日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

山暮らし始めました、妻の記録。

いろんなことが、今、起こり過ぎて今しか見えない一週間が過ぎて行きました。

 

初日から大雨。

テント暮らしもできず、慌てて家の掃除をして室内にテントを張って寝室に。

なぜテントかってね、もともと土足で使っていた小屋だから拭いても砂っぽかったから布団まで砂だらけにしたくなかったのと、蚊帳の代わり。

この小屋の掃除もはいてふく、にとどまらず、はいてタワシでこすって磨き、ふく。そしてまたはく。をしてもなかなかすっきりとは行かなくてね。しかも、雨で乾かず、初日から課題勃発、笑。

 

素敵な古民家暮らしには程遠いということを経験から感じた初日、笑。

でもね、トトロのメイちゃんたちが引っ越して来たお家もそのレベルで掃除したのかなあって思ったりできて、今までより想像できることが増えていくのだろうなあと自分のこれからの成長にワクワクしています。。トトロの背景の時代には掃除屋さんなんてないだろうし、家の隙間もあったろうから、うちの中は結構汚れてたんだろうと想像してます。きっとおばあちゃんが掃除した後も、子どもたちの足は砂っぽかったんだろうなと。まっくろくろすけもね、こうやって掃除してると、見える気がする!!

 

家と自然の中の境目が木の板一枚だから、そういうものが入って来て住んでる気がするのもわかるのです。その話はまたおいおい。

 

慌てて掃除してテント張って、綺麗なスペースを確保。二畳の小さなベッドルームの出来上がり。

入ってみるとね、落ち着くんです。この囲まれた小さな洞窟みたいなスペースが。

子どもたちも大喜び。

電気も引けてないから、日が落ちると小さな太陽光ライトのみで過ごします。

本も読めないけど、子どもたちとこの薄暗い明りの中、いろんな話をします。

7時には布団に入るからあとはおしゃべりの時間なのです。この感じがすごく気に入っています。

 

でね、一週間たってきづいたもうひとつのこと。いや、日々何かあるんですけれどもね、結構大きな事態が、笑。

 

梅雨のような雨が続き、布団の裏がカビになっていて、困りました。

とりあえずわずかな晴れ間に干す。

でね、どうしたらいいかなあって考えながら、屋根の雨漏りに塗装してたら、たまたま山暮らしの達人さんたちが入れ替わりでやって来てくれてね、話を聞けたのです。

 

そうしてね、ある達人さんの言葉がすごく腑に落ちました。

「山の中は酵母酵素がいっぱいだからね。変な色じゃなきゃ、そんな悪い菌じゃないと思うよ。」

と!!!

 

そっかー!!!!

白神こだま酵母白神山地に住んでる菌、だよなあ。

「じゃあ、仲良くお付き合いして行く方法を考えたらいいんですね。」と、達人さんに話すとそうそう、と言ってくれたのでまずは布団に話しかけてここではあまり増えないでくださいーと、お願いしました、笑。

 

そっかあ、酵母酵素

コロポックルもいるようなきがします。

このうち、風は抜けないけど日もあまり当たらないけど不安にならない家なのです。安心するというか。きっとこうして守ってくれるなにかがいてくれるのだろうと思います。八百万の神様ってこういうことなのかな。人が偉いわけじゃあないんだよなあ、って感じています。

 

なるべく長い年月ここに土地を守ってくれた木を切りたくなかったので、木は切らないつもりでした。少しだけ自分たちの住むスペースをもらうだけのつもりでいました。でも、こういう状況で建物が腐っては住めないので、来年はもう少しお日さんが当たるようにタイミングをみて木を切らせてもらおうと思っています。

 

いろーんなことをきろくのために書いておこうと思います。

引っ越し1日目は豪雨の中、ブラシで家の中を磨いてテントを張って寝床を作り、2日目は雨漏りにおおいそがし。3日目は全く乾かないどころか、乾いてるものまでしめる湿度に悩み衣類を含めたものはタイのようにハンガーにかけて風通しよく収納してなるべく床に置かない、4日目はキッチン水道がないので雨の中、食事作るために往復するのに困ったねえ、と悩み(これは慣れで解消、笑)、5日目はカビ問題に悩み(布団の下はすのこ、少しでも晴れ間がある日にいろいろほす)。6日目はやっと、雨漏り対策に塗装を始めることができました。そうそう、トイレの排水は旦那さんが作ってくれたけど給水ができておらず、これじゃあ、ぼっとんのほうが便利じゃないかとすらおもえました、笑。トイレを使った後、三往復してトイレのタンクにジョウロで水を入れなきゃならなかったのです。これは一週間ほどで完成。でもまだトイレに行くのに、一度外に出ないとならないので昔の厠みたいな感じなのだろうと想像しています。めんどくさいかもって思ってたけど、慣れればどうってことはなくて水洗なだけでそれはとてもありがたく。

 

そして雨漏りの塗装のこと。これって塗るだけじゃないんですね。まずは屋根をブラシで掃除して泥をおとすとこから、笑。そして雑巾で拭いて綺麗になった状態で初めて塗装を始められます。

急に気温が上がった時は鉄板の上で暑い暑い、言いながら明後日からの雨に向けて塗装を必死でやる!

 

でも、今年の北海道は他の地域と違って、涼しくて、もうストーブ入れたいくらい寒い日の方がおおかったから昼間はその屋根の上がとっても心地よくって。

菌のおかげかな。子どもたちも登ったり降りたり、楽しんでくれてます。

 

こんな風に色々あるけど、びっくりするけどそれを超えるときの一つ一つが楽しくて、家族で共有しています。

それから今この瞬間に気持ちを注げるから、ここに越して来て母としてのイライラも、色んな不安もぱたっとやみました。

森の神様である菌のこうかもあると感じています。

 

理屈じゃなくて、ここにいられることが幸せだな。

 

引っ越して来た時。

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夜はこの太陽光充電ライト一つで過ごします。

7時にはテントに入って子どもたちとおしゃべりタイム。

小さな明かりってなんでしょうね、心がほっこりして火を囲むようにそこにいる人と集いたくなるのです。

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魔法の言葉。

幼稚園のスタッフ研修に参加させてもらって、母であると言うことをあらためてかんがえなおしてる。

 

そんなきょうあったこと。

ささいなことで、こゆにうるさくいってしまった。

ひとしきりバトルし、泣いて部屋に閉じこもったこゆにこえをかけた。

わたしが言いすぎてのは分かってる。

言いすぎてごめんねと膝に抱いた。

 

こゆはわたしにいいました。

「さっこちゃんじゃない、こゆがわるいんだ。」

わたしは違うってはっきり思って伝えた。

「こゆはじぶんのきもちをつたえただけ。わるくないんだ。それを受け止めきれなくてこまっておこってしまったの。そんな気持ちにさせてしまってごめんね。」

「なんでさっこちゃんはこゆをだっこしようとおもったの?」

「こゆが今何を考えてるか知りたかったの。だって今、わたしは大人の権力を使った。大人の方が言葉を知ってるから、次から次へとたくさんのことを言って、こゆのことばをきくすきをあたえなかった。わたしが間違ってる、っておもったの。それをどう伝えようか、かんがえていたけどわからなかったの。こゆが自分の気持ちをせっかく伝えてくれたのにね、それなのに打ち消した。聞かなきゃこの状況は変わらないのに。ごめんね。」

 

こゆはしばらくひざのうえでわたしの顔を見ながらおしゃべりしてまた遊びに部屋に戻って行きました。自分は母としてのわたしとしてこの人とどう一緒にいたいのか日々、積み重ねています。

 

もう一つ。

大ちゃんが調子に乗ってついでの壁にぶつかり、いたいーいたいー、さっこちゃんきてー!!といってぶつけたとこを抑えてた。

 

もう、調子に乗ってるからじゃん、めんどくさいなーって言って家事をしようとしたら、「もう、さっこったらー。」と、こゆがわたしの前からだいちゃんとこにはしっていった。

 

こう言う時、わたしは母に何もしてもらえなかったのだと思う。今も、「めんどくさいなー自分でふざけてぶつかったんじゃん。もう小さくないんだからどうなるか、わかるじゃん、気をつけてよ。」、そう部屋の外からのぞいていった。

でも大ちゃんとこに走って言ったこゆのこうどうがきにかかり、そばにいって、こゆにきいた。

「わたしどうしたらいい?」

「だっこしてあげなよー。」と、こゆがいってくれた。

大ちゃんのとこに行って抱っこしたらこゆが安心して微笑んだ。

「抱っこしたらなんでいいの?」

もう一つおまけに教えてもらった。

こゆは笑いながら言った。

「だって、お母さんだからだよー。」

いつもわたしを名前で呼ぶこゆがそういった。

そっか、お母さんってそういうことしてくれる人なんだね。

 

抱っこがいいんだよ。

それは知ってる。本も読んだし、耳がいたいくらいきいた。

でも今、100回くらい聞いたことのある言葉の意味が初めて分かった。

こゆのおかげで。

子どもの言葉は魔法の言葉だとおもう。

もう絶対忘れない。

母にしてもらって9年。母であると言うことの今の記録。

こゆが熱性痙攣を起こして一年。

今年の今日も夏風邪引いてる。

あさから両鼻から吹き出すような鼻血でめざめる。

なぜか、あの日の記憶が手に取るようにまざまざと蘇ってきてるのでああ、びっくりしたね、といつもより穏やかに、丁寧にむすめにせっしているわたしがいる。

 

あれから一年、色々あったけど、元気に生きていてくれたこゆ。

親孝行なんてそんな言葉がどうして生まれたのだろうというくらい、わたしはこゆにまいにちおやこうこうしてもらってるからいらないよな、この言葉っておもう。

 

思えばいつもこゆは、いのちがけで教えてくれる。

そもそも本来子供達というのは毎日命がけで生きてるから当たり前なのかもしれないが、こゆのばあい、本当に要所要所で命をかける。

今回2回目。

1回目は仮死でうまれ、2回目は熱性痙攣。

わたしはこの経験で、命がけでわたしに訴えようとしていることがある、と受け止めるようになった。

わたしの未熟さに命がけで訴えてくる、、泣。そりゃそうだしまだまだまなばねばなたないことがあるんですね、、、、、、。分かってるけどおもわずつぶやきたくなる。。

 

子どもは神に近い存在、って本当だとわたしは感じてます。

彼らが教えてくれたことは、わたしを変える。

彼らが「わたしが変わらなくてはならない状況」にしてしまうから。

覚悟を決める、なんて悩んでる暇もなく、「かわるしかない」のだ。

 

日々を生きてる彼らに、自分の日々も重ねて寄り添うというのはそういうことも含まれる。

 

だから虐待も起こるのだとおもう。

子どもの人生に寄り添うということは、自分の人生も揺るがす。

それが母であるということだから。

 

申し訳ないけど母にしかわからないことがある。父にはわからない苦しさがある。

それは我が子に人生を揺るがされるというくるしみだ。

それに気づいた頃、わたしは父である旦那がそこを理解できないイライラを抱えていた。なんて無神経、っていつも思ってた。でも、旦那さんは彼なりに頑張ってた。私たちを支えてくれていた。

 

わたしは自分の苦しみを彼が理解できるように伝える努力をするべきだった。彼の優しさからくる気持ちを彼の言葉で聴きながら、それを忍耐というエネルギーにかえて、何度も何度も伝えていくべきだった。

感情と伝えたいことは別だと、自分に言い聞かせ穏やかに気持ちを伝えるべきだった。イライラして彼に怒りという感情を乗せて伝えたぶん、彼は傷つき、わたしをせめた。今思うとわたしの配慮不足が招いた、わたしの責任だと思う。世のお父さんたちが奥さんのそういうとこに傷ついてること、けっこうあるのだろうとおもう。お父さんたちだって家族を思うから頑張っていてくれたのにね。

 

いつのまにか、わたしばかり頑張ってる、っておもいこんでる。そうじゃないのに。

 

わたしはたくさん揺れた。

外に働きに出かけず、子どもと共にいる選択をしたから。なぜそれをえらんだのかはわからない。けれども多分、わたしは自分が子どもの頃、母に寄り添ってもらえず悲しかったのだと思う。自分が我が子に寄り添う方法を知らなくて探すために、専業主婦になった。

 

その世界は想像以上に厳しかった。はたから見てきた頃は、専業主婦って気楽そう、楽しそう、って目で見ていた。

 

でもね、共にいる時間が長いほど昔の傷が自分が気づかない形で、えぐられていくのです。

いつまでも泣かれるとイラつく。

食べても食べてももっと食べるもんないの?って一日中聞かれて、与えてないみたいで頭にくる。虫歯になるんじゃないかって心配になる。

兄弟喧嘩が絶えずに、上の子にあんたそんなに人のこと責めて、といらついてせめる。下の子だって思いの丈をぶつけてるのに、結構上手にやるから彼らは上手いこと逃げていくんだよね。

あまりに頭にきすぎて、毒を吐く。これ、自分が育ってきた環境が壮絶であるほど、ひどい言葉をはきすてるんです。。。。。

自分が選んだ道だから全て自分の時間なのに、そうせいりできたらいましかないこのともにあるじかんがかけがえないのに、自分の時間がないって愚痴ってた。

 

可愛いはずの我が子に一日中怒って夜を迎えてる自分に愕然としていました。

 

どうしてこうなるんだろう。。。

何日も何年もかけてわかったこと。自分はそう育ってきたのだということ。自分が生きて行くために忘れ去られた辛い過去、でも身体が覚えてた。だから同じように我が子にしてしまう。

 

ごめんね、ママ。

我が子にそう言われるたびに涙が出ていた。

この子は悪くないのにわたしにはどうしようもない!!!!

育児書も、子どもはこう育てろっていろんな人が書いた本も何も意味がない。自分でゆっくり読んで心で感じて理解していく余裕を与えられないその時のわたしに、なにもひびかない。保育士であったわたしに書いてあることは頭では分かってることばかりだったから。書いてあることは全て美学にすぎないのだ。

 

保育園とかでやってる子育て支援ですら意味がない。自分がこどもにしていることを整理できてない状態で話を聞いてもらってもその場しのぎに過ぎないから。それ以上踏み込める保育士さんはごくごくわずかだとおもう。でも、そうでないと意味がないのだ。やはりこれも美学にすぎない。カウンセラーでさえも多くはそう。心を入れて聞いてくれる人がそばにいればカウンセラーという仕事は必要なくなってしまうんだろうな。

 

人が言うことはそんなことはほとんど頭では分かってる。だってわたしの本心はこの子が愛しくて愛しくて仕方がないのだから。それを邪魔する感情をコントロールできれば、それさえできればね。

事件は現場で起こっており、絶え間無く起こっていることであり、頭で分かったからってコントロールできることじゃない!!!!!

 

わたしの育ってきた道は新しいタイプの虐待だった。

現代社会の問題を抱えた密室で起こる、核家族だから起こる、虐待だった。

でも気づいたことがある。

わたしと同じ母も苦しんでいた。きっと自分がどうしてこううまくいかないのかくるしんでいたはずだ。

 

心の傷があれどもわたしは自分の子と生きていかなきゃならない。

自分の子の幸せをこころから喜べる母でありたい。

専業主婦になったのはそのためだったといまではおもう。

 

自分が願っていたものと違う生き方となってしまった自分の幼少時代。

何がおかしかったのかすらわからない現代社会のプライベート空間。他の家と比較するということができなかったから。子どもにぶつけて初めて気づいたことの数々。

 

我が子も傷つけた。自分もたくさんたくさん傷ついた。同時に旦那さんも傷ついていた。

 

そうしてぼろぼろになって、わたしはそのとき恵まれたかんきょうに大人になってであっていたことに気づいた。

 

母である女性の精神衛生が大切だという人がやってくれている幼稚園があった。家族全員一緒に通って1日を過ごせる幼稚園だった。そこにわたしも一年通って、でもそこの幼稚園の園長の本当の素晴らしさに気づいていなないまま、はなれたとこだった。

 

そこにもどろう、と思った。すでに通い始めた普通の幼稚園、そこの園長先生もやさしいひとでしたけれども、子どもを預かってお母さんがリフレッシュできたらいいよね、と心を込めてくれていたけれども、そこにいって、離れてリフレッシュしただけじゃ解決できないことばかりだった。

 

預かってもらってお互いに疲れて帰ってきて、子どもの気持ちを考えずに早くお風呂はいって片付けて!って怒っていたのでは子どもと過ごす日々は豊かになっていかなかった。家族と共に自分がどう生きて生きたいかを考え、実行していく必要がある、それが母の仕事の1つなんだろうときづいた。

 

その園長は母の精神衛生についてを考える研究をしていた。

園長はいつも園長の椅子に座って事務処理してイベントの挨拶するだけの人だと思っていたのに、その人は研究者だった。

母の精神状態が安定していると子どもはどう育って行くのか、毎日毎日、ずっと母や子ども、時にはお父さんやおばあちゃんに寄り添い考えてくれる人だった。動物学、犯罪学、心理学、わたしはそこで、母から引き継いだ負になるものを引き継いで行く怖さを知った。そして違う場所でそれをまのあたりにもしていたことに気づいた。母から引き継いだ苦しみは世代を超えるともっとおもくなってゆくということに。わたしはわたしの代で断ち切る必要がある、それは子孫にとって、これからの未来にとって何よりも必要なことだと思ってます。わたしにとって壮大なプロジェクト。

 

研究しながら、でもいつも、幼稚園に通う今より1秒先の私たちの幸せのために力を貸してくれる人でした。79歳になってもたくさん悩むし今よりもっとよくなろうって考えているんだよ、とすなおにか立ってくれたなんとも人間臭い、園長先生ではなく、人生を重ねて深く柔らかく大きな心をもった人、だった。先生ではなく、地域で暮らしていた頃にいた面白いおじいちゃん、好奇心旺盛なおじいちゃんって感じかな。

 

わたしだけじゃない、母としてそういう苦しみを抱えた人はきっとおおいとおもう。

愛しいのに愛しかたを知らない、自分が待ってもらったことがないために子どもの成長の待ちかたを知らない、ただそれだけ。しかも世の中が、待ってくれないから、母となった自分が責められるのが怖くて身を守った結果、子どもが犠牲になってるだけ。そうしてその子が次の代に苦しみを引き継いで行く。恨みとなるかもしれない。

 

恨みは自己肯定感を潰して行く。自分の幸せも人の幸せも思えない、そんな苦しみを我が子にさせたくはないから。

 

母である自分を愛しく思えたら、子どもを愛せる。

あいするきことができたら、安心の中で子どもは育ち、家族である幸せを知る。

動物だから身を守るために群れをなす必要があるのかもしれない。少なくとも助け合える安心感は自分を支えてくれる。そうして豊かさは巡っていく。

綺麗事ではなく、それを経験してわたしは感じているからそうありたいとおもう。

 

母であることは、自分の中に宿った1人の違う存在を受け入れること。

その作業は実はとてつもないことなのだとおもう。

その受け入れる力で、人の生き方が出来上がって行くのだから。

時には実母がそうできないこともあるとおもう。それを支えてくれる人が必ずいつかどこかにいる。それを伝えられる人間に育つのは愛を感じられる人間に育たないと無理だと思う。

 

わたしは我が子に愛を伝えたい。けれども、わたしのように実母から愛を受け取れない人もいる。その苦しみもいたいくらいわかる。でもそんなわたしを救ってくれた人は、ははからあいをもらった園長でした。だから今度はわたしが血の繋がらない誰かを支えることがあるかもしれないし、我が子がそうであるかもしれない。

 

自己存在意義がなさすぎて、いつだって不安だったわたしが、母として我が子と向き合うために命をかけて変わったこと。いまでもかわりつづけるしかない日々。

 

でもそんな子どもたちのおかげでわたしはずっと生きやすくなった。また苦しみと課題はすぐにやってくる。本気で苦しくてもきっとそれを超えて、もっと生きやすくなって行くことが見えているから、ただただあるいていくとおもいます。

いまは楽で楽しくてしあわせになった。

 

母が本気で愛を伝える、わたしは母として、人として、わたしとして今、本気で生きています。

1日が穏やかで楽しく過ごせるかは自分次第、そうなるように日々を生きて生きたいとおしえてもらいました。そんな感覚を持った女性として生まれてこれたことに感謝をしています。

 

自分の持った豊かさ、優しさがたくさん溢れていく人にいつかなってたらいいな。

母としての苦しみが、かえてくれたこと。母にしてもらって、生まれ変わったように生き直させてもらったのだと思います。

 

家族は命の恩人。今日もいっしょにのじかんをいとしみながら過ごして生きたいな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自然から分けていただいたもの。

こちらきのこ。いただきました。買ったら高いであろう立派なキノコ。

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名前は覚えられなくてわかりません。

スーパーのように管理されたとこで育ったものでないこのキノコは、、、、、。

だいぶ水変えちゃったけど、芋虫のような虫がいます。

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いしづきや、傘の裏のひだにね、小さな芋ちゃんが隠れています。

それを水に浸して出す。苦しくて虫がぞわぞわ。でも出しきれないのでそしてもう一度傘の裏、いしづきのとこに黒いものが顔出してないかみる。

今回は結構少なかったけど、それでもいます。

 

わたししらなかったです。スーパーで買ったキノコは洗わなくてもいいんじゃないかってくらいキレイだから。

でもね、これが現実。

気持ち悪いって食べれない人もたくさんいるんだろうな。

でもこうして切磋琢磨で人間に着くさいきんもそだててもらってるのだとおもいます。

 

我が家はこんな生活なのでうちの中にアリンコがいたり天井に何かしら蛹がいたりします。

だいぶなれて受け入れてたのしんでるこどもたち。

田舎暮らしはサバイバル力。綺麗事だけじゃないのだと経験して感じています。

 

今日はキノコ汁とキノコ炒めに決まりだ!

 

 

 

保存食を作る。

納豆成功!

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意外に保温が難しい。

いつも粘りが足らずにいたけど昨日忘れて湯たんぽ変えずにいたらせいこう。

やったー。

 

ふゆにむけて保存食始めてます。

けどね、早くもキュウリかぶけさせた。

上だけとって塩をし直し。

保存食修行は続きます。

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表面だけカビた分は塩抜いて醤油とニンニクでお漬物。

こうして腸内細菌、家に住む最近育てたんだろうな。

やって見ないとわからないものですね。

 

 

 

畑仕事の週末、その2。

今日も1日畑作業。

一週間の雑草を抜いてお手入れするのに丸2日。

 

今日も蜂に刺された。

でもこないだのと違うらしく、痛みは全く違う。

こないだは一週間腫れてかゆみも続いたけど今日はその日だけ。

アレルギー体質ではあるから気をつけてはいるけど、まあ、運命なんでしょうね。

山で畑をやりながら暮らすという選択をした限り。

 

それとね、今日はニンニクの収穫。

掘ってねと茎を切ってからって束ねてほす。

五郎さんの奥さんと子どもたちとみんなで掘り起こしてほら、こんなに素敵になった、笑。

農家さんの作業を考えると果てしないなあって思う。

ほんとにね、大根一本100円じゃ買えない。100円で作るためには遺伝子組み換えが必要だって言われても無理はないかもしれない、とすら思う。

 

遺伝子組み換えって、魔法の技術で、遺伝子組み換えのたねを使うとある除草剤を使えば、その野菜の種だけ生き残って他の雑草はみんな死んじゃうんですって。

ね、魔法。

でもそうして数年経ったらその薬が効かなくなってまた新しく改良され続けるんでしょうね。

自然には敵わないってことなんだろなあって思います。

ならば人が自然に合わせる方長い目で早いと思うけどね。そうは行かない世の中の事情があるんだよね。

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ウイークデーは子どもたちに合わせて、幼稚園に行ったり、こないだはプールにも行った。

だから週末は合わせてもらいつつ、畑優先に。

 

こどもたちほったらかしで作業をするしかない、週末農家、笑。そんななか、山の麓の新しい引越し先で、彼らは蛇の抜け殻見つけてくびにまいて大喜びしたり、野菜を洗った水の流れを追いかけていったり、クワガタの頭だけ見つけてきたり。

(これ、蛇の抜け殻。ほしてるらしいです、まあ、蛇の服ではあるけど笑。)

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五郎さんの息子さんが面白いことを教えてくれました。鶏の毛で毛針作って釣りできるんですって!それを燻製にしたら長期保存できるんですって。美味しいんですって!!!

人生を楽しんでるステキな人との出会いに心ときめく瞬間でした。

 

畑仕事の週末、1日目。

野菜を作ることがどれだけ大変か、ってわかった。

 

一年分の野菜を作るために、畑のお世話をすること。

これ、子どもたちが小さい一人じゃ無理だ。

だから昔は大家族だったんだろうな。

今は核家族だから自分たちで生活回せない、けど大家族の大変さはないよね。

 

一年に渡って野菜が取れるように、(北海道は冬までに野菜が確保できるように、)、種から苗を育て、路地に植え替え、芽かき、支柱たてをし、雑草を抜く。

時間さえあれば雑草を抜かないと育たない。

そして収穫。嬉しい収穫だけど、ここにまだ住んでないので、お世話で忙しく正直、収穫が追いついてない。

天候にも左右され、大雨じゃどうしようもなく、ぴーかんになれてたら、早朝じゃないとつんだとたんしおれる。かていようならいいけど、農家さんのように出荷用だと数も多いし、そうはいかないんだな、ってわかる。

 

日本は農薬大国らしい。

本当かはよくわからないけど、農家さんが摘み取ったキャベツに虫がいると、消毒しといて、って言われるらしい。これってポストハーベスト、だよね。輸入物じゃなくてもポストハーベストとは、、、、、。

 

でもこれは農家さんのせいでも業者さんのせいでも、ないとおもう。消費者のせい、かもしれないけど、スーパーでお野菜を買うのが当たり前すぎて、「知る」入り口がない私にはどうしようもない気もする。

 

そうして、ふと、気づいたことがある。

一度でいい、自分はどうやって暮らしがなってるのか、子どもと学んだらいいのかもしれないって。

だから今おじいちゃんたちに教えてもらう、という生き方になった。

また極端な選択だけどね、笑。

うちの場合は生活の仕方を変えることにした。

昔の暮らしに近いものを経験してみること。

 

そうして気づいたことがたくさんある。

まずは野菜のこと。

自然農法で、一家の一年分をえるのは半端ない忍耐(野菜がなるのを待つこと)と労力、大きな土地が必要だって現実も。

これを安く手に入れたい消費者に売っていたら、農家さんの暮らしは全くもって成り立たない。

 

スーパーのお野菜をあの値段で売るには農薬と化学肥料を使わないと到底無理なのだと思います。雑草は今年みたいな天候の日でもグングン伸びてくるしね。

「雑草のように、、。」

というけれどわたしは雑草がこんなにも、こんなにも強いだなんて知らなかった。昔の言葉の意味が今の暮らし方に変わったことにより、理解できなくなってることってたくさんあるのだろうなってふと気付きました。

 

そんなこんなで、わたしは自分がどうやって暮らしているのか知りたいって思っています。

そしてね、子どもたちにも知ってもらいたいと。

それも、自分がどう生きて生きたいか考えるヒントになると思うのです。

 

トトロのメイちゃんとさつきちゃんと住む家にタイムスリップしたような、リアル北の国からなのか、リアルトトロなのか、って感じです。

 

暮らしで忙しくなり、いつも子どもたちにあわせるというわけには今は行かなくなった。街だとうちの外で出ると車も多いし、子どもたちに合わせるほうが寄り添えると思ってきたけれども、自然の中に入れたら毎日発見と出会い。大自然が先生、そういう中に身を置いて彼らが自分で楽しみ方を見つけて行ってます。これからもっと見つけていけるんだろうなと思ってます。

子どもの方が柔軟だから私たちが新しい暮らしになれる方が時間かかるんだろうな。

 

梅仕事が今年もようやく終了。

関東は7月のはシソの季節のなるけれど北海道は遅いので、近頃梅干しにシソを入れなくなりました。

だってね、梅そのものがフルーティで美味しいから、シソ入れなくても十分。それにね、赤みはお天道様に当てると一気に色づくの。

 

これ、干す前ね。でもことしはちょっとかぶけさせちゃったから6月にちょっと風に当てたのでほんのりあかみをおびてる。

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ほら、これ、干した後。もういちにちほしたからもっと赤くなりました。

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梅のフルーティさが勿体無いのでわたしはもうシソ入れることないかも。

今年でお味噌と同じ、梅仕事も10年。減塩にトライしたり、青梅、完熟梅でつけてみたり、いろいろやってみて、自分の作り方がようやっと定まってきました。

 

 

色々失敗もしたけど、それがあったからいまがあって。私の講座にきてくれた方にカビないようにつけ方をお伝えするけれど、私は失敗する経験って貴重だと思ってます。次から失敗しない方法が自分でわかるし、その残念感を経験してるからコツを多分忘れない。

 

失敗はラッキーだと思います。なんて言っちゃってます、笑。失敗しても好きなら続けるから、続けるなら失敗しておいた方が上手くなる。

昔から引き継がれてるものって、失敗してもちゃんとお世話したり様子みたりしてあげて入れば、対処できることが多いみたいなのです。(私の実感として。)ちょっとくらいじゃカビても食べれちゃうから、対処不能って判断すればそのじてんでたべてしまえばよくて。

 

お味噌もそうだし、梅ジュースも火にかけたりしちゃえば結構いけちゃう。その経験があれば次の失敗は怖くないしね。

ただ様子を見てあげることだけは忘れずにね。

 

今年は体調不良でうちわでしかできなかったけど来年また梅仕事講座やろうと思います。

作って見たい、って思った時が神様がくれたチャンス。来年そんな方がいたら声かけてください。

 

自分が母になって、お母さんである今こそ、作りたいものだなって思うのに、講座はチビちゃん連れて行くのは気疲れすることが多いと思いなって感じていました。四歳児連れて講座に行っても子どもの気をそらすのに疲れて結局イライラしちゃって。自分にも子どもにもよくないよね、って講座に行ってた上の子の頃はいつも思ってました。(それならば子どもにあわせる方がお互いに無理がないので子どもたちが小さい今はほとんど行かないです。)

 

そんな経験生かして、お母さんのためのお味噌仕込みのお手伝い、梅干し作りのお手伝いをするのが、最近始めた裏稼業です、笑笑。子どもさんのコンディションに合わせて日にち決めて一緒にうちに来てもらってやったらいいなあっておもってます。

お母さんが作った自家製の保存食、発酵調味料はオーダーメイドの家族の薬になります。何より自分でこうして時間をかけて作ったものの美味しいこと、たのしいこと。

もしやりたい、って方がいればお手伝いします、って名刺でもそのうち作るかなあ。

お味噌だけでもうちにストックがあると結構安心だったりして、お味噌の消費量の多い我が家は、今年既に、30キロ仕込んでます。とは言っても、2年熟成させたいものもあるからギリギリの量なんだけどね。

 

マヨネーズとケチャップ、ソース、使わない分消費量が多いのかな??

 

今年のウメちゃんたち。3年熟成、できるかなあ。。20キロつけたけど、もう少しあったらよかったな。小分けにしてぼちぼち開けて行くと、ツボから取り出す手間いらず。

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