日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

子どもが身体を動かすということ。大人になっても身体を動かすということ。(タイ暮らし73日目)

   さてコンポスト作り2日目。今日はもみ殻燻炭をあつめて牛のウンチ、もみ殻、EMの順に重ねて行きます。牛のウンチが足らなくてもう一度とりに。30キロ以上あるこの荷物、赤ちゃんを背負うように背中に乗せて運びます。ゆっくりゆっくりと。素足で大地をしっかり掴んで、腰を落として全身を使って荷物と体を支えます。そうしてはじめて運ぶことができる。クワで畑を耕す時もそう。長い時間かかるのでしっかり全身を使ってバランスよくやらないと身体がもたないのです。でもここの人たちはこれくらいは毎日のことなのだろうな。そして日本の昔の暮らしを思います。こんな風に重い荷物を持って歩くのが日常だった頃、足腰の強さは全然違ったのだろうな。自宅出産をしたいと思った時に、助産師さんが昔のひととは身体の作りが違うから誰でもそうできるわけではないといっていたけれど、本当にそうだなと思います。全身をバランスよくしっかり使うこと 、そうすることで心のストレスもなくなる気がします。

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こうして身体を使う日々。日本にいて身体を動かすためにしていた散歩が続かなかったのは、私は身体のためとはいってもどうやらあえて散歩に行くのは好きではないからなのだと気づきます。旦那さんは二年間毎日散歩を続けました。彼は日にちを記録し続け、それを楽しんでいたから。ここでは身体を動かすために動くのではなく、好きなことをするとからだをうごかすことがついてくる。なのでそんな風にできるよう、自分にあった暮らし方に変えてみようと思います。

 

コンポスト一つにこんなに身体を使い、動いてできました。とはいってもこれから3日くらいは発酵のために寝かせます。ぷくぷく発酵してくれることを願って。

 

と、ハードな時間でしたが、午前中は学校へいってました。今週は村長さんが不在で私たちがクラスを手伝うように頼まれたのです。学校に行って自己紹介のあと、日本語のクラスから。旦那さん、以前やった簡単な自己紹介をできるようになってほしくてまた、繰り返します。自分の年をいう練習の前に数字の読み方を伝えます。タイ語でルビをつけると、学校の長のお坊さん先生(モンク先生と私たちはよんでいます)が、旦那さんにこの読み方ならこっちの方がいいよ、と教えてくれます。どっちが教わってるんだろう笑。でもここのモンク先生、素敵な先生で好奇心旺盛。いつも私たちの話を楽しそうに熱心に聞いてくれて、今日も日本語のクラスのあと、フランス語の数を教えてくれました。とはいっても、サハイナンのそばにいる友人のフレンチファミリーの子がタイ語をかけるようにここに通い始め、彼女から習ったのだと、モンク先生は笑いながら言います。先生が本気で楽しんでるから、子どもたちが食いつくのだなあと勉強になります。

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   子どもたちがそわそわし始めると、モンク先生、子供達に尋ねます。今、遊びたい人ー!と。パッと手をあげる子どもたち。そのあと何か言っていたので、今は勉強してるから、っていっているのかとおもいきや、本当に遊び始めるのです笑。子どもたちから上がったゲームは3つ。ハンカチ落としのようなものと、牛とその友達と虎に分かれて友達が円を作り、その中にいる牛を守るゲームと、2つのチームに分かれて椅子をむかいあわせにはなして2つおいてひとりづつそこを一周し、戻ってくるまでに、相手チームに近づけばタッチをしてタッチをした方が得点というゲーム。7歳から15歳までが同じゲームをして遊びます。本気で。牛と虎のゲームはかなり激しくて14歳男子が向かってくるのは本当に虎のような力で、こちらも本気です。

 

   椅子の周りを回るゲームはよく考えているなあと思うのですが、お互いが相手の動きを見て対等のレベル同士の子が競っているのです。並んでいるけどただ順番にやるのではなく、瞬時に入れ替わります。身のこなしも早い彼らだからすごい瞬発力だと思います。大ちゃんは彼らの瞬発力には敵わないのでいつも一番小さな子との組み合わせ。みんなができるように大きい子が配慮してくれていることに感動です。そしてみんな本気で身体を動かして遊んでいます。それが終わると今度はパーマカルチャーデザインのクラス。自分たちで作り始めたガーデンをどうしたいか、グループに分かれて話し合います。週に一度しか参加しない大ちゃんですが同じグループの仲間がどんな風にしたい?と聞いてくれます。自然に受け入れてくれる彼らの器の大きさに脱帽です。道徳教育をせずとも、村でみんなの中で育っている彼らに身についている力なのでしょうね。本当にすごいなあと感じます。そしてグループごとに発表。先生が一番熱心に聞いています。どんなガーデンになるのかな、楽しみです。

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   お昼ごはんはみんなと。こうしてゴザを引いて食べるのがここのスタイル。大ちゃんと同じ歳の男の子。無邪気に自分の好きなものばかりを食べていますが大きい人、文句を言いません。食べることには満足して日々があるのと、こうして受け入れてもらって育ってきたのだろうな。

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   そうしてまた午後から川へ。タイ語で川のことを、メーナームと言うそうです。これは母と水という単語を組み合わせたもの。水の母という意味だそうです。ああ、なるほどなあ。いい名前だなあって思いました。この森に囲まれた川が大好きなわたしたち、ターザンロープで遊ぶ大人笑。ここにくると一度はずぶ濡れになりたくなります。頭まで浸かって、身体にたまったものをざぶんと出し切って受け止めてもらう。その感じが気持ちいいのです。だから動物たちは水浴びをするのかな。

 

   1日動いていましたが自分のペースなので疲れたなあなんてぶつくさ言わずに1日を終えるようになりました。夜は11時間は休むのでこれくらい動いても日々、疲れは抜けて行きます。今日も楽しかった。そんな暮らしの心地よさを知ったここでの暮らしです。

畑を耕すことと自分が知ったつもりになっていたということに気づいた日。(タイ暮らし72日目)

    大ちゃん、言葉を自分のノートにメモするんだ、と記録してます。私の名前は・・というフレーズをいろんな国の言葉で覚えたのが楽しかったようで、自分でイントネーションまで記録してます。興味を持って自分で育てて・・・、こうして学んでいったら楽しいね。朝ごはんが足らなくて、パンケーキを追加。ココナッツミルクとバナナと米粉と塩を混ぜて焼いただけ。優しい甘みです。ココナッツミルクと果物で食べても美味しい。

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   昨日は久々に三食とりました。以前の量に比べたらはるかに少ない。けれど朝、だるくて起きれなくなってしまいました。今までの生活を変えてみて、自分の身体にとってどんなふうに接したらいいのか、感じて考える日々。こうして今、毎日毎日という、今を生きています。

 

   帰国まで16日、ここでの暮らしも好きだし、帰国してからの日々も楽しみ。ここで今やりたいことがあって、終わるかな。。昨日は段々畑作りに再チャレンジしました。自分で作った二箇所の畑、一つがウオータリングが大変なので私が帰ったら水をあげてもらえなくなるとかわいそうなので移動しようとしたら村長さんからアドバイス。すでに三段作った段々畑、山の斜面に平行に作っていて、水をあげても地面にとどまりづらく、大雨が降ったら土が流れていってしまうよ、というのです。ああ、そうか!今まで何度も見た段々畑。わかっていたつもりでした。今思えば簡単に納得できるような簡単なこと。。。なんて気すらしてそんなふうに思う自分がちょっぴり恥ずかしい。実際には簡単には気づけなかったことだから。村長さん、私が気づくのを待っていてくれたようなのです。

 

   何度も眺めた自分の畑、わーい、自分で耕せた、そう思っていたけれど言われてみてはたと、ほんとだ、違う景色だと気づく。坂道を滑り落ちないように鍬で耕すのも大変でした。灰をまぜて稲藁をかける作業も。でも斜面に対して垂直に耕すともう少し作業が楽になりました。後はこの斜面が斜めにならないようにすること。そうすることで水が平均的にとどまります。粘土質と、石の混ざった山の地面を鍬一つで耕すのはなかなかの重労働ですが知ったつもりになっていたことに気づき、そんな自分と向き合いたくて、小さな芽をだしてくれたこの畑の植物を守りたくて再挑戦です。ついでに牛のウンチを使ったコンポスト作りにも挑戦。30キロのウンチの入った袋を担いで畑に行き、EMを集めに移動し、灰を持ってきて重ねて行きます。食事の支度もあるので1日では終わらず、2日目に持ち越し。コンポストを作って寝かせている間に畑を広げるつもりです。体力のない私にとってはハードワーク。ここのところ、しっかりお腹が空く日々です。

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   そして今日も予定外に三食いただきました。しっかり動いてお腹も空いたのでありがたく少なめに夜はみんなで火を囲んでワイワイ、いただきました。釜焼きパンにバンブースティッキーライスに、パクチーの効いた春雨麺にパイナップル。コリアンの女の子が作ってくれたスープもスパイス効いて美味しかったな。バンブースティッキーライスは、ココナッツの殻むきから1人でこなしましたがこれがかなりの肉体労働。男の人がやるところはいつもみていましたがみているのとやるのとでは全然違うなあと実感。1時間もかかってしまいました。が、やってみてできないことはあまりないのかもしれません。2時間かかってココナッツミルク完成。こうして自分でやってみる。ココナッツミルクの缶詰があるのは当たり前ではなく、レトルトもお弁当屋さんも当たり前ではないのですね。海外のものも手軽に手に入る時代、それが豊かなことなのかどうかわかりませんが、こうしたものが自分の手元にどう届くのか、自分で作れるものなのか、本当に必要なものなのか、時々立ち止まって考えたいなあと感じています。今日も美味しくいただけたことに感謝して。

人と感じあうこと、そして自分の身体に起こったことを自分で知って行くこと。(タイ暮らし71日目)

   足の小指が腫れ始めた日、しもやけのような痛みを抱えて過ごしました。2日目、痛くてびっこをひきながら歩いていたら夜になってとうとう歩けなくなりみんなの優しさに甘え、一人小屋で夕飯。スペインの女の子が 心配してレスキューフラワーレメディーを貸してくれ、ぬったりのんだり。次の日に返す予定が今の自分に必要ないから帰る日に返してくれたらいいよ、とその優しさに心がほんわか暖かくなりました。ここで初めてあった私に対する優しさに。そのことについて旦那さんが言ってくれた言葉の意味を改めて感じます。私の作ったご飯を3日間くらい食べてきたからじゃないかな、と。こうしてつながること、関わること、身体で自然に感じあうことの大きさを。心は頭で豊かにするのではなく、身体で感じあい、豊かになってゆくのですね。教えてくれた彼女に感謝でいっぱいになりながらもう一つ。

 

   この日の夜、痛みで度々目が覚め、ほとんど眠れなかったのです。じくじくじんじん迫るような痛み、何もせずとも痛いし、少しもちあげたら激痛。けれど痛みと腫れだけなのでありか何かに噛まれたのだろうと不思議なくらい不安にならず落ち着いている自分。旦那さんに痛み止め飲む?と聞かれて、気づいたのです。ふとここで痛みを感じなくしてしまったら、自分の身体の変化に気づけなくなってしまう。これでも激痛だったけど、もっと痛くなったら痛みの箇所を観察して、何か対処をした方がいいかもしれない。ここで病院にかかるという選択肢がほぼ無いからこそ、自分で自分のことを知るしか無いと思っての行動でした。日本では激痛になったら、妊娠していない限り痛み止めを飲む、これが私のいままでの生き方でした。けれど、何があったかよくわからないからこそ、全てから見ないと判断しようがないと思ったのです。

 

   それと痛むにも理由がある。その痛みはなんだろう。何を示してるのだろう。それも考え始めました。それでもやっぱりわからなくて3日目。この日はずっと動けなくてうちにいました。激痛から、痛い、に変わり、痛みの箇所が小指に2箇所。全体的に腫れているけど、よく目で見ると、触ってみるとわかるその腫れ。それはきっとずっと観察し続けたからだろうと思います。ああ、これはやっぱり打撲ではなく、何かに噛まれたんだな、それを実感。でも気持ち悪くもないしやっぱりまだ様子をみていたらいい。

 

   そうして4日目、痛みをわずかに残し、一気に落ち着き始めあと少し。動けるようになりました。そして今日は身体が軽い。近頃動いていたので休んでね、というお告げだったのかもしれないな、そう感じています。今日もみんなに甘えて食事もおまかせ。自分の家族のことだけやって子どもたちとのんびり過ごしています。

 

   病院に行くことが前提だった日本での暮らしを自分で振り返っています。不安の方が先で自分の身体の変化を自分で見れていなかったなと。いい経験をもらいました。あせらずに自分の身体を知ろうと思えたこと、もっと自分の身体を信じても待ってもいいのだと感じています。今回のことが我が子でなく自分に起こってくれてよかった。そう思います。

 

   コユ、始めての金槌。上手にゆっくりうっています。パパのようにお家を建てているそうな。

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   新築現場の周りに果物の木をうえました。大きくなってねと家族で。そうしたら大ちゃん、水場が上だから、水の道を作ると自ら動き始めます。おー、すごいなと感動の私。水を流してみたらあまり流れず調整。そうしようと気付けるのも経験ですね。すごいなあ。

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ついでに自動水やりき。お醤油の詰め変えボトルがからになったのでお水と布の切れ端を入れておきます。こうすると布を伝って水が流れていくのです。ノーテクノロジー、リユース、素晴らしい発明だと思います。

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最後に足の悪い私に変わって昨日は大ちゃん大活躍。昼寝してたらコユをお風呂に入れて、夕飯を作り始めてくれていました。昼寝から起きると食材がなかったのでガーデンでとってきたと、帰ってきました。麺とサラダ、大ちゃんシェフの想いのこもったご飯を家族でいただきました。家族で日々を積み重ねてるなあと感じています。

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ここでの日々。(タイ暮らし70日目)

   いろんなことがある日々。今日は写真をいくつか。コユがこけて鼻血を出しました。ちり紙がないのでタオルで拭いて考えます。鼻に詰めるものはないか。。あ、そばに綿の花が落ちていたはず!急いでいってみるとありました。ふわふわになるまでもんで鼻に詰めます。お日様の光を集めたコットンは優しいお日様の香りが本当にするんです。ホッとしたコユの鼻血顔^_^を一枚。

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   森の水の源泉に出かけました。すごく神秘的な場所でした。パーマカルチャー教室の人たちについて大ちゃんも竹細工をします。初めてナイフを使って1人で作った竹のスプーンはコユへのプレゼントだそうです。ありがとう。

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   みんなで火を焚いてご飯を作ります。森からいただいたものと自参した野菜でサラダを作ります。

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   こちらもコースの一環。ガソリンに発泡スチロールを溶かしてノリを作ります。私には衝撃的だったけど、リサイクルです。

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2月は人の多い日が続きました。こちらはウエスターナーのみんなが作った夕飯。少しづつみんなでいただきます。でも一リットルの油が一食で半分も無くなったのにはびっくりしました。あちらの国は一体何リットルのボトルで売ってるのだろう。。

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 とつぶやきの1日でした。笑。

 

 

 

   

日々の暮らしの中での暖かさ。(タイ暮らし日記68日目)

   トイレのドアが3日くらい前から外れている。旦那さんに直してもらおうと思っていたけれど建築に忙しい旦那さん。そうだ、自分でやってみたらいいじゃない!!なんで人に任せてしまっていたのだろう、と自分のくせに気づく。

 

   他のドアを見てやり方を見よう見まねで考えてみる。ドアを取り付けるには紐が必要で、紐といえばバンブーロープ。ロープから作ろうと思ったがロープようの竹がなくて村長さんにお願いして今回はロープを分けてもらって挑戦。バンブーロープ。この村の人たちは当たり前のように使いこなすがこれは張りの調整もねじりも技が必要なのです。見よう見まねでやってみたが、無事に直せました!!おー、できるんだ、と嬉しくなる。なんでもやってみよう、そうしてみたら必要なことで意外にできないことは少なくて、始めと同じでなくても自分らしくやって仕舞えばそれで使えることに気づいた。そして自分で大切につかえたものが愛しくてならない。日常が少し豊かになった気がします。

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   そうして愛しさを持てたもの。直したドア。耕した段々畑。自分で作ったまき。ココナッツのお皿。タイパンツ。掃除をしたばかりのうちとキッチンの庭。自分で起こした火。朝、火をみながらお友だちがくれたお茶を飲む時間。ここに旦那さんがいて一緒に火を眺める時間。私の穏やかな日常をみて喜んでくれた村長さんの口癖、ベリーグーッド!! 私を癒してくれたうちから見える森と月。子どもたちのお気に入りの木登りの木。大ちゃんの観察してるネギ。真似をしてホースで水まきをしているコユの後ろ姿。日常の中にこんなことがちょくちょく散りばめられていてその都度嬉しくなるのです。

 

   今は子どもたちの遊びに無理して付き合うこともなく彼らの嬉しそうな姿を見て楽しめる私がいる。旦那さんがうちを立てるのに集中して帰ってきたときに、子どもたちが大変だったんだよって愚痴らない私がいる。大変な時は私も新築現場に行くのです。そしてそこで手仕事したり、火を起こしたりしながら子どもたちといます。そうして家族全員で過ごす。時にはみんなの集まる場所で過ごすとみんなが子ども達に、私に声をかけてくれるのです。

 

    子どもたちがそうして私の機嫌に合わせるのではなく、自分がしたいように表現して過ごせるようになりました。そして他の人の動きにも興味を持つので彼らの興味が増えました。時には1人で遊び、ときには他の人とともに経験をする。

 

    家族で過ごす時間が増えたから、共有できることが増えてたのしくなりました。食事の時間になるのに火のそばから離れない子どもたちの気持ちがわかる。私が待てるようになってきたから、先に行くね〜って時に言っても不安がらないようになりました。火を眺めるのがみんなが好きだから早起きして焚き火してると起きてくる旦那さん、私、子どもたち。なんとなく自然に集まれるのです。なんとも心地の良い時間。それぞれの居場所があり、いてくれるだけで嬉しい穏やかな時間になっているのが不思議です。そうしてシェアできる夫婦の気づき。それを喜んでくれるコユとだいちゃん。ああ、家族っていいな。嬉しいな。心からそう感じる時間を今、頂いています。こんな気持ち、知らなかったな。本当に、こんな気持ちになれたことにただただ感謝しています。

 

    ここにはいろんな滞在者さんがいるのでいろんなことが垣間見えます。けれど、それぞれがそれぞれの階段を上りながら生きているのだとふと思うのです。これは自分が、自然に支えてもらっていることを感じているから、他の人のことを気にしていても仕方ないと思えるのだと、思っています。相手に悪意がないのなら、私が気にする必要はない。自分のことにしてもそう。自分が愛を持って行動するなら、後々まで気にすることではないのだと。今を精一杯生きるしかなく、みんなもそうなのだろうなと、今気づいたのです。これはきっと自然の力。癒しの力。

 

    誰からも追われることなく、自分の気持ちにとらわれることなく生きる練習をさせてもらっています。ここから離れてもこの気持ちを忘れないように。そうなった時に自分がどうしたいか感じて動けるように。

 

   毎日が愛しさでいっぱい。なので私の暮らしは十分。そう思ったら今夜は少なめのご飯が十分だって思えてきました。気持ちがやっと満たされてきたのかな。今を生きることが出来なければ未来への不安は消えないのかもしれません。

 

    昨日の昼から小指が痛い。。今朝から腫れ始めてマックスの痛み。どこにもぶつけてないので打撲ではないでしょう。裸足で生活してるので、虫に刺されたのかな。今夜は歩かなくてもじんじん辛くて、歩けなくなりご飯を運んでもらいました。今更死なないだろうし、と自分でもびっくりするくらい心配してません。ただただ痛いのは少し辛いけど休んでね、ってことなのかなと心穏やかに小屋に一人残ります。トイレに動くのも激痛でちょっと大変だなってことだけが頭をよぎります。明日は緩んでるといいな。

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飛行物の好きな大ちゃんが 初めて飛ぶものを自作しました。ラジコンだそうです。袋に糸をつけて、走ると、おーっ、飛びます。コユがよろこんで駆け回ります。

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もう一つ。温水シャワー。ペットボトルに水を入れて袋に入れて1日温めます。こうして研究に余裕がありません。さすがパーマカルチャー研究所所長!

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言葉の面白さ。(タイ暮らし日記67日目)

   ラオスに行きました。二泊三日の旅の予定がバスがいっぱいで朝の6時から待って5時間。何本待っても結局バスに乗れず、その日は町のゲストハウスに宿泊。久々の温水シャワーにテンションマックスの子どもたち、お風呂場で遊んで、いつもの市場に夕飯を買いに。そばのお店でいつも声をかけてくれるおじさんが唐揚げをプレゼント、ってくれました。ありがとうございます。市場でなるべくナチュラルなものを買おうと、カオニャオと豆と旦那さんはチェンマイソーセージと生野菜をゲット。こちらの枝豆は小さくても味がぎゅっと詰まってます。ゲストハウスに向かいながら夕飯。

 

   そして就寝。次の日は早くからタクシーで国境まで向かいます。市場で朝ごはんを買い込んでラオスへ。運転手さんが中国語の喋れる人で、今年はいろんな言語を覚えてます。おもしろい。大ちゃんが興味を持ち、とても楽しんでます。そして国境へ。

 

   徒歩での国境横断は二回目。なかなかできない経験です。出国手続きをし、トウクトウクで入国管理局へ。そこで手続きを済まし、バス停に向かいます。ここのバス、いつも満席で隙間に簡易椅子を置いてコユを抱いて乗るという詰めっぷり。そして途中でパンクをし、突然降ろされ待たされます笑。たどたどしい言葉とジェスチャーで同乗者同士会話。もう少しだから待つかあ。。。と暑い中待ち続ける私たち笑。こんな感じにも少し慣れ、あまり焦らず待ってると意外に早く到着。30分くらいかな。トイレを探そうという労力を使わなくなったので余裕があります笑。

 

   そしてホンサに到着。ゲストハウスに着いた途端、風邪っぽかったのが本領を発揮し、ゴロゴロすることに。街に出た途端、でした。ここではずっと寝ていたにもかかわらずこの風邪、長引き1週間。街なので子どもたちも持て余し、次の日は朝早くに行動開始。昼過ぎにはサハイナンに戻ることにしました。そんなわけであまり記録にしても面白くない旅となってしまいましたが、自然の中にいると自分たちの行動に制限がないのでやはりいいなあと、感じて帰って来ました。そして町のプレッシャーでしょうか、風邪もなんとなく辛くて身体が動かなくて、帰って来て一安心でした。

 

    今年は子どもたちも慣れてくれていろんな言葉を楽しんでいます。スペイン語、フランス語、中国語、英語、タイ語、カタラン。。。好きに成った人を通しての言葉のコミュニケーションは興味の幅を広げてくれます。言葉に興味を持ち、国に興味を持ち、文化に興味を持ち。。。アナログの人との関わりの面白さを教えてもらいました。直接とったコミュニケーションは肌も心もぐっと近づけてくれて、とても平和な気持ちになります。勉強もこうして人を好きになり、そこから興味を持って学んでいくともっと豊かになるだろうなあと感じます。学びは机の上からではなく身体からの方が自然なのかもしれません。

 

    言葉の面白さといえば、イタリアンの人が、鼻の穴に指突っ込んでもいいですか!という言葉を覚えたんだと笑いながら話してくれました。うちの大ちゃんはタイ語で チャックがチー という言葉を笑いながら覚えていました。これはくすぐったいという意味。本当はもっと早く流れるように使う言葉なのでこのまま使っても通じません。けれど これも言葉の面白さ。ちなみにイタリアンではカンパイを チンチーン っていうそうです。おもしろいなあ。

 

    今日の一枚。コユがこけて鼻血をだしました。ちり紙なんてないしどうするかなあと考えていると、そういえば側にめんの花が咲いていたはず。。これをいただいて種を取ってふわふわにして鼻に詰めてみる。おお、完璧!お日様の香りがするような優しい綿の花で傷を癒したいコユでありました。

自然の中で身体が感じてくれること。(タイ暮らし日記60日目)

   今年は身体が微調整にかかってくれるのかまた風邪をひいてしまいました。サハイナンを離れて2日目。移動中はどうにか持ったのでゲストハウスでゴロゴロ。頭痛と鼻水。。デトックスかなあ。。。だからひたすらゴロゴロ。昨日から食べたいのに食べると胃が重たかったのはそういうことだったのかー。。

 

   さてさて昨日から3日ほど旅へ。目的地に向けてのバスが朝早く暗いうちに出発しようと思ったら村長さんが送ってくれました。その車内の中での会話。。森の中での暮らしで彼が感じていること。一歳半の息子ちゃん、好奇心旺盛だけどいつも穏やかな笑顔で、のんびり屋さん。彼がこんな風なのは森がネガティヴだからだと思うんだ、という。その言葉が私にはしっくりきます。頑張って自分を変えたのではなく今の自分が穏やかになってきたのは、自然の中にいるからだと私も感じていたから。次々と受動的な情報に終われず、自分のしたいことを自分のペースでやることで一日がすぎて行く。やりたい時、できるときにやる。村長さんを含め、周りは待っていてくれるから。

 

   その反対で街はポジティブ。一生懸命生きてきて感じます。もっと自分を知っていたかったなと。きっと私の親も待っている時間がなかったのでしょう。いつも追われたように過ごしていた私の家族。日々を楽しめず、時折訪れるイベントでしか生きが抜けなかったと思っていたけれど、そのイベントですら終わると次のイベントを追いかけていました。

 

   そしてもう一つ、自分の体験から共感できたこと。森にいると裸足で歩くことも多い。でも街にいると、靴を履くでしょう、大地に足をつけることで人はデリートされるんだとおもうんだ、と。最近やっとここで素足で歩けるようになりました。石が痛くて素足で入られるのもわずかだったけれど、慣れてきたのと身体が変化することで受け入れられるようになったのでしょう。素足で歩いて感じること。

 

    大地の冷たさ、あたたかさ。葉っぱの上を歩く感触、土の上を歩く感触、耕したばかりの土を歩く感触、竹の床を歩く感触。土は汚くないことを知ったので、うちに土が入ったらはらうだけ、気楽です笑。そして凸凹な上に斜めになった山の坂道を足の裏でつかんで歩く感触。歩くってこんなに楽だったんだ、こんなに気持ちよかったのだと感じています。だから今は一日素足。綺麗事ではなく本当に気持ちいいのです。それを知っていたので彼の言葉がすっと入りました。猿の頃から素足で歩いてきたからでしょうか、素足ってこんなにいいものだって感じている今。コユが生まれたとき、2ヶ月も寝たきりだったので二足歩行ができなくなった時期があり、動物の二足歩行による体への負担の大きさを感じていたけれど、足の裏が解決してくれていたのかもしれません。足の裏、手のひら、指先、甲。ここから得る情報の多さに驚き、その得た情報を身体が知らぬうちに処理をしてくれている奇跡と神秘。すごいものです。

 

    そんな話を終えての旅と風邪。身体への負担をかけてしまったことも何かあったのかもしれません。とにかく休む。休む。。。休んでいる間もいろんな情報を処理してくれているのだと思うと身体が辛いと思うときはただただ休むこと、それしかないなあと思います。旅記録はまた今度。とは言っても移動以外はたべたいときにたべて休んでいるだけですが笑。食べるのも減らしつつ、食べたいなあと思うときは自分を許しながら、ストイックにならずに少食。しばらくはただただ休めておきますね。いつもどんな時でも自分に命をかけてくれる身体ですものね。明日の移動が無事にできるよう、ただただそれだけだなあ。。

 

   移動2日目、食べるものは本当にシンプル。カオニャオともちきびとタイ風お漬物。パクチー、ジンジャー、チリが入ってます。ジンジャーとちりをとるのは朝晩と冷え込むのにストーブがないこの国の智慧かもしれません。身体ごとあたたまりますから。それにきゅうり。塩を持ち歩いています。きょうは豪華にふりかけ付き。いつもは地物のごまでごま塩にして持ち歩いてます。

   ちなみにあさと、ひるとおやつはカオニャオと揚げパンとバナナとスイートコーンとピーナッツでした。炭水化物多めですが、おかずはMSGとお砂糖がよく使われているのでそちらよりはこちらを選択。考えてみたら全て地物でありがたいなあ。

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