどう変えていくかに意識を集中させて変わって行けばいいだけ。

 

そんなわたしは今の家族のおかげで育ち直すことができた。まだまだ未熟だけど、わたしは我が子と気持ちよく過ごしたいから、必死に、じぶんをみつめながらくらしてる。

あふれんばかりのあいをかんきられるいまがきせきだとおもう。

 

そして、わたしがいつも今の自分より成長できるように、いつも目の前の人参をぶら下げてる。私は日常の中にこの方の生き方素敵だな、ってひとを目の前で見て、かんじるようにしてます。

そして、私は、どんなわたしでいたいのかな、と考え続けてる。憧れの人は憧れの人で、その人なりの苦しみもあって懸命に生きていて、私はその人にはなれない。だからその人の真似をするのではなく、だけどこの魅力は何だろうな、って感じさせてもらって、自分が好きな暖かさを考えるヒントにさせてもらってる。そして毎日小さな問題にぶつかったときに、その人のことをおもいだしながら時間をかけて、なりたい自分、なれる自分にたどり着いて行く作業をしてる。

 

毎日修正して、今の自分でこのままもいたいとおもったり、ここはかわっていきたいとおもったりしながら。

 

40代になった私だけど、50代になる頃には私ももっと素敵な人になっていたいってゆっくり変わって行く自分を信じ、ささえていこうときめてる。

 

その作業の繰り返しで、自分を信じられるようになった。

未熟な部分はこれから育っていけばいい、今の自分にも十分に誠意がある。

自分には嘘をつけなくて、間違えたら謝るしかないし、心地いい自分に出会ったらどんどん好きになったらいい。

 

息子の年齢だけ私の脳は癒されてきた。

だからだいぶ今の自分を受け入れられるようになった。

誰から評価される必要もなく、自分の良さを自分でも感じて、喜んだり、次の目標を持ったりする。

 

ああ、わたしはやっと成長できる脳になったのかな、って感じてます。

母にも、そういう風に生きて欲しかったな、っておもう。

今でもトラブルを起こし続ける母を切なく思う。自分で自分を認められない限り、どこまでいっても彼女が安心できる答えは見つからないとわたしは思うから。自分を否定されたと勘違いして防衛して、相手を責めて、自分を保つ。一番は自分を自分で認められないことが問題なのだとわたしは思うから。

 

脳の損傷受けて育つ人が少しでも減っていったらいいなと思う。

傷を持ってる人が少しでも癒されたらいいなと切に願う。

程度の差こそあれ、結構そういう人が多いみたいだから。

 

幾らかでも克服したわたしが、自分の苦しいけいけんをもってそれを願いながら生きていく。

 

我が子たちに、それを引き継がないこと。それがわたしのミッション。

豊かさって何だろうって考え続ける。

まずは家族が幸せな気持ちになってくれること。

自分もそうであること。愚痴る必要もないくらい日常を受け入れられる今がすき。

 

家族それぞれが自分は幸せだよ、っていってくれるように努力しようと思う。

我が子とも旦那さんとも人として対等な関係を気づいて行こうと思う。大事にしあえる関係をふかめていきたいとおもう。

それが溢れ出した時に、わたしはきっと、同じ苦しみを抱えてる誰かの支えになれるだろうから。

そうして幸せに生きていく人が増えていくことが豊かさなのかなってほんのりおもう。

 

今日から1日4キロくらいは歩くと決めた。

頭痛が落ち着き的はアレルギーのかゆみを脱したい。

身体を動かして体温を上げて腸を整える。

自分の身体を変えるために、わたしはまだできることがある。それはとてもありがたいことなのだと思う。娘とひたすら歩いた。マイナス5度の中、笑。

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娘、路肩の雪にうもれる。思い切り楽しんで今の自分を謳歌して大きくなっておくれ。

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脱プラスティック、楽家事。。知恵を使う喜び♬

今年初のプラの使用量をもっと減らすのが目標。

 

数年前にラップを買うのをやめようって決めて、これは結構簡単にクリア。

タッパー使っちゃえばほぼ解決。めんどくさい時はタッパーのままで食卓へ。

タイで暮らす時はいつも20人分ほどの料理をボールに入れてがっと出すの。はじめは、面白い!!って思ってたけど、日本に帰ってきてもそれを時々してるうちに、家事をちゃんとしなくちゃいけない、って感覚が薄れてきたの。

 

頑張ってやってお皿にラップかけたり、お皿からタッパーに移して洗い物して忙しくする夜、タッパーのまま、ボールのままでいいんじゃない??って。

もちろんね、時々丁寧にしたいなって思うとお皿に盛り付けてみたりもする。日本の文化を残して行くことも大事だから。

でもさ、家事を減らしてゆっくり日々を家族で過ごす方が大事だと今は思ってて、このレベルを上げて、タイでベント箱を買ってきて、朝全部仕込んで、これに1日分のおかずを詰めて毎食これをだす、笑!!

漬物でしょ、煮物でしょ、大根蒸したのでしょ。。

あとはご飯とお味噌汁。最高の粗食です。んで持って1日にかける食事の準備の時間はいろいろ片付けながら長くても2時間!!って、ご飯も鍋だき出し、コンロがほぼワンマン運転なので、普通の台所なら1時間でいけちゃうかも。漬物は仕込むのがめんどい、って思うかもしれないけど、仕込んじゃえばひと月はそこから自動的に食べれます。かなり家事お助け食材ですよー。

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タッパーにつめちゃえば、おむすびも問題なし。ラップいらないじゃーんってしってちょっと楽しんでます。

ふいに手に入ったプラトレーを取っておけばおすそ分けにもつかえちゃうし、いま、お客さんがきたときに熊笹と新聞紙使っておむすび包んで満たせて上げれないか研究中です、笑。熊笹ならうちの周りにいっぱいあるから。

はい、ラップ問題解決。

 

ペットボトルは基本買わないで水筒です。今は山の水で暮らしてるからこれが良くて、持ち歩くのも当たり前になりました。どうやらここで一年暮らして、空気と水が良くなって、食事もシンプルになって息子の喘息が驚くぐらい発症しなくなりました。私と違って子どもの体は反応が早い。水筒を持ち歩く効用でした、笑。

 

野菜は農家さんと家庭菜園。なので袋やテープは使いません。

お米も農家さんから直接なのでかみのお米袋に入ってます。このお米袋は何かをおすそ分けするときにちょっと加工して使ってます。丈夫だし結構可愛いのです。先日内祝いでいただいたプラのお米袋はお餅つきで再利用しました。お味噌のお豆踏んだり、幾らかならつかいみちもあるのでいいんだけどね。

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お醤油、油、などの調味料は伝統的製法のものしか使わないので、蔵から一升瓶に入ってるものをまとめ買い。

 

ストレスだった納豆パックも、本当に嫌になって自家製にしちゃいました。

このタッパーで3日分くらいまとめて作って置いておきます。冷蔵庫がなくてもうちが簡易なので涼しいので冷やす必要もなし、笑。

旦那さんがお手伝いに行ってる有機農家さんでお豆を買ってくる。毎日食べる納豆が無農薬だからうれしい。

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気づけばお米もお味噌汁に入れるお味噌も納豆も無農薬を達成!!

ついでに今年からは、冬場の野菜保存も始めたから、野菜もほぼ無農薬。(それと引き換えにその季節の旬のものをばっかりたべです。11月から12月は毎食かぼちゃが出てきて黄色くなるし、笑、今は毎食大根です。。あとはジャガイモと人参、玉ねぎとごぼうさん。お野菜はそれだけしか食べてないなあ。。)

切り干しもストーブ活用してだいぶ仕込みました。

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家族のアレルギーがどう変わって行くか、実験中です。

子どもたちは反応が早いけど、私はかなり遅い。でも変わって行くことを信じてみようかなーと。

 

豆腐もお家で作るようになったのでパックは使わない。

今年はきのことこんにゃくにも挑戦しようかと思ってます。

 

スーパーでの買い物をやめたら自動的にプラスティックが減った。行く回数を減らすだけでもかなり減ると思うので、よかったらみなさんも実験してみて下さ〜い。

 

ついでにこないだ、アクリルスポンジのマイクロプラスティックも問題になってると聞いたので、メラミンスポンジもアクリルスポンジもやめてみました。リネンの古着でたわしを作ったりしてけど、いまいちで、最終的に亀の子束子のサイズ違いとメタルスポンジつかってます。亀の子束子、結構いい!!

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テレビでの地球温暖化とかの議論よりも、私は子どもたちの未来をふと考えたときに、これじゃダメだなっておもうのです。

私たちが受けて恩恵を彼らがうけれない状況にしたくはないと思うのです。

放射能や工業廃水だけでなく、マイクロプラスティックでも魚介類が食べれなくなって行く。もう、イワシからも検出されることがあったそうですね。わたしはもうたくさんの恩恵を受けてきたのでここらで自分の暮らし方を変えることで感謝を返していこうと思うのです。

未来のことを考えることが恩返し。

 

よくないなーって思うことは精神的に無理しない程度に(ストイックではなく)やめてみようかと思ってはじめて、結果になってきてとっても嬉しい。

かなりシンプルになったこの暮らしも6年の月日をようしてやっとここまできたので、ストイックではなく少しずつ、、なのです。

 

自然の中での暮らしはたくさんの知恵を授けてくれます。

今日の札幌はマイナス10度越え。

キンキンに冷えたこの空気は寒いけれど、気色が引き締まって綺麗なのです。寒すぎるけど、キリッと美しく気持ちいいのでこの寒さが嫌いではないのです。

 

きもちよくてたのしいくらし、札幌山暮らし最高です♬

 

 

 

 

 

我が家は玄米暮らし。

玄米と精米器のおかげでくらしがうるおってます。

主食だけでない、玄米の効用。。

 

さてっと、今日は大根の保存のために、漬物を仕込みます。

三月頭まではぎりぎりいけるとおもうの。

最後に麹漬けとなた漬けと、ニシン漬けつけようかと。これらは麹が入るのであったかくなったら発酵がガンガン進んじゃうのですごく寒い時期がいい。なので、いくらかつけて後の残りは塩だけでつけておこう。

 

北海道の風物詩。

つけものだるが雪で埋もれてるのでこれ以上発酵は進まない。

でも野生動物にやられないように石やらでおもし.。取り出す時に凍ってるから修行だけどね。。。。

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大根を外干しできないので下漬けしてます。

麹を仕込んでつけものにするんだけど、うちで麹を作るのでそれと同時にできる副産物があるのでちょっと記録。

 

我が家は基本発芽玄米を作って食べるのでまずはアレルギー対応米のゆきひかりを精米して。。

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みずにうるかして麹にする分。これは1番の目的ね。

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ここからが副産物。

五部付きになったお米を洗って出たとぎ汁で水キムチ。

3日くらいで乳酸発酵するよ。乳製品より、日本人の身体にあうんじゃないかなあ。

乳酸発酵した汁は冷麺みたいにして、米粉麺で食べちゃいます。汁までズビッと。乳酸菌チャージ!

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明日、お米を蒸す前にもう一度洗ってそれで時間差で食べれる水キムチ第二弾も仕込んでおく予定🎵

あ、ちなみにレシピは簡単。

お米のとぎ汁にちょっとしょっぱいくらいの塩を入れて沸騰させて塩を溶かす。それに私はチリと昆布を入れちゃいます。ザワークラウトみたいにスパイスでもいいかもね。

 

そしてぬかはもちろんこれ。

1キロくらいあればいつでもぬか漬け作れるんだけど、わずかしかないから。

けれどもこれでも何度かひっくり返してやれば立派なぬか漬け。

もしどっかから入手できればずっとぬか漬けとして機能させられるのでちょっと探してみよう。。

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ぬかの5パーセントの塩を混ぜて水をいれる。ゲンコツてぬかが握れるくらいかな。これに私はチリと昆布入れます。煮干し入れてもいいかも。

本格的ぬか漬けじゃないので適当に混ぜて1日放置。次の日に野菜入れて大根なら次の日にぬか床混ぜついでにひっくり返してもう1日つけて出来上がり。

発酵は弱いと思うけど、ぬかが少しずつで持たせるようなら、まいにちにまぜれば発酵が進んで行くと思います。ぬかの味もして美味しい。。

 

ちなみに我が家は発芽玄米。

玄米を24時間から48時間うるかしてたく。

途中できれば何度か水を変える。

それで芽のぶぶんがちょっと育ってるし、フィチン酸もだいぶ抜けるそうです。

美味しく食べれますよ。

手作り納豆も満足のできになったのでのりでぜいたくして(笑)、玄米でなっとうまき。

子どもたちのお気に入りメニューです。

 

北海道銘柄のおぼろづきとか大好きだったけどあのモチモチがアレルギーにかかわるそうで、アレルギー対応のゆきひかりを食す我が家。

アクリルアミドを発生させないように圧力鍋の圧力を弱めて、圧力鍋でたいてます。

しっかろうるかしてるしボソボソもせずおいしい。それに白米のように丼にしても食べ過ぎない。(重いので丼はちょっちあわない、、、って言った方がただしいかな。)それと米の味がつよい。ごま塩があうっていうのがすごくよくわかる。

他のお家でゆきひかり以外のモチモチのお米を食べると、ハレノヒご飯と勘違いする。

 

たまに外に出ると小麦粉は食べれないのでおやつに白いご飯のおむすびをかってーって言われます。こっこはシャケもダメなので手袋を変えてもらえるか頼んでみて、可能ならそこでお茶休憩。握りたてのおむすび屋さんは、塩むすび以外の具入りをえらぶと添加物が混じってるけど、それでもかなり身体に優しい外食なんじゃないかと思います。

 

日本では添加物やらトランス脂肪酸、オーガニックなどの意識がまだ日常に溶け込んでないそうです。オーガニックはヨーロッパ、トランス脂肪酸アメリカの方が厳しい規制とか。加工食品や添加物、おやつなどスーパーでのてんかぶつしょくひんのおおさをよく考えてるけど、そのうちヨーロッパはどうなってるのか、じぶんでいってみてきたいとおもってます。

 

昔に返ったような粗食すぎる暮らしだけど、時代の先端をいってるかもしれない我が家の暮らし、笑。

多分、自分たちがこう暮らすことで、添加物を取った排泄物を地球に巻き散らかさずに済んだり、スーパーに行かないことでプラを使わずにすみ、マイクロプラスティックでの海の汚染を防げる。子どもたちの未来に繋がっていくんじゃないかなって思ってるし、願ってる!

 

 

 

約束。

久々の大雪。

こっことトモエで満喫!!

朝からケーキ屋さんごっこして、ホールで逆立ち歩きの練習して、昼から外でソリとスノボ。

運動神経抜群のこっこ、もうじき1人倒立が出来そう。その次はそれで歩くそうな。どんな大人になるんだろうか、笑。

 

んでもってスノボしに外へ。

こちらもまた坂道を滑って行く。途中で座り込むのでもうすこしだよー、なんて思ってたら、他にも数人の女の子がそこで滑ろうとしたけど、ここは怖い、ってみんな滑らずに違う場所へ行くので、途中まで滑るだけですごいのね、と納得。

面白いなー。

 

このところ、まためっきり濃厚な2人の時間。

 

この日は、午後からスタッフさんのお話会があって、いつも、そういうのに出ようとすると、断られるので、数日前からいい続けてた。

出たいのでよろしく。。と。

今日もずっと言ってきていいよーって言ってたのにいざその時間になるとやっぱダメ、と断られる。

 

私の心の中にどうしても付き合えないこと以外は、この人の決めたことにつきあおうっておもいはずっとある。

それは、このひとのふりまわされてる、ということではなく、この人を見ていて、緊張の高い部分があるからその不安を取り除くきっかけになるかもしれない、って思いで、私が自ら選択してそうしているので、振り回されてる、とは思っていない。

私は我が子といることで自分がしたいことって何か、とか、自分が心地いいことって何か、って考えるきっかけをもらってる。

だから、この人たちとの時間は時に自分が育つための試練であり、楽しみでもある。

自ら選択してることなのである。

 

けど、その時の感情もあって、だからずっと行きたいって言ってきたのにな。。

と数分、ブツクサ言ってしまった。最終的にいかないって決めたのは私なのに。自分でもちょっと嫌味かもって気持ちを持ちながら言ってしまった言葉。

心のなかでは、土壇場でこっこが希望を変えてもいいって思ってたから、そう言われてもうけいれるつもりでいたのにね。できない自分の苛立ちながら。

 

ちょっとして、こっこ、突然、号泣し始めて、

「さっこごめーん、いっていいっていたのに、うそついてごめーん!!!約束破ってごめーん。」

ボロボロなみだながしながら泣いてるこっこを見て、私は自身の態度に反省したとともに、こっこが「ダメ!!」っていう時の彼女の心境がわかって胸がキュッとなった。

 

ああ、悪いことしたなって思ってくれてたんだ。

 

それを感じた時に自分の幼い頃を思い出した。

子どもは親の思いに添えない時に、自分を責める。

ああ、こっこは自分が悪いって思ってるんだな。

そう思ってハッとして、丁寧に伝えた。

 

違うんだよ。私は約束をしたのではないの。私の希望を知っておいて欲しかった。

そしてこっこが心のどこかで、さっこがお話会に行きたいんだなっておもっておいてもらったらこっこが心の準備ができるでしょ。

でも、人は未来の状況を予測できない。だから、その時になってこっこがいいよって思えるかもしれないし、やっぱり一緒に遊ぶほうが楽しいって思って、嫌だなって思うかもしれない。私だって気持ちが変わるかもしれない。

だから、最終的に、その時になって決まって行くものだって思ってたから、私は約束をしてないの。

 

お互いにその時になってもう一度素直な気持ちを伝えて、どうするか決めようと思っていたのに、余計なこと言ってごめんね。こっこの気持ちがわかって、申し訳ないのは私の方だよ。

私はこっこのきもちが変わってもいいと思っていたの。今の自分のきもちを大事にして欲しいって思っていたのもほんとなの。

素直に言ってくれてありがたいことでもあるんだよ。

 

と。それでもごめんね、というこっこ。

ごめんねは私の方。ごめんなさい。

自分がお話会の中に自分が優しくなれる学びがあるって思って欲張った。でもね、結果、私はいま、ここに、まなびがあったよ。

自分が何を大事にしたいか、学びたいか、とすり合わせながら、今の状況を受け入れる、ということ。

これは、それがまだできていなかった私の問題なの。

ごめんね。

と、つたえて自分の行動を整理する。

 

わたしは、子どもと約束、をしない。

だってね、いまを生きてる子供達に大人が約束をさせたら、彼らはそれに縛られて、やりたいことを手放さざるを得ない。

大人がさせた約束は絶対的権力をもってしまうもん。。

 

冷静に考えれば、約束をする内容だってね、絶対その通りにしないと生きていけないわけではない。素直に生きる中で、私たちはいろんな想いを経験しているわけで、約束ではなく、何かをする相手に対して、誠意があれば、その通りにしなくても、相手を困らせない。

何かをした後、片付けをしてね、っていう場面だって、約束したのになんでやらないの??ということではないとおもうんだよね。だって次から次へとやりたいことが出てくるんだもん。。それって冷静に考えれば素晴らしいことじゃない??っておもうの。

んでもって、それって、みんなが通るのにここが散らかってては困るから、片付けて欲しいよ、って私の希望で、それをこどもが組んでくれる関係を育てるほうがだいじだとおもうのです。

ああ、もうー、、って思うけど、片付けをしなさい!!ではなく、片付けをしてくれたらみんなが気持ちよく暮らせるよ、おねがいね。っていうことを伝えたいだけの話だとおもうのです。

 

ああ、私が困ってるから協力するか。

っておもって子どもたちはどこかで自分でうごいてくれる。だから次のことをやり始めたら、今すぐにかたづけて!!と求めるのではなく、彼らがその手を止められるタイミングでいいからね、ってゆとりを意識して私が持つ。

約束を守る習慣ではなく、誰かが困らないかを考えて気づく習慣があるほうが大事だと思うんだよね。

 

そんな私の思い。

逆に旦那さんは予定通りに動きたい人で、トモエの帰りの時間を朝から決めて迎えにきてくれる。

確かに仕事があるから仕方がないと思うけど、時間を決めるのは難しいと思うよ、といつも伝えてる。

子どもといてわかったこと。

 

幼ければ幼いほど、今日遊んで楽しかったから、あしたもいっしょにこのあそびをしようね、と口ではいっても、次の日になって同じ遊びになることはごく稀なんだよね。今日のよろこびは今日しかなく、今日のこの関係も今日しかないこともたくさんある。

だから、この思いっきり楽しい感覚を存分に味わって欲しい、そう思って私は子どもたちに付き合う。

 

迎えにきてもそのじかんに帰れない、それにしびれを切らした旦那さんもかわいそうだと思うので、付き合うのは私、と、基本的には決めてるけど、このぶつかりは今でもある。(だいぶまるくなってくれたけど)

その時につたえる。

大ちゃんはパパに合わせる、こともしてくれるようになったけどさ、おつきあいしてる人は下の人なわけで、今は、いま、なんだよね。こっこもそう。だからパパにとって待つことが厳しいならもうすこしお迎えに時間遅くていいよ。

 

そうして私もパパに配慮して行くことで、大ちゃんも一緒に配慮しくれるようになった。

約束を守る、のではなく、その人が困るから寄り添いながら、自分の希望とどこまですり合わせられるか、かんがえてゆけるだいちゃん。それってすごいことだとおもう。

自分のしたいことも大事にしながら相手のことも配慮に入れて行く。

今はそれを私より、自然にやってくれる。。

 

そんなしなやかの大ちゃんと、繊細で意地っ張りだけど、細やかな感性のこっこ。

私が彼らに教えることは何一つない。

私が幼い頃に無くしてしまった感性に気づかせてくれて豊かな人生を生きられるように、変わって行くことを教えてくれてるこどもたち。彼らにいつも気づかせてもらって、ああ、結局は私の問題なのだと誰のせいにもできず、自分に気づき変わって行くしかないのだと思考を変えるきっかけをもらってる。

 

「子どもは大人から敬意を払われている度合いに応じて、自分の人格を形成し、自分の人間としての尊厳を自覚して自分自身を尊重するようになります。のちに大人になってからの道徳的態度全体に影響を与えることになります。」(ポール トウルニエ)

 

私は子どもたちに育ててもらってる。

彼らの未熟な私を受け入れてくれるしなやかさに敬意を示すことしかできないなあと今でも日に日に感じています。

彼らのようなしなやかさを自分が使えた時、生きるのが楽で楽しくなる。

人生の先生は子ども。

 

私は子どもたちの感じること、考えることに敬意を感じれば感じるほど、私が決めた約束 で彼らの感性の邪魔をしたくないと思うのです。

 

約束ではなく、それは私の希望だよ。共にいるからこそ、私の気持ちも組んで欲しいと思うことがあるの。それでもあなたがしたいことがあるならそれも教えてもらって、お互いが納得するところにたどりつけばいいんだ。だから、悪いって思うことも含めて教えて欲しいよ。一緒にいる毎日がお互いに楽しくありたいから!!

 

そう改めて伝え直す。

自分が悪かった、そう、こっこにおもわせてしまった私の未熟さに反省しながら、彼女のやさしさにありがとうでいっぱいです。

全ての学びはここにあったよ。

 

彼女をぎゅっと抱きしめてまた雪の中で遊びました。

 私はじぶんが嫌味を言ったり、ひねくれてみたりするのではなく、素直に言葉にできる人間でありたい。

どうしてもやりたいことであるなら、子どもたちの希望に添えなくてもお願いし続ける。

でもちょっとやりたい気がする、くらいなら、子どもたちに合わせて、今、目の前にある学びを、共に笑える時間を選択する。

自分がしたいことを欲張ることはできないんだ。。

やりたいことをやり続けるために、ほんとうにやりたいことをみきわめられるじぶんであれるように、長いこと無視してきた、いつでも素直に表現する、ことを積み重ねていこうと思う。

 

今日も育ててもらいました。ありがとう!!

 

ゆきだんねつ。せっせとやってうちが埋まりました。ちょっとあったかくなったよ。

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うちのまどからみたけしき。雪の下ですから。

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ママの身体の中に、神様がいるんだよ。

そんなわけで歯医者さんに行ってきました。

Oリングで噛み合わせと不調を見てくれる歯医者さんが札幌にあるのがありがたい。

 

けれども虫歯を治してから始まった気がする頭痛。。

友人に歯医者さん変えたほうがいいんじゃないのー??って言われて、でも私はここで寝ている間の食いしばりを解決してもらったから、信用度は高く、どんなプロでも見つけづらい時ってあるよね(いや、本当に、レントゲンの取り方、タイミングで見つからない時もあるとおもうんだよね。先生の気持ちに誠意があるかって考えた時にとってもいい先生だからここにしたかった思いもあって)。。。って思いながら昨日も先生のとこにいったよ。

 

ちなみに、食いしばりぐせは、年々強くなり寝ている間に激しいので、一日中頭痛がする状態にまで陥り、かなり悩んでいた時に、教えてもらって、すがる思いで行ったら、夢のように解決に導いてくれて涙ものでした。

幼い頃からの親との関係によるストレスは歯までむしばむんですねえ。甘いもので自弁を癒してきた結果、歯がもろくなり虫歯だらけ。ついでにストレスで食いしばりグセがつき、歯茎が落ち続けてて。

ほかの予防歯科に行っても、マウスピースしかないですね、って言われてそれをしても食いしばることによる体の損傷は起こるよね、ってきになっていたけど、ここで、先生に、金属に流れてる電流の問題と、自分に合わない金属を身体に入れてるせいだよ、と言われて、全て調べてもらってかえました。

けれども普通の治療に行った時の治療費で、ありがたいだけのはいしゃさんで。。涙涙。。

 

で、全て終えて帰って、寝て次の日。

たった一晩にして頭が軽くなってふわふわになったんだよね。

もう驚愕。。。。

日々日々体全体が楽になった。

 

食いしばりグセがなくなってはいないけど、症状として迫ってくるほどの悪さをしなくなって、先生には感謝してもしきれなくて今回のこと。

昔抜いた一本だけの神経、サクッと抜かれてすごく後悔していて、私の歯が脆いのを年々感じてるから、これ以上歯にとってマイナスのことをしたくないから、神経抜くのは切除と同じくらい悩ましいことだった。

 

で、今回はひどい頭痛にまで発展。もう3度目の通院。

いくごとにどこがどう不具合なのか、わかってくるから、それを毎回伝えて、ひと月。

知覚過敏によってアイスを食べれないくらいの歯ではあるけど、とうとうぬるま湯すら飲めないことが1日に数回あり、そのたびにかち割れそうになる頭痛に耐えることの限界を迎え、今回が最後の砦。

足の骨を整える竹ふみだって1日に3度以上やるようになった。あの痛みの恐怖で日常が辛すぎて、もうどうしようもなくて泣きながらきた。

 

前回の治療の跡を見るためにレントゲンを撮ったけど、異常なし。

Oリング治療でなおせるとこを微妙に調整したけど、変わらずの頭痛。。

ひどい知覚過敏なんだわ、きっと。すぐ取れちゃうけど薬をつけてみるか。って言われて薬をつけて、あとは、耐えられなかったら、神経抜くしかないね、とのこと。

ズドーンと撃たれて気分でのなかおもいだしたこないだの虫歯の詰め物の奥の鈍痛を相談。

 

その痛みを探るためにもう一度噛み合わせを見てもらう時に、歯科衛生士さんがシートを変えてくれて判明した歯の高さの問題。

これだ!!って先生の言葉とともにがっと調整。

もう神様に祈ったよね。

 

で、うがいしてみてー!!と先生ニコニコ。

でもさ、詰め物の高さを削っただけでシミ具合まで変わるのか!??????って疑問の元、神頼みし続けて、恐怖のうがい。。

 

ゴロゴロゴロ。。。。

!?????????。

しみる!しみちゃうけど頭が痛くない!!!!!!!!!!!!

泣きながら先生に報告。

先生もほっと笑顔。

 

噛み合わせは神合わせ。

もう、私には何が何だかわかりません。

けれども今日から頭がかち割れそうな痛みの恐怖を抱えなくていい。

奇跡のOリング治療。

削って処置するだけではもうどうしようもない日が近いであろう私の弱った歯に、ここしか通うとこないかもしれない、と思いつつ、なくなっていくだけではない自分の歯に希望。

 

あの時、歯の痛みを思い出さなければ、しんけいぬくしかなかったなあ。。

神様に感謝してもしきれない!!!!!!

 

帰ってきたら、こっこがお祝いにこないだのお出かけのおやつ分けてあげるからね!と甘栗と小さなスティックのおやつを一個ずつ、量が増えた気分になるように小さく割ってお皿にいれて祝ってくれました、笑。

 

そして、隣に座って、「さっこの身体の中に神様がいるんだよ。よかったね。」と一言。

 

そう言ってくれてふと気づいた。

私がいろんな不調を超えてるのはこの神様のおかげなんだろうな、と。

やっぱり身体を(神様)大事にしていかなくちゃな。

 

痛みがなくなって、あとはアレルギーのかゆみがなくなれば、なんでもできるかもしれない!!

もう一つ、治療に手を出さなくちゃいけないかと思ったけど、もうすこし自分でできることをしてみようと思う。

これだけ自分の身体が変わることを感じさせてもらったけいけんはなににも変えがたい希望と自信だもの。

 

長年抱えてきたストレスが、身体の不調を起こしてることにもどかしさもまだ残ってたけど、これがあったことで、身体の奇跡を知ることができたし、自分がした努力であんなに辛い時間が楽になるのを実感してる。

この経験は私だけのものであり、これがきっと私がいきてる意味なのかもしれないな。

それを言葉ではなく、溢れるもので子どもたちに伝えていくことができる。

 

自分を大事にする、そして、生がある限り懸命に生きていく。

多分私は今それをやってる。

 

親への恨みは捨てられたけど、今また、目の前に起こったことを受け入れられてないという自分の問題を抱えてることに気づいて身体の不調とともに落ち込んでたこの頃。

 

でもこの先にはまた楽しいことがたくさんあって、そう思える限り今の自分を超えて行けるタイミングが来ると予想してる。

だから今感じてることをたくさん味わってつぎにいったらいい。

味わえば味わうほど嫌になるけど、とことん味わって、嫌な感情の自分も知って行く必要があるから。

その中に今まで目をつむってきたこともたくさんあるから、ちゃんと自分を知って慰めて受け入れて。

 

目指してるのは自分で自分に希望を持てる人になること。

自分は自分でいいんだ、誰に褒められることを目標とするでなく、自分がしたいことを味わい、柔らかく優しくなってゆく。。

 

心の苦しみも身体の痛みも全て意味があったんだなあとまたきづかされる。

そしてこんな思いをするようになった自分を悲しまずに、ここから学んでいくのが自分の人生だと、歳を重ねる度にふに落ちて行く。

 

さっこの中に、神様がいるんだよ。

 

こっこがくれたこの言葉を忘れない。

きっとさー、生きてるもの一つ一つの中に神様がいるのだろうと思う。

それって、希望だよね!

ありがとう、こっこ!!

ありがとう先生!ありがとう、かみさま。

 

買っちゃった。タイの石臼、クロック。

歯が使えるようになってちょっと食べれるようになったから、ご馳走じゃなくていいの、食べる!

アレルギーがあるからまだまだセーブしつつだけど、これもまた変わって行く。

自分の変化を信じるきっかけをもらえたことに感謝するしかないな。

スパイス砕いて、こっこにつなぎなしのハンバーグの作ってやれるかな。

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イライラしてるのは誰のせい??

うーん。

なんとなく1日がスムーズにいかない気がする。

気持ちが後ろを向きがちだし、家族の行動も気になるし、子どもたちにうるさい母ちゃん、あんど、妻になってて反省。

誰かのせいにしたり、自分の出来なさを責めたりする、そういう思考はだいぶ手放したのになあ。

 

こんな時って、うしろをむくのやめようとか、うるさく言わないって決めても実行できない。

 

うまくいかない、そんな気がする時は体に不調があるときなんだよね。

 

そんな時はとにかく何があっても自分を責めず、1つだけやることがある。

 

思考の問題か身体の不調か、どっち?ってきいてみる。

 

身体の不調によるものかもしれないとちょっと気づいたとき、たちどまってちゃんと見てみる。

 

そうすると見えてくるんだよね。

近頃頭痛がしてたことに。アレルギーによるかゆみで気持ちもいっぱいだったことに。

かゆみって夜中に出るから、睡眠を妨げられる。ねれる時に寝るから近頃七時には一人消灯してたなー。それに夢中で頭痛をごまかしてたけど、ずっとしてた。知覚過敏かと思ってたけど、頭がかち割れそうになることもあるので、ちゃんと対処する必要がある。

 

いろんなことを一旦ストップして自分の身体に集中しようと思う。

アレルギーの緩和策を探す。歯医者さんで相談する。

 

そして今出てる症状に自分がどんな風に寄り添えるか考える。

 

後ろ向いてる暇も、家族にブツクサ言ってるじかんもないじゃーんっ!

 

人を責めてしまうのは自分の問題だったとやっぱり思う。

そしてイライラするときは100%身体のどこかに不調が生じてるときだから。

イライラは不調のせい。

 

そんなときは自分の思考の問題に向き合えない。

ここを回復させて上げてから、思考の問題が生じてないかみて上げないとねー。

 

そうそう、私のアレルギーといえば。。

お友だちが米粉のお菓子屋さんを始めたのだけど、甘みをかなり抑えてて素晴らしいなと思う。

私のアレルギーは血液検査により、長年の糖分過多によるリーキーガットだってことがわかってるので、糖分に対しては、家族に対しても厳しくなってる。(ごめん、わかってる。)

だから、米粉のお菓子屋さんでもかえないとこが多くて。せっかく米粉100%なのにかなり甘いのが基本なので、お友達のとこから買わせてもらってる。

 

でも、やっぱりそのお店も甘くないと売れないかなってなやんでる。赤ちゃんせんべいにもお砂糖が入ってるものね。ホットケーキミックスだって離乳食の時から使える。甘いものになれて強い甘味に慣れてしまってたら物足りないよね。それはとてもよくわかる。

 

60年前の暮らしと比べて、食生活の多様化、食事にもおやつにもお砂糖を使う暮らしが当たり前となって、手軽な加工食品にはほぼお砂糖が入る。無添加のカレールーですらはいってるものね。

お砂糖と油が格段に加工食品を美味しくしてると思う。

 

でもさ、現実はそうして腸が荒れてる人、精神的に病みやすい人、不定愁訴のひとは多いだろうな。ってことも想像してる。それにストレスやら運動不足やらあるしね。

 

だから糖分かなりカットで扱いが難しい米粉のおやつを美味しくしてくれる友人はすごいなあっておもう。焼き菓子ってさ、糖分のおかげでうまいんじゃないか、食感もいいんじゃないか、って思うくらいなのにそれを極限まで抑えてくれてもおいしい。10年後、友人はグルテンフリー、甘くない焼き菓子の先駆者として収入を得て暮らしに繋がってるといいなと願ってます。

今の食生活がある以上はお砂糖はいらんがな、っておもうからー。

なってからじゃ、ツライし、すごく美味しいものはハレノヒ、くらいが食べすぎなくていいと思うから。

 

お砂糖には気をつけて、なんて、みんなにすぐつたわることじゃないから、自分の痛い経験とともにこうして地味に呟き続けまーす。

甘いもので子どもを誘導するのは楽だけど、基本的には腹据えて付き合って、なるべく3歳くらいまではお砂糖を教えてあげない方が、大人になってから自由度が上がると思います。

血糖値による気分の波がすくないし、腸内のみだれによる不定愁訴もないだろうなあって想像してます。

これから増えていくだろうリーキーガット、私は増えて行ってほしくないなあと願って。

 

スタバにいきたいの。そして2人でお茶飲んでお裁縫したいの。

2人時間をゆっくり取りたかったようでこんな風に申し出たこっこ。

そこまではっきりしたいことがあるなら喫茶店にいきますかと、むかって、私はお茶を、こっこは今日は100パーセントりんごジュース。(あ、でも濃縮還元なので実はこれもお砂糖ゼロではありません)。今日は特別。

ずっと2人でお茶とケーキでカフェにいけたらいいな、って思ってたけど、こっこのアレルギーにより、大抵2人でお茶か100ジュースのみ。空間と時間を楽しむ。

そしてそのおかげで外に出るたびに何かを買って食べたくなることもなくなった。おやつの習慣もなくなった。

身体にも心にもお財布にもシンプルになってかえってよかったなって思う。

 

こっこがはじめて1人で作ったお人形。

また行こうね、喫茶店

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