日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

麹祭り第2弾。

さいきんめっきりおりょうりすきのだいちゃんが甘酒を作りたいと言って自分で作ってました。

 

カカオを入れてチョコ甘酒。

たくさん作りすぎてちょっと飲み過ぎの1日ではありましたが、最近お疲れの私にげんきをくれて、おいしかった。

 

多分私が今まで作ったどの甘酒よりも彼のこのはじめての甘酒の方がぐんと美味しかった。

子どもの菌は発酵にすごくいいって本当なんだと、感じました。

 

もちろん炊飯器はないので魔法瓶を使用。

一から百まで私の今までのやり方を見ていたようで上手にやってました。

 

すごいなあ。。

 

そしてね、料理以外では、(料理はもう聞かれない限りなんも言わなくなりました。彼のセンスを腹の底から知ったのでなんも言わないという行動に繋たんですね、きっと。腑に落ちるってこういうことなのかも。)、ああしたらこうしたらって言ってしまう自分に改めて反省。言葉で伝えて伝わることなんて本当にわずかなことなのだろうとかんじます。

 

ごめんね、何度教えられても行動がなかなか変わらない母ちゃんで。伝わらないことで責めるよりも黙ってる方が何倍もいいってことは理解したのに。頭で理解したことは、わかった、ってことではないのだろうとつくづく思います。腹の底にしっかり落として行動を変えて行く、それまではまだ時間がかかりそうです。これからも私の課題です。自分が1番もどかしい苦笑。こんな自分も否定するんじゃなく抱えて、抱きしめて毎日を積み重ねて行くしかないんだろうな。いつか変わりたいと。

 

写真撮り忘れてしまったので使ったスープジャーを笑。

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麹祭り。

タイに行く前にお願いしていた無農薬麹。

届けていただくタイミングがすっかり遅れてしまい昨日まとめてお願いしたので、一気に麹仕事を済ませています。

 

今朝うるかしていた豆を使って西京味噌白味噌というか京みそというか甘いお味噌。

これ超短時間でできるのでたまに作ってます。

週末の試食用だけ発酵器使って、であとは自然に手をかけずゆっくり熟成が1番。

豆ゆでて潰して。

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麹混ぜて出来上がり。

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みそを仕込み始めて10年、経験ちをいかしつつ、手頃にできることをしたいなと日夜研究中であります笑。うちも今朝、朝ごはんついでに作ってるくらいだから笑。

 

週末、気まぐれに西京味噌仕込み講座しまーす。

無農薬大豆、無農薬麹使用。熟成期間二習慣。樽もいらない、短期間、味噌をやってみたいけどできなかった人にはオススメかもしれません。時短な分、面白さを一気に味わえる気がします。

 

我が家はこういう自家製調味料はお楽しみとしてたまに盛り込んで食を楽しんでいるのだけれども。これでお魚をやくと、おべんと屋さんにあるあのさけやさわらの西京漬がきまぐれにできます。ネギのぬたもいいかもです。けっこうおもしろいですよー。。

 

なんて、宣伝ブログになってる笑。

 

ついでに今年の夏は金山寺味噌作ってみたいです。これは私も初なのだけどこちらも講座にして楽しくやるかなー。

 

旦那さんに告知ページつくってもらわないとなー。。これが結構大変なのです笑。

 

手前醤油。

はじめてのお醤油があまりにもうまくいったから一年に一度はやってみよう地思い今年も仕込みました。

 

今回は2キロの麹で、たぶん一リットルはできると思うのでうまくいったら、旦那とともにお世話になってる暮らし方の師匠に半分おすそ分けしたいな。

 

無事にお醤油になりますように。

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大きな梅酒瓶にしちゃったものだから毎日振るのがおもーい笑。

けれどもトレーニングだ。

 

今日はお願いしてすっかり忘れてた玄米麹と白米麹が届きます。

またお味噌を一気に12キロ、仕込んじゃうかなー。

 

おしゅうゆこうじと、あまざけともう一つ発酵物を作るけど白米麹がまだあるから、西京味噌か、とら豆みそ仕込みの会を週末のほうにでもしようかと思ってます。

西京味噌は麹が多めの甘味噌で、本当のおやつのように甘いんです。生野菜に付けたりクラッカーにつけてもいいかも。みずきりおとうふとまぜてハード系パンもいいです。二週間ほどでできる面白お味噌。

 

とら豆みそもインゲン系なのでペーストにするととってもいい。お野菜もいいけど木綿豆腐や厚揚げにつけたい。あとやきおむすび!!こちらは今の季節なら2、3かげつの熟成期間が入ります。

どっちにしようかなー。

 

どちらにしろ試食用も作ってないので我が家の発酵器使用しなくちゃな。熟成の深い味はご自身で作ったお楽しみで、3日でそれなりに美味しくなるんですよね。

 

どちらもまだ予算は出してないけど、無農薬麹と無農薬豆使用なので500グラム持ち帰り付きで2500円以内とみてます。

よかったらどうですかー。

足るを知りながら暮らしていこうと思います。

2年前、素敵なハーブガーデンにしようと思って少しずつ増やしてきた苗。そして熊笹を必死に切って耕した畑。

 

先日、ひっこしのお手伝いのお礼にと、自然農で大切に育てたネギとニラとハーブをいくつかいただいたので植えたら、ネギニラ畑になっちゃいました。

現実ってそんなものなのかもしれないな、笑。

 

ここんとこ、なかなかフィールドにいけないから雨降る前に一気に植えちゃおうと思ったら、雨の方が一気にやってきてしまい、もう終わらせてしまおうと、ずぶ濡れで作業をすませました。

 

2年かけて熊笹を切った畑は日当たりも良くなり、雑草畑に。ハーブを植えたいから雑草を抜かせてもらったら、これが大変なこと。。

クローバーの根っこがまた大変で小さなスコップで根を切り、ほじり、しているうちに手のひらに大きなマメができちゃったけど、それでも進むしかない。

 

ネギを植えるころにはマメが潰れていたいけど、どうしても終えてしまいたくてどうにか終わらせました。これでネギとニラはうちでまかなえる、うれしいな。旦那さんに子どもみたいな集中っぷりだね、と言われたけど、そうだね、子供達が帰りたくない心境、まさにこれだね。

 

さて、帰宅してお風呂はいって、マメがすごく痛かったことに気づき、中に入った泥をとったけどきづのできたてって、しばらくカバーしないと浸出液が出ちゃうんですね。

 

サビオ(バンソーコー)を切らし、カバーがわりの葉っぱもないのでどうしたものかと考えていたら、ありました。服を作った時に出たハギレたちが。。

袖を作って時に出たいらない部分を手に巻いたら、これで家事のできる手になりました。しかもぬのがやわらかくてすれないしぴったりとしてないから蒸れなくてかえって傷に良かったんです。一晩で痛みが引き、今日だけはあまり濡らさないよう子どもたちに助けを借りれば明日はほぼ大丈夫。

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子ども用にはサビオが必要かなって思ったけど、ガーゼ布のハギレを割いて使え自由自在、どんな傷にもたいおう可能。ここによもぎのもんだのを数時間挟んでおけば大抵の傷は問題ないですね、きっと。

 

あるものでどうにかなる。

それを試してみようという思考が働くようになり、足らないものがあるとまずはそれをかんがえるようになりました。私たちが完璧を目指さなければどうにかなることが多いんじゃないか、って最近思っています。傷がすぐに良くなるように、とか、早く終えたいからなんでも自分でやってしまおうとか。ゆっくりでいいんだと思います。

 

最近家族でのんびり過ごす日々が楽しいのは自分たちのペースでいられるそれが心地いいからかな。

 

食べることも使うものも今持ってるものでどうにかなるみたいです。

きっとそれは家族関係もそう、いろんなことを相手に求めすぎてしまってるんだろうな。

少しずつもっと居心地良くなるように気づいていこう、そう思います。

野草ごはん!

春です。

札幌にも暖かい春がやってきました。

 

タイから帰ってフィールドから掘り出した大根から始まりなんとかかんとか繋いできたお野菜も底をつき、買えばいいのだけど、買う気がしなくて最後まで粘り、実は今野草と共に暮らしています。

 

本当にね、買いに行けばいいのだけど、スーパーで買う気が起きなくて、かえない。。

ならば底を尽きることを堪能してみようかと思いつき、そうして次に出たアイデアは野草!

 

子どもたちと雨の前の日に2日分。

野草はそんなに多くは食べれないからガツガツ取る必要もなく、いつも余計に買って置いたりして、贅沢してたなあと気付かされます。

 

かうのは必要な分だけ、でも、意外に多く見積もってるものでうちにあるストックを日々積み重ねてるようなものだったらしい。

 

ふきのとうのくきと野良ばえあさつきのおつゆに、すぎなごはんとヨモギごはんのおむすび。蕗の葉の醤油漬けをまいて。つくしの茹でたのに手づくりのお醤油をかけて、と、若い蕗の味噌漬け。最近

腸内細菌のために甘いもの控えてるので久々によもぎむしぱん。甘みは純黒糖で。

うちにあったものは玄米ご飯とわずかな米粉と調味料。でもも味噌もお醤油も手作りだからそれだけで豊かなものだとおもってます。

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こうしてプレートにしただけで子どもたち大喜び。

 

でもね、野草は強いので、最近胃の弱い私はたくさんは食べれなくて本当に少しずついただいてるのだけど、そうてる間にご近所さんがハウスで取れたほうれん草を分けてくださったり、美味しい厚揚げを(それも無農薬大豆の!)分けてくださったり、おかずはいつも一品ですが、すごく豊かなことに気づかせていただいたのです。

 

子どもたち以上にあれ食べたい、これ食べたいって思ってるのは自分であることに気づき、本当はどれくらいのものが必要なのだろう、とか、どんなことを自分が当たり前に思ってやってきたのか、また一つずつせいりしています。

 

当たり前って実は何一つあたりまえじゃなくて。

それを私たちはほとんど全てを自給する村で共に暮らさせてもらったことで、感じる必要性をえて、当たり前に暮らしてきた、いま、ここ、さっぽろでも実践しています。

 

そこで暮らしたことが、実は自分がすごく豊かな中にいたこととかを理屈ではなく感じさせてくれています。そのことが、自然に湧いてくるから、すごく日々を暮らしやすくなった。

 

服を作ることもそうだけど、自分にはできない、ではなく、自分の暮らしに必要ならやってみればいい。これはわたしのくらしであって、誰の評価も関係ないことなのだから。

 

生活の変化を少しずつ記録してみようと思います。

1日1着。

つくってます。

マキシ丈だと長いので、ミモレ丈で作ったスカート。

思ったよりふわふわで気に入ってもう1着。

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こんな組み合わせにしたら可愛いかもって思ってブラウスまで作ってしまった。

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そしてね、とうとう男の人用のtシャツ完成。なかなかいいできになりました。

生地はマツケさん。型紙はパターンレーベルさん。

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やりすぎて子供達の服、自分の服が自家製になり、旦那さんの服もズボンをつくれば自己満足の自家製。気づけば100着をこえてました。よく作ったなあっておもいつつ、経験だけが学びになってる今の学び方を整理してます。

 

学校に行く代わりに自分で素材から学ぶこと。いろんな型紙から縫い方を学ぶこと。どこから学べばいいかわからないから興味のあることから少しずつ。なんとなーくどうしたら自分が楽しみつつ学べるかなあってかんがえながら。

 

生地代が勉強代。そろそろ学費を稼がねばならないな 笑。

 

好きなことをしすぎてちょっと寝不足。好きなこととできることとのバランスを崩してしまってます。

子どもたちと過ごす日々も大切にしたいし、また自分と向き合う必要もありますなあ。

 

レメディケース。

今日は服作りをお休みして、久々のレメディのお洋服、チクチクしました。

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お洋服でミシン続きで久々の手縫い作業。

自分で感じていた以上に手間が掛かっていたんだなあと実感。

 

でもこれを初めて、かれこれ100個近くになるだろうか。

ほとんど同じデザインはなく、毎回楽しく作らせてもらいました。一つずつが私にとってお気に入り、でした。

 

好きこそ物の上手なれ、いびつだった形がだいぶマシになってきた気がします。

コーヒー豆も素敵、レトロな感じの柄も素敵。

今回はニットで羊柄の、手触りもすき。

 

手作りのいいところは、大事に作った思いと、楽しみながら作った思いがこもってるところ、なんでしょうね。思いがこもってるってすごくたいせつなことだから。

 

昔の雨乞いとか、桃太郎に持たせたきびだんごとか。生活は、全て全て、人々の思いからなっていたものなのだろうと思います。

 

手頃に買えるようになった今、家事でもなんでも機械で済ませたりするようになった今、そのことを一つずつ考えて行く必要がある気がします。

 

当たり前と言う感覚は、機械的に行うようになってますます根付いていったんじゃないだろうか、って想像しています。

 

私も普通に生きてきたから、まだまだたくさんの当たり前の感覚があります。気づくたびに、当たり前じゃないよなあって思うのに。

 

自分はどう生きて、人やものとか変わってゆきたいのだろう、そう、ふっとおもう気づき。暮らしはこうして自分と向き合い積み重ねてゆくもの、なんですね。