日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

人との関わり(タイ暮らし80日目)

   先週のパスタパーティ。本場のパルメジャーノにいたく感動したコユ。美味しかったとずっと言っています。ちなみにコユはその日、バジルソースもトマトソースも全くかけず、パルメジャーノとしお

だけでパスタをいただきました。本当に美味しくて私も真似したくらい。それにチリもテーブルに並んでるのがタイっぽい笑。ちなみにパスタはインドネシア風でロングマカロニ。これでジュースを飲んでみたかったそうでストローのようにパックに突っ込んで飲んでました。子どもってこういうの好きですよね。はじめは止めましたが、泣かれてふと考えてみたら、これはやってみたいよなあと、経験の方に軍パイがあがりました。いつまでもやってはいないでしょうし、ここでやって満足する方が長い目で見たら確実にイイはず。本当に飲めたようでご満悦。ついでに大ちゃんも。。

 

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   そして今週は買い物に出かけたオレンジマートで夕飯食べにおいでとお誘い。一緒に食べるのだと思っていたのに、私たちの分だけ作ってキン ローイ(食べて食べて)とご夫婦で言ってくださる。レタスに米粉麺とハーブと焼き魚をのっけてソースをかけたもの。あとはカオパット、タイ風チャーハンです。お土産に持っていったはずのスイカも、好きじゃないからと私達のお腹に。日本では好きじゃないからとあまり言わないけど無駄にならなくてイイかも、、とふと思いました。メインの手作りのお料理ももちろん美味しい。タイの人は薬草づかいが上手。バジルやレモングラス、生姜やガランガ、などを使いこなす、すごいなあ。こうしてハーブを使ったり野菜を使うのもシンプルで手間がかからずいいなと思いました。夏野菜はこうしてみようかな。

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   ちなみにここではキッチンが外にあるうちも多くて、こうして外で調理しています。そして庭に畑もあったりしてお店の合間に畑仕事して暮らしも仕事も繋がっている感じがします。ここ、アパートにもなっているのですがみんながここで調理するのか親戚の人なのか、私たちが食べている隣でまた調理していて、ものはそれぞれが持たなくてもいいなあと感じます。ちなみにお呼ばれですが、サハイナンと変わらず、ボウルに野菜が入り、いつもの飾りっ気のないお皿に盛り付けたおかず。シンプルに暮らしています。美味しいご飯に感謝していただきました。

 

   ちなみにここでの滞在の間、いろんな人にキンローイ(食べて食べて)とご飯を食べさせてもらいました。ラオスに行くバスを待つ間、軒先で待たせてもらったお家で、買い物に行きトイレを借りた時に、お昼ご飯を買ったお店で食べていたら店の人の昼ごはんまで笑。庭先でお酒を飲んでいる時は必ずと言っていいくらい声をかけてくれ、飲み物食べ物を出してくれます。私は家族の1日分をまとめて作ってるから考えちゃうのにここの人たちはそんなことおかまいなしでなくなったら、また作ればいいし、買いに行けばいいじゃない、と考えているようなのです。それよりもお互いに関わり合うことを大切に考えているのでしょうか、ほんとうにフレンドリーに声をかけてくれるんですよね。こうして人と人が関わり合うことの豊かさを感じます。歩いていると、車にのっていきなーって声をかけてくれることもそう。カフェでどこから来たのーって話が弾むこともそう。疑うことが先に来ない、心穏やかに暮らすってこういうことでもあるのでしょうね。そして人と関わりって学校や幼稚園のように存在する年齢が限られた世界では学びきれない、言葉でももちろんまなびきれないものなのかもしれません。我が子だけでなく、他のうちの子もよその国の子も同じ。みんなが目をかけていくことで、豊かになっていくのかもしれないなと思います。それは、疑うことが先に来てしまっている大人に対しても同じかもしれません。疑うことは日々を不安にしてしまい、自分が辛くなる、そう思うので不安を持たずに行きて行くにはどうしたらいいのかなあと時折考える今日この頃。そんな中で何かに気づかせてくれようとしてるこの気づき。

 

    さてさてここでの話に戻ります。そしてみんなが見返りを期待していない。。したいからそうしているのかもしれません。自分たちがそう暮らしているから当たり前なのかもしれません。でもこうして相手が喜ぶこと、自分がされたいことをする、そういうことを自然にできている人たちのようでだから穏やかなのかな、表と裏が矛盾していないって素晴らしいなあってしみじみ思います。

 

   ここで学んだこと、感じさせてもらったこと、本当に宝物です。大事なことは少しずつ私の中で消化して行動に変えて行けるといいな。

頭で知ることと経験で知ること。(タイ暮らし79日目)

   カシューナッツ集めをしてから自分がコレクト好きだと知り、今日もちょっとした時間で集めに行きます。木の実拾いって面白くて、それも木々の間を探していくのが気持ちいい。葉っぱの上をカサカサ素足で歩きながら、カシューフルーツの赤と黄色い実を探す。こうして拾って集めていた時代があったのでしょうね。集めた数は前回と合わせて100個ですが、隅に入れて焼くときに失敗もするでしょうし、虫食いもあるでしょうし、みんなに分けるでしょうし、1人10個食べれたらご馳走おやつだろうと思います。でも他にも食べ物は十分にあるのでこうして分け合いながらいただくのがちょうどいい量なんだろうな。自然の中はこうしてバランスを保ちながら生きられるようになっているのかもしれません。そして人間が作った身体にとって偏ったものになるだろう油や添加物がないので身体も過度に欲することがないのかなと感じています。

 

   近くにスーパーもないので買い物にもいかないし情報もないので、シンプルで楽になりました。食も暮らしも。お腹が空いたらあるものをいただくため、木の実や畑のものを収穫し、必要なものがあればまた自然から頂いて作る。お皿や家やおもちゃを。今は服は作れませんが笑、子どもたちは葉っぱでふけるんだよと葉っぱで鼻をかんで、葉っぱのお金であそび、木のボッコで電車ごっこをしています。作るには根気もいるので本当に欲しいものしか作らないのも私にはかえってよいのです。ものが増えなければ散らからないし、できないのにやりたくてイライラもしない。自分の中での欲が増えると、イライラしたりと自己矛盾を生じてしまうので、のんびりのんびりが少し身についてきたように思います。日々が楽しい。

 

   そしてその間旦那さんは建築、みんなはそんちょうさんちの増築を手伝います。

土壁を作ってます。粘土土の中で素足を入れてモミモミ。

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竹で作った下地にねんどを貼ります。

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   カシューナッツを集めていると子どもたちがよってきて一緒に拾い始め、みんなに会いおしゃべりして、子どもたちは嬉しそうに収穫したものを見せる。そしてそんな子どもたちを見て笑う人たち、人との関係も循環しているのです。全てそうとは言い切れないけれど、でも私がここに3ヶ月いて感じたこと。本当に自然の中で暮らしていると、自然と自分だけの時間がよく訪れるのです。それぞれが作業に没頭している時間があるので人との関係に疲れないし、自然と自分だけの時間はヒーリング効果になっている気がします。例えば、土壁を作るために粘土土を踏み、竹を割り、自然のものに触れてる時って穏やかに没頭する。そして手作業効果で、なんとなく喋って見たり没頭したり相手が気にならない。ここではみんながそんな感じです。だから私だけが言葉ができなくてもそんなに関係ないのかもしれません。なんとなくお互いにできることをフォローしあう。あ、それがコミュニティでいきることなのかもしれません!

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   それと私の癖で、相手の癖や性格が気になる時、勝手に妄想して嫌な人だなーって思ってしまうことがよくありました。これを聞いたら悪いかなって聞かずに黙ってしまうことに関しては日本人には良くある傾向なのかもしれませんが、私はそのあとマイナスに偏りがちでした。そんな私のつぶやきに対して、旦那さんは疑問は直接聞いて解消する人です。そんな彼にここで何度も学びをもらって、聞いてみること、その一歩を踏み出すこと、をするようになりつつあります。そうしてみたら、相手のその行為が、マイナスに受け止めている自分の行為の1つだったりすることに気づいたのです。相手に悪意はなく、その人も一生懸命に生きているだけ。そう気づいたときに、相手を受け流すことができることを知りました。と同時に、自分を受け入れたり向き合ったりということも。そうして必要な時は距離を置き、そうでない時は受け入れたら良い。そうすることで一番楽になるのは自分。穏やかに過ごしたいなあと思うので1つずつ、一歩ずつ。ありがとう、旦那さん。

 

   小麦の洋菓子やパスタ、ピザを取らなくなって一年、昨日久々にパスタを食べたら、大ちゃん、ここにきてはじめて咳で目覚める朝。ゴホンゴホンと胸からくる咳の音は久しぶりで、ここのところ暑いので風邪ではないはず。。身体から抜いてみてはじめて、本当に彼の身体にあっていなかったんだと学びました。彼の健康を願う私たち夫婦にとっても大ちゃん自身にとっても。シンプルになることでそんな変化を知ることができ、大ちゃん自身で身体に目を向ける習慣がつけられるのですね、きっと。彼の身体は彼が守れるようにできるサポートをしていくこと、それが私のできることだったんですね。今までは具合が悪くなってから対処したり、彼がいいって言ってるのに寒いから着ていったらーと厚着をさせそうになったりしがちでしたが、大きな学びでした。余計なことしてごめんよー、息子ー。反省の母ちゃんであります。

 

   自分の身体に取り入れるものをシンプルにすることで、じっくり身体の変化を観察することで余計な心配をしないですごせる。そうすることでじっくりと今を過ごして行ける。ついでに裸足で道を歩くと足が地面を掴んで、姿勢が良くなる気がします。足の裏のツボは全身に繋がってるとマッサージの先生に教えてもらいましたが、今は情報としてではなく、自分がそうしてみた経験で身体の不調が調整されている感覚を得ることができました。もちろん靴があることで得たものもあるのだろうし靴が必要ないとは思いません。それは興味があれば自分で感じて考えてためしてみたらいいことなのでしょうね。自分にとっての今のベストを、自分にとっての事実を知ろうと行動に移せるようになりつつある今。

 

   昨日気まぐれにさせてもらった幼稚園でのパネルシアター。我が子も自分もここの人たちもみんなで楽しい時間を過ごせて嬉しかったなあ。自分の好きなことを喜んでくれる人がいて無理なく過ごせる時間を経験させてもらってよかった。ありがとう。

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ここで過ごした3ヶ月。共にそだちあった仲間と。(タイ暮らし78日目)

   今日は学校最終日。村長さんは家を増築中なので我が家が代表でみんなを連れて行くことになりました。学校についてまずは自己紹介。そしてお坊さん先生が私たちが今日が最終日だと言うことを話してくれます。私も大好きなこの学校と先生と子どもたち。ちょっとさみしくなっていると、お坊さん先生自ら大ちゃんに手紙を渡してくれます。大ちゃんの今の写真を丁寧にラミネートまでして。そして続いて子どもたちからコユと大ちゃんに手紙のプレゼント。思い思いに絵とメッセージを添えてくれます。先生からも大ちゃんには手作りのしおり、コユには手作りのブタちゃんのノート。胸がいっぱいになる私たち。

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   ありがとう。今は学校で学ぶことを望んでいない大ちゃんにとって、ここが初めての学校でした。毎週楽しみに待っていた金曜日。ほとんど言葉は通じないけど片言の言葉のやりとりを楽しみ、身体で関わり、少し大きな友達の大きな心遣いに支えてもらいながら本当に楽しんでいました。私たち家族一人一人にとって学びがありました。本当に、ありがとう。

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   そう伝えるともっと一緒に過ごしたかったよ、と言ってくれる友達や、あなたたちとの時間が幸せだったよと言ってくれる友達がいて、またまた大ちゃんより先に胸がいっぱいになる私。ありがとう、ありがとう。言葉を伝えることで精一杯です。あなた達の純粋さに私達、たくさんの気持ちを感じることができました。

 

   そうして始まった1日。今日もゲームから始まり、だるまさんがころんだのフランス語バージョン、英語バージョンで楽しみます。だるまさんがころんだの部分が フレンチでは 1、2、3を表す アン デュー トロワ ソレイル(太陽)と言ってフリーズするのです。面白い!!おとなも子どももお坊さん先生も夢中で遊びます。そして次は英語の言葉を聞いて5人チームで表現をします。例えばハウス、と言ったらチームで話をし家の形を作るのです。7歳から15歳で表現する世界は、何だかわからないものができたり、立体敵だったり平面的だったりと面白い。そしてそれを引っ張るお坊さん先生がいい関わりをしてくれているのです。ライトを表現した時はスイッチを入れてみようと各グループの表現したものをいじってみたり、虫を表現した時は、スペシャルなお願いをしたいと思う、と言ったあと、動いてみて!と声をかけます。本当に一緒に楽しんでいるのです。

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    そうしてみている大人も表現する子どもたちも引っ張る先生も楽しんだあと、小さなカードを使ってゲームをします。小さい人と大きい人に分かれての時間。小さい人はそれぞれが好きな遊びをしていたのですがみんな自主的に遊んでいるのが素晴らしいなと思います。したいことがない、とボーッとしている人がいないんですよね。

 

   大ちゃんは言葉はわからない部分が多かったようですが、少し大きな人が声をかけて気遣ってくれる配慮のおかげで、1人別の空間にいる気持ちになることもなく、この日も思い切り楽しんでいました。この絶妙な配慮がすごいなといつも思うのですが、大人の社会を反映しているにでしょうね。こうしてお別れの日は過ぎて行き、お昼を終えてここを出るときには、さみしくなってセンチメンタルになっていた大ちゃんでした。みんなにお別れを告げて、学校を出るとき、サハイナンをセカンドスクールのしている男の子が、もう1つプレゼントがあったんだ!と追いかけてきてくれて、先生も何だろうと笑いながら最後のひと時。渡してくれた贈り物は、木を削ってキーホルダーにして、丁寧にニスまで塗ってくれて気持ちのこもったハンドメイドでした。ここで過ごした時間はお金に変えられない宝物。今のこの時間を、この年齢の大ちゃん、コユ、旦那さんとここに来れたこと、ありがたいなと思います。思い切り今を過ごす尊さと幸せを思います。

 

   この三日間でhappiness という言葉を知り、二回も聞きました。これは幸せという意味。私のhappiness は今だよ、と言ってくれたピュアさん、happiness の時間をありがとう、と言ってくれた学校のお友達、happiness と共に生きている彼らのおかげで私も少し変われた気がします。幸せって言葉が自然に身体の中にあること、尊いことだなあと思いながら。

 

   そうしてサハイナンに帰ってから、旦那さんの家づくりを家族でフォロー。昔はこうしてたんだろうな。旦那さんの手伝いをする妻とそばで遊ぶ子どもたち。広い広い自然の中は大人も子どもも走り出したくなるくらいの気持ちよさと興味がいっぱい。そんなわけで助っ人のいない今日も旦那さんの仕事が進んだようでよかった。

命綱して屋根作りです。

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   夜はそばに住むフレンチファミリーがお別れ会をしてくれました。パスタパーティ!お料理の上手な奥さん手作りのハーブソースとトマトソース、インドネシアスタイルというロングマカロニのようなパスタとフランスのパルミジャーノ。そして私たちの持参したフルーツ。いくつかのビールとココナッツジュースというシンプルな食卓。フランスのパルミジャーノの美味しいこと。感動しまくりの私のそばでいつもほとんど食べないコユが、パスタにパルミジャーノといういたってシンプルな盛り付けを自分で選び、黙ったまま黙々と食べていました。パルミジャーノが無くなるとあれが欲しいと声をかけるだけで、こんな風景はじめてだったので、本当に美味しかったのだろうと思います笑笑。この感動の感覚、忘れないだろうなあ。ハーブソースも美味しくて、英語がほとんど話せない私ですが、不思議と盛り上がります。教育の話、夢の話、来年はタイ料理と日本料理の教え合いっこもしようねと盛り上がったので、また同じ時期に会えたらいいな。これも実は奇跡なことなので。そしてシンプルなパーティだったので次の日までお腹が重くなることも誰かがずっと動くこともなくいいですね、こういうスタイル。

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   国を超えてこんな夢の話をし合えること、それもたどたどしい英語で、笑笑。理解しようと耳を傾けてくれたフレンチファミリーに感謝です。こうして関わっていくことで世界の人々の優しさと平和を感じると共に、これは日本でもできることですね。まずは自分と家族が平和であること。自分の周りと穏やかに関わって行くこと。責められて、責めて、の感覚の強い中で育った私ですが、平和になりたいと祈りながら、自ら平和を感じて変わって行くこともきっとできるのだろうなあと今日も思います。

 

   私に平和を。まずは私が。今日も自分らしい穏やかさが在る1日をありがとうございます。全てに感謝して。楽しかったな。あ、昨日蜂に刺された傷は夜中に突然かゆみに変わり、腫れと熱を持ってます。熱は毒と戦い、かゆみは毒を散らすためでしょうか。何か意味があるのだろうと思いながら観察中です。私の身体も自然の一部、観察をして何が必要なことなのか、感じて行くしかないですね。身体にも感謝です。

いまをおだやかにいきたいから、忘れてしまうこと。(タイ暮らし77日目)

   今日は身体がだるくてノーランチで昼寝。参ったなあと思いながらも昼寝をしたら少し調子が上がり、お腹が空いたので焼きバナナをしながら買い物に出かけた旦那さんが帰ってくるのを待ちます。お土産に頼んだカオニャオが買えなかったことと、体調が悪いのになんの言葉もくれない、とここに来てはじめて旦那さんに怒ってしまった私。お腹が空いてるのでとりあえず塩持って畑に行って、豆でも食べようと向かう途中、木々の中に入り込んだら気持ちが良くて、ついでにカシューナッツが落ちているのを見つけて、怒っていたのもお腹が空いていたのも一気に忘れて夢中でカシューナッツの実をひろいます。

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   裸足で歩く枯葉の上は時々チクチクと痛いけれど、本当に気持ちが良くて怒っていたことがスカンと身体から抜けていました。夢中で集めた実は70個!サソリを踏まないようにだけ気をつけて子どもたちと一緒に夢中で過ごした時間。最後の1つは大ちゃんが特別に大きな実を見つけて大喜び。おやつにやいて少しずついただこうとお日様に当てて乾燥させます。自分で焼くカシューナッツは、香ばしくてかりかり甘くて美味しいのです。そうしてひろいおえたら旦那さんの仕事場で、さっきはごめんねーと行って畑に向かいます。森が助けてくれました。森の中にいると、こうして忘れてしまうことが度々あります。村長さんが自分は忘れっぽいから、って言っていたけれどもしかしたら、忘れるようにさせてくれているのかもしれません。こうしてリセットしながら今を生きると、気持ちが良いのと、心が楽になるように思うのです。

 

   そして畑でロングビーンをつんでそのままボリボリ。。。これ、私大好きなのです。きっと近くにお店があったら、甘いものを買ってしまっていたでしょう。けれどここではこれができる限界。でもすでにカシューナッツ拾いで心が満たされていたので十分でした。我が家のお世話になっているお医者様が言っていました。子どもたちが甘えることができれば甘いものはいらないと。本当にそうだなと思います。満たされていたらイライラや寂しさを埋めるのに甘いものを一気ぐいする必要はないから。

 

   こんな経験を日々積み重ねて自然の中で生きるとはどう言うことかを、感じます。考えることにはもう限界があって、感じることが多くなって来ていまして。ここで時間をかけて身を置いているから感じられること。そしてそれが私の経験であり、私そのものなのだと思います。

 

   素足生活が気に入り、怪我をしててもきもちよくて素足ですごしました。傷口に傷を重ねていることもしばしば。けれどもこれになれたら、街にでても素足でいたくて、そうしていたら笑、季節の変化を足の裏で感じられるようになって来て、自分のセンサーが面白いなあと発見しました。そして地面と身体が近くなって、すっかり身体中真っ黒砂だらけ。土の上に寝転んで星を見たり、葉っぱをお皿にしたり。子どもたちもそこらへんで枝を拾って来て、バナナにさして焼いてます。自然がどんな存在なのかを感じ、汚いと思っていたことがそうでもなく、人間の身体は思っていた以上に強いことを知り。そして多分、たくさんのバクテリアが私を助けてくれていて、虫たちが一緒に生きていて。。今日蜂にさされたことさえも(痛いと思って覗き込んだ時点でいなくなってました。針を残して逃げるって本当なのですね、)、共存だな、、とおもい、痛いけど嘆くことでもなくなっているのが不思議です。

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   化繊の服が汚れきったので燃やした時に出る煙と液体。サハイナンで燃やして荷物を減らし、石油が溶けて残るのでそれだけとってゴミ捨て場に持っていこうと思っていたのですが、眺めていてふと、これらはどこへ行くのだろうとおもいます。煙は空気と混ざり、自分たちの身体に戻り、液体はゴミ焼却場の地下まで汚す。自分のいる場所を汚さずに他の場所を汚していいのかな、そうしてまた水として自分のところにも帰ってくるし、未来への贈り物になってしまう。汚れた自分の身体から生まれる命に、そして汚れた自然から食べ物をいただくその命たちに。自然からたくさんのものをいただいていて、私は未来に何を残そうとしているのかな、とはっとしました。我が子だけでなく、未来を生きるすべてのものたちに。みんなが穏やかであること、幸せであること。それを祈ることだけでもできたらいいなと思う81日目でした。

だんだん畑ができた(タイ暮らし76日目)

   段々畑、ようやく完成!!やりたいこととできることを絞って、1つのことを自分の経験にすることに集中。1週間かかってようやく完成。かなり急な斜面を耕し、埋まったたくさんの石を掘り出し、平面にして行く。そして次はコンポスト。森のあちこちにちった稲藁とカオプーと灰をあつめる。カオプーは30キロ越え。そして発酵臭のするEMと混ぜ、寝かせておく。

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   何度と石の混ざった斜面は硬く重く、何度も鍬が壊れて直しての作業。そうしてこれだけの畑になった。

 

   前に耕した畑も村長さんのアイデアで活用。鍬を通すとふわっと軽い。すごい。様子を見にきてくれた村長さんがベリーソーフト!!と満面の笑みで言ってくれたのは、この耕すことの大変さを知っているからだったんだと今思います。

 

   私たちがここを出た後も水をあげてもらえるようホースと水道をつなげ完成。以前の畑から移動した苗の他に、かぼちゃ、ロングビーン、大豆、ごま、パクチーを植えました。土曜日にサタデーマーケットで村長さんにプレゼントのタネを買おうと思います。村長さんにリクエストはないかを英語で尋ねます。これも去年はできなかったこと。1つ1つが嬉しいなあ。今を生きる喜び。

 

   そして午後、シエスタをしていたら村長さんをサポートしつつ自分のパーマカルチャーファームを開拓中のピュアさんがうちの前を通ります。ピュアさんのことが大好きな大ちゃん、Where do you go?と尋ねると、I go to market by moter bicycle.Do you go with me?と言ってくれて、しっかり理解した大ちゃん、張り切ってYes! と答えてついて行きます。バイクの後ろに乗せてもらって出発。大好きな人がいてくれて自由自在にここでの生活を楽しんでいます。大ちゃんを見送り、夕飯の支度をしながら遅いけど楽しんでるんだろうなあ。。と思いを馳せていると、帰って来て嬉しそうにかけて来て教えてくれます。ピュアさんがジュース買ってくれて2人でアイスとクッキー食べて来たんだよ!と。ピュアさんに御礼を言うと、パパとママには内緒ね、って言ってくれたようで笑いながら大ちゃんを見て、おれの弟だから、って言ってくれます。そういえば先週もわたしが1人で出かけて旦那さんが建築をしている間も楽しいことがあったそうな。サハイナンの中を自由に駆け巡る大ちゃんとコユ、前の日に帰った滞在者さんが置いて行ったカップ麺をおやつ代わりに、ピュアさんと3人でボリボリ食べたそう。パパママ、シッシーだよ(内緒ね)、と行ってくれたそうなのですがコユがしっかりばらし、ピュアさんと大爆笑。私もピュアさんとのそんな関係が宝物だなあと思えて、よかったねー。。とただただ嬉しいなあと自分の経験したことのない関係に胸がいっぱいになります。こうして愛をしっかり感じながらいきている大ちゃんとコユ。人を信じること愛すること、自分を受け止めてもらうこと、愛することの経験を積んでいる2人を見ているといろんなことを感じます。

 

    大ちゃんは人と触れ合うのが好き。時にしつこいくらいではありますが、これも彼の長所なのだろうなあとここで感じさせてもらっています。そしてその想いに応えてくれる人の方が多くて、私が学ばせてもらっています。丁寧に今の大ちゃんと関わること、今のコユと関わること。そのために私はこの人たちといる生活を選んだんだなと自分で改めて感じながら日々、自分が無理なく関わるにはどうしたらいいかなと考えます。

 

   大ちゃんとコユ。1週間を共にした家族。韓国人のヘナちゃんとアメリカンのホイソンさん。母子で川に行ったときにはコユをずっとせおって崖を登ってくれました。笑顔と愛がたくさんの2人。この後はボルネオ島にゆくそうです。どんなところなのだろう、自分の目で見て感じた世界。どうか楽しんでね。

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   一番幸せを感じるのはどんな時?、そんな質問に「今だよ。」と答える30歳の男性。彼を見ていると、日々焦ることなくその時間を過ごし、待ち、巡って来た仕事をイライラすることなく穏やかにこなしていることを感じます。そしてもう1つ、育ちのことを聞いて見ました。日本にいる時はスーパーに行くとしょっちゅう子供を叱るお母さんを見かけ、子どももお母さんも辛いよなあと思う私ですがこの村で母親が子供を叱っているところを見たことがありません。なのでピュアさんにも聞いて見たくなり尋ねます。「あなたの親は怒るひとだった?」と聞いたら、「子供の頃からそのことを心配したことはないよ。」と答えてくれました。だから今のピュアさんがあるのですね。今を、毎日を幸せに生きるピュアさんが私たちと出会ってくれたことにただただありがたいなあと思います。そして思います。自分が穏やかにありたいと。そうなっていこうと。ありがとう、ピュアさん。そしてピュアさんのご両親へ、ピュアさんと出会わせてくれてありがとうございます。

 

パパが立てているうちの二階からヤッホーと叫ぶコユ。壁がなくてコユとはまだねれないけれど。。

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その場所からコユのみている景色。

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そしてシャワー上がりにおやつ。甘いものは果物ともち米、サツマイモ。

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自分がいたい場所に身を置いた時間の中で。(タイ暮らし75日目)

   さてさて去年は1月に帰国していましたが今年はもう2月。ここサハイナンにはカシューナッツの木があります。2月から実がなりはじめるので村長さんに教わってカシューナッツをたべることにしました。

 

   まずカシューフルーツからナッツをとって天日干し。この形、お腹の中の胎児の最初の形に似てるなあと思いました。なんだかとっても愛しい形です。

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     そしてこれをすみの中に投入します。なぜかというと、からの部分に毒があるからその毒を飛ばさないといけません。唇につくと火傷してただれたようになってしまって非常に危険だそうなのです。英語がこれ以上理解できないので自分で調べてみることにしました。そうしてわかったことは。。カシューナッツってウルシ科なんですって。だからかぶれるってことなんですね。しかも強いんですね。そして中の実には青梅で有名なアミグダリンなどの食中毒の素があって、ダブルパンチを受けたらただれと強い下痢と腹痛になってしまうということなんですね。炭に入れるとジュージューいって中から液体が出てきます。これをだしきって火も通さねばなりません。何度か炭にし、研究の結果ようやく成功。

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  真っ黒。

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   そして石ころで割ります。

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   でてきたカシューナッツの実。中身も胎児。愛しい一粒。

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   この作業に要する時間、1時間くらい。これでようやく1人三粒ほどのナッツを口にできます。今回はみんなにおすそ分けしたので20粒は剥いたでしょうか。しっかり火を通したものの次の日に手の皮がわずかに向けてガサガサになってました。痛くもなんともないのでたべることには成功しましたが、こんなに手間がかかるんですね。おやつをいただくまでに子どもたちとこの作業、わずかな量を大切にいただきました。そしてやっぱり値段とこの手間との差を考えてしまいます。

 

   こちらは川で拾ったアーモンド。こちらもハンマーで砕いて中の身を干してからいります。

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   そしてふと思います。原始人食にはナッツとお肉とお野菜だそうですが、ナッツを拾い、食べれるようにして、お肉を猟して、畑を人力で耕していた時代と今を釣り合わせることができるのかな、とか、ベジタリアンの人が、お肉を食べないけれど、油やお砂糖をたくさんとっていたりとか、ヨガをしてファスティングをした後は絶対にこれを食べなきゃいけないってこだわっていたりして旅をするのにたくさんの調理道具をもちあるいていたりとか。。。私もこれが正しいなんて言えるものはないけれど、健康食を頭で考えるときりがないのかもしれないなと感じる今日この頃。それだけでストレスになってるのかなと、情報の溢れている今を感じた気がします。

 

   ただ私自身が経験をして感じたのは、3畳の畑を耕すのにこれだけ身体を使っていたことがあったということ。移動をするのにこれだけ時間と体力を使っていたということ。自分で家を建てメンテナンスができていたということ。大人も子どももお年寄りも同じ空間ですごしていたということ。そしてそこには自然があったということ。食べれないと人は生きられない、その食べ物は自然からしか頂けないものであるということ。。そしてもう1つ。コミュニティのわずらわしさから核家族化をしていったのかもしれないと仮設を立てていますが、どちらにもメリットデメリットがあって、自分が経験した限りでは、コミュニティの中でずっと育っていき方を身につけているのなら、人の思いに勝るものはないのかもしれないとみんなで育ち合う場がもっとあったらいいなと思います。

 

   そしてこんな生活をしてもう1つ、きづいたこと。自分の感情の怒りにぶつかった時、何が正しいか問うても答えはなく、それによって自分が苦しむだけのように思います。ここにいていろんな人と出会って、子どもたちはどんな人も受け入れたり受け流したりしているのに時折気になる人が出る私。以前の私と考えを変えられるように少しだけなってきて、何が正しいか問うのではなく、なぜ自分がきになるのかを問うてみたら自分の答えがそこにあったんですね。それは相手の問題ではなく自分の問題。相手の問題は相手が自分でむきあうこと。私の問題はなぜ相手のそこがきになるのかということ。そうして時には考え、時には考えるのをやめてみる。考えなくても行き着く場所はあるということに最近気づきました。その先にあるものがあるから。私のその先にあるものは、どうしたら穏やかに今を生きられるか、それを知りたいのだということ。

 

    マイペースを受け入れてくれる自然は、私を頭でなく、心で、足の裏で、匂いで、体感温度で癒してくれています。3ヶ月という間ここにいたということ、その事実が私の中に今、存在しています。

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   ゆっくり畑を耕すように、カシューナッツを加工するように、ゆっくりじっくり穏やかに自分と生きていきたい、家族と、他の人たちと生きて行きたい。そうカシューナッツの赤ちゃんのようなタネを見ながらここで過ごした日々を感じ直しています。

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自分の過去を受け入れられた日。(タイ暮らし日記74日目)

   ここで昨年からパーマカルチャーを学んでいるピュオさんという男の人がいます。いつも笑顔の彼。コユのことをとても笑顔で可愛がってくれます。わらいかけてくれたり抱きしめてくれたり、最近は片言の英語を話し始めたコユ、キッチンの手伝いをしたくてピュオさんに聞いてごらんと声をかけるとトコトコと歩いて話しかけます。キャナ アイ ヘルプ ユー?すると、イエース^_^と満面のスマイルで一緒にご飯のポットを持ってね、と2人で外に運びに言ってくれます。とっても優しく丁寧に。彼から学ぶ子どもへの接し方は頭で考えようとするわたしにたくさんの気づきと感動をくれます。大ちゃんへも同じように。7歳になった大ちゃん甘えたくて、人の肌も大好きで、私たちがみているとしつこいなあと思うこともしばしば。ちょっとふざけすぎだなあと思ってしまうこともしばしば。それでもいつでも彼は、丁寧に大ちゃんの思いに答えてくれます。高く積み上げた椅子にいつまでも遊んで乗っては彼に抱きかかえて運んでもらったり、彼が仕事をしているそばでずーっと大きな声で歌っているものだからパパに「ちょっと静かにしないと邪魔じゃない?」って言われた時も、彼は「その歌、教えてよ、大ちゃん!」といって一緒に ターラランララン なんて歌ってくれます。彼が、ノーと言うのは手伝う仕事ある?と聞いてなかった時くらい。

 

   この深い優しさと器に、両親との関係を訪ねたくなり、聞いてみました。日本のお母さんはよく怒るけどあなたのお母さんは怒らないの?と聞いたら、うん、おこらないよ。僕はそのことに関して心配したことは全然ないよ。と、答えてくれました。たくさん受け入れてもらったであろう彼はたくさん受け入れられる30歳の男性として今ここにいてくれます。私たちのことが好き、可愛くてたのしいかぞくだね、と素直に気持ちを伝えてくれます。自分のファームを持った彼、来年は遊びに行って彼のお母さんにもお会いしてみたいな。

 

   ただただ彼の姿を見て感じてすごいなあ、素敵だなと思い、そこから形のない言葉でないものを心に刻んでいます。彼と村長さんはにていて待つ事と自ら楽しむことのできる人。彼らと過ごした時間は私にとっての太陽です。だから私は思います。怒らない人になりたいと。責めない人になりたいと。そして不安を持たない人になりたいと。その方が自分が気持ちいい、これは自分のための目標なのです。ここにくるまでは無理だと思っていたけれど、きっとなれるとここで思えたのです。きっと苦しみだけだと思ってきた自分の過去も生きてくるでしょう。(いや、ここで1つ新しい経験をしました。わたしがようやっと自分の過去を整理できたので、サハイナンで少し問題が起こった時にそれを活かせるかもしれないと思って村長さんに私の経験を伝えたのです。あなたとあなたが愛する人を助けることができるなら使って欲しい、そういって手放した私の過去の経験、それを彼は愛する人を支えるためにシェアしてくれたそうです。私の過去の苦しみをやっと受け入れられた自分、そしてその経験は小さな優しさに変わった気がしました。初めての感覚でした。) 起こることには全て意味がある。Little by little. 少しずつ、自分がなりたいようになって行こう、ここで英語を身につけるように本当に少しずつ、私は変わって行きたいなと思います。愛する自分のため、家族への愛を持ち続けたいから。乗り越えてくれた自分にありがとう。悪役を演じてくれた両親にありがとう。お父さんとお母さんも生きる中での苦しみを抱えてきていた、その苦しみがいつか癒されますように。と心から願う今の私があります。

 

   そんなことを考えながら今日はここにきて初めて1人、WiFiをしに村の中心まででます。裸足で歩くやまはきもちがよく、すれ違う人と話をしながら山を下ります。そして日頃は子どもたちが話しかけてくれるのでいつも途中で止まってしまう思考を、今日はいろいろ考えながら歩きます。なんだか歌を歌いたくなり、ふと思います。もうあえていろいろ考えることはないのかもしれないと。必要な時は身体がうごきだすことをしったので。そうして歌いながら歩いていると、声をかけられます。せっかく山を登ってきた人が山の麓までバイクに乗せて送ってくれるというのです。ありがたく、ありがたく甘えさせてもらいます。そして山を下り今度は国道を裸足で歩きながら歌いながら歩く私。あまりに気持ちがいいので 変な人でもいいかあ。。と笑。途中で捕まえた赤バスに乗り、村の中心につき、レストランに入ろうかと思いつつ、アイスを食べようかと思いつつ、今日食べてもまた食べたくなるだろうな、とやっぱりシンプルフードに落ち着きます。カオニャオ食べながらカフェで甘い飲み物を1つ。これで十分。

 

   カシューナッツのなり始めた木々の中を歩きます。 

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   カシューナッツはまず身がなりその次にカシューフルーツが膨らみます。こうしてなるって知っていましたか?ここからも調理するのが難しいのです。殻の中の水分がかぶれやすく、もしその水分に触れてしまうと火傷したように唇がただれてしまうそうなのです。すごく危険だよと、教えてもらいました。殻ごと火に入れたり、手袋して殻をむいてローストしたりするのですがまだうまくいったことがありません。日本で有機栽培のものを1キロ3500円ほどで買っていましたがこの手間を考えるとかなりやすいと思います。物の価値はどうやって手元にくるかを知らないとはかれない、だから食べ物は大切にしよう、という言葉ではほとんど伝わらないのだろうなと思います。

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   私自身暮らしの中でどれだけのことを経験して口にしているのだろうと日々ハッとします。子どもたちに対して、そしてイライラしている時に発する言葉。もっと自分の経験を増やしながら生きていきたいな、そうすれば頭で考えずとも優しくなれる、そんな気がしています。

 

   5日ほど前に隣の畑で野焼きをしていました。これから種を植える準備です。自然の力を貸してもらいながら。

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   家具屋さんにて。手彫りのドアです。素晴らしい彫刻。こうして丁寧にほって作られたものは人を癒してくれる力があるのだろうなあと感じます。

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